百人一首いろいろ

水野琥珀



 「法師の子は法師がよい」と言われて出家させられてしまった息子の話をいたしましたので、今回はその父親の話にしましょうか。
 息子に輪をかけたと言いますか、とかく洒脱な趣味人だった、と言います。



 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ
 をとめの姿 しばしとどめむ



 僧正遍昭が詠みました。「古今集」巻十七・雑に収められています。五節の舞姫を見て詠んだ、詞書にあるとおり、宮中の豊明の節会での舞を詠んだ歌です。
 まだ若い、未婚の貴族の娘たちが舞う。その舞を天女の舞に見立てて詠った、そんな歌なのですね。いわばお祭りの情景ですから、華やかなものです。なにしろ美少女ばかりですもの。



 空行く風よ、どうか雲の道を閉ざしておくれ。今ここには天女が舞う。この秋も豊かに御世はめでたい。だからこそ、これほど美しい天女が、天の乙女が舞い踊る。
 あぁ、しばし。まだ帰らないでおくれ、乙女たちよ。もっとその美しい姿を見せておくれ。
 ほら風よ、どうか天女の帰る道をもう少しの間、閉ざしておくれ。天に帰るべき乙女たちの姿を、しばし留めておきたいのだから。



 僧正遍昭はこの歌で、宮中を天上に見立ててもいるのですね。天女が踊るのですから、そこは天、と言うわけです。
 それにしても美しい女性の姿を見ていたい、と言うのは僧侶とはちょっと、思えませんね。この時代はそういうものだった、と言えばそれまでなのですが、実はこの歌は僧正遍昭が出家する以前に詠まれたものなのです。
 俗名を良峰宗貞と言って、父は桓武天皇の御子でした。左近衛少将の官を得ていたことによって良少将、とも呼ばれました。そこから良僧正、などとも呼んだそうですよ。
 この人を語るとき、まず言われるのは「とにかく美男であった」と言うことではないでしょうか。美貌で知られ、そして時の帝の寵愛も深く、そしてもちろん女たちにももてはやされました。
 言うまでもないことですが、歌の上手、としても名高かったのですよ。
 良少将三十四歳の年だった、といいます。時の帝、仁明天皇が崩御されました。蔵人頭としてもそば近く侍り、おそばに慣れ親しんだ、と言っても言い過ぎではない帝の崩御に彼の心はどれほど乱れたことでしょうか。
 大葬の夜、良少将の姿はかき消すように消えました。友も妻も関わりのあった女たちも必死で探しましたが行方は杳として知れません。
 帝の崩御を悲しみ後を追ったか世を捨て去ったか。出家したならしたで、そうと聞こえてくるものを、噂ひとつ聞こえてこない所を見れば川に身でも投げたかと案じられます。
 誰もがそう思ったと言いますから、それほどまでに帝の寵愛深い臣だった、とも言えましょう。
 良少将には妻のほかに女が二人いた、と言います。その二人の女にはそれとなく出家のことを伝えた、と言うのですね。妻はそれと知って悲しみました。隔てがあろうはずもない妻の自分に何一つ言わずに姿を消した男を恨んだことでしょう。
 ですが、彼の心持ちとしては違ったのでしょう。慣れ親しみ、愛しく思う妻だからこそ、悲しむだろうと思えば決心も鈍る、そう思ったのではないでしょうか。
 妻はそうとも知らずに泣く泣く初瀬寺に夫であった男の着類や太刀をお布施に再会を、あるいは死んでいるならば成仏を願って読経のことなど僧侶に願います。
 ですが、そこにいたのですよ。すでに髪を落とし姿を変えた良少将、いえ僧正遍昭がそこに。隔てた几帳の向こうだったのか隣の部屋だったのか、途切れ途切れに泣く妻の声を聞いた僧正遍昭は乱れました。
 愛しさゆえに黙って姿消したことを、後悔したかもしれません。ここにいる、と走り寄りたかったかもしれません。僧正遍昭は耐えました。一晩中、たとえ血の涙を流しながらであろうとも、耐えました。
 そして夜明け、誰になにを言うこともなく、寺を立ち去った、と言います。
 いったい何が彼をそこまでさせたのでしょうか。一度世を捨てたものが女に惹かれて姿を現すなど、未練、そう思ったのかもしれません。
 ですが、それほど愛しいと思うものを捨てて出家した、その気持ちは私にはわかりません。あるいは妻を思う気持ちよりも、さらに帝を慕い奉る気持ちのほうが強かった、そういうことなのかもしれませんね。
 そんな僧正遍昭もある程度の時間が経って落ち着いたのでしょうか、後に清水寺で思いもかけないことが起こりました。
 あの小野小町が清水寺に参詣していたのですね。ふっと聞こえてくる読経の声にどうも聞き覚えがある。あれは、と思って人伝に言葉を伝えさせるのですよ。
「おこもりの最中なのですけれど、なんとも寒いのです。衣を貸していただけません?」
 と。あの良少将ならばきっと言葉を返してくる、そう思ったのでしょうね。はたして言葉は返ってきました。

  世をそむく 苔の衣は ただひとへ
  かさねばうとし いざ二人寝む
 ――出家の身に衣は一枚限り。と言って貸さないのも薄情ですしね。では一緒に寝ますかね――

 そんな歌ばかりが一首。その返事で小町は良少将と悟り、呼び寄せようとするのですがすでに姿を消したあとだった、といいます。出家した後も彼の洒脱な心は変わったいなかった、それだけを形見にして。



 私はこの人の明るい洒脱さと機知に、暗い絶望を見る思いがします。なぜこれほどまでにふわふわと世を渡るすべを心得た人が、帝の崩御と言う一点ですべてを捨て去ってしまうのか。
 そう思えば、もしかした帝の崩御は切欠のひとつ、最大のひとつではあったでしょうけれど、それに過ぎなかったのか、とも思うのですよ。
 この人の中に育つ世を厭う気持ち、絶望と言い換えてもそれほどそぐわないということはない心が、滴り溜まる水が最後の一瞬にあふれてしまうように流れ出てしまったのかな、と。
 だからこそ、この人の歌は明るく面白いのか。そんな気がしてしまうほどに切ないのです。この人は、どこを見ていたのでしょうね。
 帝の崩御は切欠のひとつ、と言いましたが、けれど、とも思います。全身全霊を欠けてお仕えし、またそれに応えてくださった方を亡くす、と言うのはどうなのでしょうか。世を捨て去る気持ちにも、なってしまうかもしれません。
「すぐ死にたがるのはお前の悪い癖だ」
 篠原ならきっとそう言うのでしょう。現にこの話をしたら言われてしまいました。ですが、なぜとなく、僧正遍昭の気持ちがわかってしまう、そんな気持ちにもなるのです。別段、死にたがっているわけではありませんけどね。




モドル