百人一首いろいろ

水野琥珀



 小野小町は不思議な女でした。王朝の女たちの本名の知れないのはいつものこととして、その本性さえもが不思議に包まれている、と言うのは返って珍しいかもしれません。
 ただ、美女であった、とそれだけ。
 そんな女がその一族であった、とされる男がいます。



 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
 人には告げよ 海人のつり舟



 詠み人は参議篁。姓は小野です。小野篁は父・峰守の長子として生まれました。その父が陸奥守として奥州に赴任したとき、篁も父に従っていきます。そこでずいぶんと馬を好んだのだそうです。父は都を離れたとは言え、参議正四位下の位を持つ高官です。その子ともあろうものが、父の任期果てて都に帰った後も馬ばかりと戯れた学問と言うことをはなはだ疎かにしているのを時の帝であった、嵯峨天皇がそれは嘆いたのだと伝えられています。
 篁はそれを聞き、奮起しました。日夜勉学に励んでいるうち、自然と才知のほどが知られてきたのでしょう。かの人こそは、と名高くなっていきました。
 それを天皇がお知りになってでは、と漢詩を示されたのですよ。
  閣を閉じて聞く 朝暮の鼓
  楼に登りて遥に望む 往来の船
「これをどう思うかね、言ってみよ」
 そんな勅が下りました。篁は答えます。
「大変素晴らしいお作ですが、『遥に望む』ではなく『空しく望む』とされればさらに絶唱と申し上げるべきものになりましょう」
 と。帝はそれはそれは驚かれました。それでさらに問うのですね、
「そなた、この詩を知っていたな」
 なぜ、そんなことを問うかと言えば、元々この詩は白楽天の詩で篁が指摘した「空しく」の方が正しいのです。天皇は篁の才能のほどを試そう、となさったのでした。
 こんな話が伝えられるほど篁と言う人は詩才に優れていたのだ、ということです。
 後に上皇となった嵯峨天皇はこの篁を大変愛しました。ただ、嵯峨上皇も篁も、一度言い出したら聞く耳を持たない、そんな性格ですから、衝突するとなったら周りの被害は大変なものであったでしょう。
 そして実際、衝突は起こってしまったのです。遣唐副使に選ばれた篁でしたが、大使の船が破損していたのだそうです。大使は自分のほうが上官だ、と思えば篁に「船を変えたい」と天皇に願い出ます。そして天皇もそれを許可なさってしまわれたのでした。これに篁は怒りました。そんな馬鹿な話はない、と。怒るだけならばともかく、篁は仮病を使って船には乗らず、あまつさえ遣唐を風刺した詩まで作ってしまったのですから、いささかやりすぎ、と言うものでしょう。
 今度は当然、天皇が怒る番でした。官位を剥奪され、隠岐の島に流罪を申し渡します。
 さて、それでこの歌なのですよ。この歌はその流罪になった篁が島に行く途中で都の人にあてて詠んだ歌、なのですね。



 広大な海がある。点々と浮かぶ島影。ただ青く、恐ろしいばかりの海の間に浮かぶ島々を船で行く。
 追われて行くのだ。罪を得て行くのだ。
 知り人もなく、たった一人。私のしたことは罪だったと言うのだろうか。いいや、そうは思わない。
 けれど心は揺れる。小さな釣り船のようにゆらゆらと。
 漁師たち。伝えておくれ。都の人に。篁はこうして流されていった、と。島から島へと、寄る辺ない子のように流されて行ったと。



 篁はこのとき三十七歳。当時の年齢で言えば再び都が見られるとは思えない歳です。と言うことはつまり、二度と親しい友にも愛しい女にも会えない、それを意味しました。
 ですが篁は、自分が悪いとはまったく思っていなかったと思います。遣唐大使は自分が傷ついた船に乗りたくないばかりに天皇に訴え、それを認可されてしまう。篁はそれに対して声を大にして「おかしい」と叫んだだけでした。
 すでに定められたものを政治力で覆せば、この国の先と言うものは危うい、そう思っていたのではないか、と。ですから篁は恐れてはいませんでした。ただ、やはり心細くはあったでしょうね。
 この逸話のとおり、直情径行でまっすくで気骨をもって知られた人です。先の漢詩の話でもそうですね。いくらはっきり言え、と仰せであったも天皇の詩に文句をつけるのはずいぶんと勇気のいることでしょうから。
 王朝の時代の貴族、とは思えない直情さです。それゆえに変わり者、と思われ様々な伝説が残りました。地獄の冥官であった、などとも言われていますよ。
 ただ、付き合いにくくはあったでしょうけれど、悪気はないのですし、ひたすらまっすぐなだけです。ですから嫌われては、いなかったのではないかと思いますよ。流罪のことも、この詩才を惜しまれてたった二年と言う短期で都に戻ることを許されています。その後は順調に出世し、参議にまで昇りおおせました。
 さすが、と言うかやはりと言うか小町がその一族と言われるだけあって不思議な伝説の残る男です。そう言えばはるかな祖先は小野妹子、とも伝えられている一族でした。



 今の世から見れば当時の流罪というものは「ずいぶん近い所なのだな」と言う印象です。都の外は人のすむ場所ではない、と思っていた時代ですから、そういうものかも知れませね。
 そんな時代の人から見れば海、とはどれほど恐ろしいものだったでしょう。初めて目にする広いばかりの水の固まり。
 私は海が好きですよ。ですからどうも恐ろしい、とは思えなくて困ってしまいます。
 人混みの中に出かけるのは私もあまり好きではありませんから、夏は家内にこもっていることが多いのですけれど、春の海など、大好きです。
 ただうらうらと照って波ものどかで。花見も良いですけれど海も美しいものです。
 反対に篠原は冬の海が好きなようです。性格が暗いですから、あの荒涼が心地良いのでしょう。荒れて泡立つばかりに飛沫を上げる波が、自分の心のようにも思えるのかもしれない、そんな風に思うこともあります。
「買いかぶりすぎだ」
 そう、篠原は笑いますけれどね。ではなぜ冬の海が好きなのか、と問えば
「熱いより寒いほうがいい」
 そう、そっけなく答えられてしまいます。これはやはり、言いたくないこともある、という所でしょうか。
 なにがどう、と言うわけではないのです。でもなんとなく、寂しいものです。その心うちの一端くらい明かしてくれても良いのにな、友とはそのためにいるのにな、そんな詮無いことを思ってしまいます。




モドル