百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回ご紹介した陽成院は清和天皇のお子でした。母は藤原高子。二条の后、と呼ばれた方です。さて、そうなると思い出す人が一人いますね。今回はその人の歌を選びました。


 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川
 からくれなゐに 水くくるとは




 もうおわかりですね。詠み人は在原業平。百人一首では在原業平朝臣、となっています。阿保親王の五番目の子で、母は桓武天皇の皇女である伊都内親王と言う貴種です。在五中将、とも言うのは在原氏であって、第五子の中将、と言うような意味です。あるいは中国風なのでしょうか。不勉強なので正確なところはわかりませんが、氏の一字と何番目の子であるかを名乗るのはあちらの風習であったような気がします。
 さてこの歌のことですが「古今集」の詞書によると、二条の后と呼ばれた高子姫がまだ春宮の御息所であったときのこと、屏風に描かれた竜田川に紅葉の流れる様子を題にして詠んだ、とのことです。
 屏風歌、と言うものです。屏風歌とは大和絵に和歌をつけたものを言います。九世紀の末ごろから始まり、十世紀にはずいぶん盛んであった、と言います。
 ですからこの歌も一種の題詠ですね。少しわかりにくい歌です。それは題詠のせいではなく、業平自身のせいでしょう。「古今集」で紀貫之が書いているよう、業平という歌人は「自らのうちに詩情を迸らせている、が言葉が足りない」のですよ。
 あちらに飛び、こちらを省きして作り上げられた歌は、彼にとっては自然に口をついて出た物であったかもしれません。ですが芸術的天才ではない我々にはやはり少し、わかりにくく感じます。
 その分、一旦慣れてしまうと快く染み込んでくる、そんな歌を詠っています。



 なんと、この世の不思議は神代ですべて出尽くしたと思っていたのに、その神代でさえもあったとは聞いたこともないこの景色。
 見てごらん、竜田川のこの流れ。唐紅の絞り染め。紅葉が描く唐錦。竜田川とはこうも見事な染め手であったものか。ずいぶんとまぁ、美しく染め上げたものよ。



 この歌で業平は竜田川を擬人化して詠っています。「くくる」と言うのはくくり染めのことでつまり絞り染めを差します。「ちはやぶる」は「神代」に掛かる枕詞でこの歌の場合はあえてそれを使うことで大仰な持ち味を醸し出しています。
 もっとも、こういう技巧を配することでさらにわかり難くなってしまっているのですけれどね。ただ、語調は素晴らしくいいですね。何度も口ずさみたくなる歌です。
 さてご存知のように業平は「伊勢物語」の主人公と擬せられています。中々に奔放な性格だったようですから、噂程度はあったのでしょうが、無論のことすべてが真実ではありません。
 この小話も事実ではないと考えられているもののひとつですが、日本人が長く愛してきた話ですからやはりご紹介しましょう。二条の后こと藤原高子の話です。
 高子は藤原氏の姫ですから、当然のよう入内の計画があったのですね。ですが、高子姫はそれ以前に業平と愛し合っていた、と言うことになっています。まだ若い姫と業平は引き裂かれれば裂かれるほど、その恋を燃え上がらせたことでしょう。
 そしてついに恋人たちは逃亡を企てます。業平は高子姫を盗み出し、背負って逃げるのですよ。夜のことです。野には一面にきらきらと露がついていました。深窓の姫君ですから高子はそれが何であるかを知りません。
「ねぇ、あれはなに」
 無邪気なまでに業平の背で彼女はそう問うたのでしょう。ですが業平は一刻でも早く、一歩でも遠くに逃げることばかりを考えていて答えることもできませんでした。
 挙句に雨まで降ってきたのです。荒れ果てた小屋であっても屋根がないよりは良いと考えたのでしょう、業平は姫共々そこに逃げ込みます。奥深くに姫を隠して。そして深夜のこと、何か物音がするではありませんか。はっと気づいたときには時遅く、姫は鬼に食われてしまった後だった、と言うのです。業平は泣きながら詠います。

  白玉や なんぞと人の問いし時
  露と答えて 消えなましものを

 あれは真珠と言うものなの、ねぇ、何かしら。そう彼女が聞いたときに「露と言うものだよ」答えてあげればよかった。露のよう、自分も死んでしまえばよかった。そんな歌意です。
 「伊勢物語」にはこの鬼と言うのは高子姫の兄のことだ、とあります。なんとも野暮な注釈を入れたものですが、事実としてもどうでしょう。少し考えにくいことです。何しろ盗み出された姫であるはずの彼女は後に后の位に上っていますからね。仮に兄によって取り返されたとしても大醜聞ですから、ありえないことだ、と考えます。
 この物語の美しさは、事実であるなしを問わない、そう思いますよ。これが虚構の美と言うものでしょう。



 それにしても深窓の姫を盗み出してしまう、と言うのは大胆です。いったいどんな気持ちなのでしょう。相も変わらず篠原に問うてみましたら、じろりと睨まれてしまいました。
「そんなこと、知るものか」
「あなたならご経験があるか、と思ったんですが。ないですか」
「あるわけが……」
 ほら、やっぱりあるのですよ。言葉を切りましたものね。篠原と言う男、無愛想で無口で取り付きにくい、そんな風に思われているのですが、そしてある程度事実でもあるのですが、このようにわかりやすい反応をする男でもあるのです。
「白状なさい、篠原さん」
「なんのことだかわからんなぁ」
「とぼけすぎて白々しいですよ」
「……ないとは言わない」
「でしょう。ですからどんな気持ちなのかな、と」
「逃げたいだけだな。私はやり直したかった。その人が非常に傷ついてしまって、もう一度はじめからやり直そうと、だから誰も私達を知らない場所に逃げたかった。それだけだ」
 珍しく長い言葉を使いました。おそらく本心でしょうね。なんと言っても物凄い目で私を睨んでいますから。
 怒っているわけではないのですよ。ただ、どうしようもなく照れているのです。こんなことを言えば今度は本気で怒らせてしまいますから、私としては口をつぐんでいるより他にありませんけれどね。
 いささか苛めすぎたようです。ふらりとどこかに出かけてしまう前に、茶でも淹れましょう。




モドル