百人一首いろいろ

水野琥珀



 しっとりとした、それでいて切ない思いと言うものには、誰しも覚えがあることと思います。今回はそんな歌をご紹介することにいたしましょう。



 逢うことの 絶えてしなくは なかなかに
 人をも身をも 恨みざらまし



 「拾遺集」恋の部に天暦の御時の歌合にて読んだと記されています。天暦の歌合といえば、以前ご紹介した歌がありましたね。有名な恋歌が二首、兼盛の忍ぶれど、と忠見の恋すてふ、あの歌が詠まれた歌合せです。
 作者は中納言朝忠、藤原家の出身です。彼はこの歴史に残る歌合で六番番え、五番の勝ちを収めるという素晴らしい成果を残しています。
 彼の歌に合わせられた右方の歌もよい出来だったので一時は持かとも思うような判定が下りましたが、結局のところ「左の歌は詞清げなりとて左を勝ちとなす」と言うことになりました。そしてこれが彼の代表作と言うことになっています。



 もしもあなたに逢うことがなかったのなら、あなたの手を取り側近く接し、ぬくもりを得ることさえ知らなかったなら。
 もしもそうであったならば、こんなに苦しく切なく思うことはないのに。
 あなたときたら僕のことは半端なまま。時折、逢ってくれるくらいならばいっそ捨て置いてくれたほうがずっと楽だと思うんだ。
 あなたとの夜を半端に過ごしてしまったからこそ、あなたを恨みたくなる。我が身の拙い運命を嘆きたくなる。
 あんな夜を持たなかったらきっとね、あなたをうらんだりなんてしないと思うんだ。



 どうでしょうか。恋、と言う文字が一文字たりとも入っていないというのに、なぜこうも胸に迫る切なさなんでしょうね。
 あるいは恋と言うものはそういうものなのかもしれませんね。あからさまに口にするよりいっそ、忍びやかに。
 思えばだからこそ、忍ぶ恋、と言う題があるのでしょう。どうやら人間と言うものは千年経っても感情に大差はないようです。
 忍ぶ恋、といえばこの歌は歌合の歌ですから、実景ではありませんね。忍ぶ、のよう題を与えられて作った歌と言うことになるでしょう。
 してみればこの歌は何の題でしょうか。逢うて逢わざる恋かな、と私は思います。
 この歌の中、男は一度、あるいは複数回、女との逢瀬を持っていますね。ですから「逢って」はいるんです。ですがその後、女からつれなくされているので「逢わざる」ということです。
 ちなみに「絶えてしなくは」ですが、この言葉は「絶えて」「し」「なくは」と切ります。「絶えて〜ない」を強調表現の「し」が強めている形になります。「絶えて、しない」のではありません。
 それから「恨みざらまし」と言う言葉も一見取り違えてしまいそうです。これは「もしもそうであったならば、恨むことはないだろう」と取るべきでしょう。仮想の話なんですね。いわば反語表現なので婉曲に、恨んでいますよ、と言いたいのです。
 朝忠は三十六歌仙の一人に数えられています。この歌も印象が薄いと仰る向きもありますが、私はなだからで口にのぼせやすく、それでいて情感があって好きな歌ですよ。
 歌の上手の上、和漢の書物に明るく学問の道に優れて名高かった、と言います。おまけに笙の名手だというのですから、世の中には恵まれた人もいるものですね。
 そんな朝忠にも面白い話があります。もっとも、これを面白いと言ってしまうのは才薄い凡人の僻みでしょうけれど。
 朝忠と言う人、生まれつき背が高く、ずいぶんと恰幅が良かった、と言います。恰幅が良い、と言う程度でしたら何の問題もなかったのですが、いささか過ぎてしまったのですね。
 立ち居はもちろんのこと、笙を吹くたび息苦しくてこれはいけないと思い悩んだ末、医師を呼んで相談したのだそうです。
「これは特別に薬を用いるというものでもありませんが、ただただお食事にご養生なさいませ。それにすぎるものはありませんから」
 との医師の言葉。朝忠は、そうかと納得し医師の言うとおり、冬は湯漬け、夏は水漬けに過ごします。湯漬け、と言うのは強飯という蒸した米に湯をかけるもののこと、水漬けは湯が水に変わります。
 医師はそうすればきっとお痩せになりますよ、と言うのですが、どうしてどうして、これがまた一向に痩せないばかりかまた太ってしまったのですよ。
 これは困ったと朝忠はまた医師を呼びます。
「そなたが言うとおりにしたけれど、ちっとも痩せない」
 そう文句を言った、と思ってください。医師も困り果てて頭なんぞをかいています。
「わたくしが申し上げたようなさっていただきまして、なおもお太りになったなど今まで例のないことです。水飯はいかほどお召しになられますか」
「説明するより、見たほうがよかろうさ、ちょうど食事だ」
 そう朝忠、物分りよく医師に言います。医師もさぞほっとしたことでしょうね。
 ところがびっくり。朝忠の前に運ばれてきた物はといえば、それはそれは見事な鮎に干し瓜のようなもの、と言いますから漬物様のものでしょうか。それが山と盛られて運ばれてきます。それからさてさて水飯です。これはたいそう大きな椀に飯を高々と盛り上げ、そこにちょっぴりと水を注いで箸を取り上げたかと思ったら二度三度、ほんの申し訳程度にかき回し、と見たかと思えばあっという間に飯はなくなりまた同じよう盛り付けたと見ればそれも食いつくし、またさらに食う、と言う有様。無論その間におかずの方もみんななくなっています。
 これを見た医師、頭ふりふり「こんな調子で食ってたんじゃあ、痩せるわきゃあない」とばかりに呆れて席を立った、と言うことです。
 その後、朝忠はますます太ってまるで相撲を取る人のようになってしまった、と言うのだからおかしいですね。笙はどうなったんでしょうね。その後も吹くことができたのでしょうか。なぜか気がかりです。どうにも憎めない人柄と言うものでしょうか。



 物を食べたい、と言う欲望は私たちの世代だとどうしても強いですね。戦中戦後と思うように食べられない時期がありましたから。
 それでもやはり、あまりに好きなものばかりを食べ過ぎるというのはいくらなんでも体に悪いと思うのです。
 無論、言いたいことはおわかりですね。相も変わらず篠原です。私としても彼の母親のようなことは言いたくないですし、したいとも思っていないのですが、この家主殿ときたらちっともご自分の体を大事にすることをしないのですよ。
 先だってもこんなことがありました。篠原家では、居候の私が家事をしますが、家事の中には当然のこと食事の用意と言うものもありまして。
 食事の用意をする者にとっては、おいしく食べていただけるのが最も嬉しいことですね。ですから、一応は私も心を砕いてはいるのです。
 それを台無しにするのは、篠原です。あれほど、そう、まるで子供に言い聞かせるように、食事の前に間食はしないで欲しいと、それこそ口を酸っぱくして申し上げているにもかかわらず、またしても篠原はどこぞで団子なぞ買い食いをして食事を残したのですよ。呆れ果てて物も言えませんね。こんな困った男に嫁の来手がないのも当然です。




モドル