百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回の、篁の見た海からの連想でしょう。この歌を選ぶ気なったのは。と、思ったところで思い出しました。篁ではなく、篠原ですね。篠原の冬の海の冷たさからの連想です。



 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
 われても末に あはむとぞ思ふ



 崇徳院のお歌です。「詞花集」恋の部に収められています。百人一首それ自体が人口に膾炙していると言えますが、この歌など中でも多くの人に愛されている歌のひとつではないでしょうか。
 若さゆえの真っ直ぐさと一途な情熱がどこかくすぐったいような歌ではないかと私は思います。このような熱さはやはり若者のものでしょうね。



 轟き、迸る急流だね。私たちの間を裂くのは、その急流に落ちた岩だろうか。岩に当たって砕けて散って、さしもの水の流れさえ、割れてしまう。
 私たちもそうやって裂かれるんだ。水飛沫を上げて流れが堰き止められるみたいに、真っ二つに。
 でもご覧、あの流れもいつかはひとつになる。川の流れのその先で、ひとつになるんだ。
 だから、私たちもいつかは。そう信じようよ。いつか必ずあなたともう一度こうしていられる日が来る、私はそう信じているよ。



 この時代にあふ、と言えばそれはただ会っただけではありませんね。思いを遂げたことそれ自体を差します。ですからこの二人は恋人であったのに引き裂かれた、と言うことになります。
 さてそこで、ですが。詠み手は崇徳院、と申し上げました。院と呼ばれるような方が、お若いときであっても引き裂かれると言うのは少し不思議な気がしませんか。
 私はそう思ったのですが、案外そうでもないのですね。崇徳院、と言うお方は不幸な方でした。おそらくご自身もそう思っておいでだったことでしょう。
 崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子。待賢門院を母としてお生まれになりました。そもそも、それが不幸の源であったのでしょう。
 鳥羽天皇の中宮は美女の誉れも名高い待賢門院です。その中宮の腹からお生まれになった、と言うのに父帝は皇子を少しも愛しくは思われなかったそうです。
 なぜでしょうか。問題は待賢門院にこそ、あったのですね。いえ、そのような言い方は公平ではありませんね。彼女もあるいは被害者であったかもしれません。
 鳥羽天皇の祖父に当たるのが白河院です。その白河院の養女、として育てられたのが待賢門院でした。その頃より美少女、と噂になるほどだったというのですね。
 そして噂はそれに留まりませんでした。白河院との間に口を憚ることがあった、と言うのです。無論、鳥羽天皇もご存知でした。天皇に耳に達するほど、大きな声で囁かれる噂であったと言うことでしょう。
 鳥羽天皇は耐えました。白河院がそこにおいでの間は何一つできはしません。天皇、といえども院政の時代はそういうものです。第一皇子が五つになったとき、鳥羽天皇は譲位させられてしまいます。他ならぬ白河院の手によって。そして帝位についたのが後に崇徳院と呼ばれる幼帝でした。
 鳥羽天皇、すでに譲位させられた鳥羽上皇は悲惨です。帝位には自らの種ではないと信じる息子が、そして院政を敷こうにも上にはまだ白河院がいるのです。権力の権威もない上皇の誕生でした。
 白河院崩御の後、鳥羽上皇は直ちに報復に出ます。崇徳院を帝位より引き摺り下ろし、美福門院との間に生まれた皇子を位につけました。まだ三歳であった、と言います。これが近衛天皇です。譲位させられた崇徳院はこのとき二十二歳。
 どれほど父帝を恨んだことでしょう。ご自分が誰の子であるかなど、崇徳院の責任ではありませんね。それを責め立てられ、帝位を追われ、疎まれる。いいえ、何よりつらかったのは父帝より優しい眼差しひとつ向けていただけなかったことではないか、そんな気がしてなりません。
 鳥羽上皇は白河院憎しの一念で崇徳院をさらに追い詰めていきます。近衛天皇が早くに崩御された後、鳥羽上皇はすぐさま崇徳院の弟皇子を帝位につけました。これが後白河天皇です。そして日嗣の皇子には新天皇の皇子が立ちました。
 せめて、皇太子はご自分の子から、崇徳院はそう思っていたことでしょう。崇徳院の血を絶とうとする、鳥羽上皇のあからさまなやりようにどれほど憤ったことでしょう。無念を察することさえできようもありません。
 崇徳院の激しい怒りに藤原氏の内紛が絡まりあい、そして起きたのが保元の乱です。結局、崇徳院は破れて讃岐に流されます。怨念に塗れ、安らかなお心になることなく九年の後に崩御されました。
 崇徳院のご生涯は、決して明るいものでも懐かしく思い出せるものでもなかったでしょう。その中で一点、この歌を詠んだその時のことだけはいつまでも瞼の裏にあった、と思いたいのです。
 ただ一人、愛した方がいた。引き裂いたのは鳥羽上皇でしょうか、それとも藤原氏の誰かでしょうか。必ず、そう約束したそれは果たされなかった、そうも思います。
 ですが、果たされなかった約束に歯軋りするよりその思いを懐かしく思い出せるならば、そう思うのですよ。崇徳院に叶わなかったことでしょうけれど。
 あのような生涯を送った方が詠んだ歌、そう思うにつれて胸がきりきりと痛む気がします。真っ直ぐに進むことができたならば、この若者はどんな道を選んだのだろう。見ることなかった道の先には何があったのだろう、ついそんな夢想をしてしまいます。



 それにしても崇徳院が愛した女性はどんな方だったんでしょうね。私はこの歌に背景に現実がある、と解釈しましたが、そもそもなにかの戯れか題詠であったかもしれません。でも下世話ではありますが、本当に愛した方がいる、と思ったほうが楽しいですね。
「お前は真面目すぎる」
 そう言えば篠原に言い返されました。どこが悪いのでしょうね。人が人を思うこと、それは人間の行いの中で最も美しいものでしょうに。
「だから、そこに真実を見ようとするのがいけない」
「どうしてです」
「人間はいつも前だけを見ているわけじゃないさ。白河院や鳥羽上皇を見るがいい」
「あなたはそういうけれど、そういう人にだってどこか一つ位はいい所があるはずですよ」
「ほう、どんな」
「だって、美福門院にとっての鳥羽上皇は素晴らしい男だったかもしれないでしょう」
「誰に迷惑をかけようとも、か」
「恋なんて、所詮そういうものです」
 とどめを刺すつもりはありませんでしたが、篠原はその一言で黙ってしまいました。おかしいですね、いつも私が黙らされているような気がするのですが。気だけ、かも知れません。
 でも私にとっての真実なのですよ、それは。どれほど他人に迷惑をかけようとも手に入れたい人がいる、そう思えるのは幸せだと思ってしまうのです。開き直られる周りこそ、本当に迷惑でしょうね。




モドル