百人一首いろいろ

水野琥珀



 前回まで、袖を濡らす歌をご紹介し続けてきましたが、もうひとつあるのを失念していました。と言うのも、言い訳のようですが、少し変わった歌だからなのですね。



 わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石
 人こそ知らね 乾くまもなし



 詠み人は二条院讃岐といいます。はじめは二条院に仕え、後には後鳥羽天皇の中宮に仕えました。
 この歌は「千載集」に収められている歌で、そこでの結句は「乾くまぞなき」と係り結びで強調されています。詞書には石に寄せる恋と言うもの、とされている歌で、それだけでもちょっと変わっていると思います。さすがに王朝末期となると題詠の種も尽きてくる、と言うところでしょうか。



 私の袖はあの沖の石。ご覧になって、あなた。ほら、見えないでしょう。だって、沖の石ですもの。引き潮にも顔を出さない冷たく濡れた石ですもの。
 濡れて、濡れて。乾く間もないあの石のよう、私の袖はぐったりと。
 あの石が顔を出さないよう、私の心も誰も知らない。誰も知らないけれど、それでも私の袖はこんなにも濡れているのだわ。叶わない恋を嘆いて。



 恋の嘆きに袖が濡れる、と言うのは作歌における常套句のような物ですが、これが詠みあげられたとき、人々はびっくりしたでしょうね。なんと言っても沖の石、ですからね。いったいここからどう次を続けるのか、とどぎまぎしたことでしょう。
 沖に沈んだ石ですから、乾く間がないのは当然のことで、それでも人知れず沈んだ石が醸し出す印象は人々の度肝を抜いたことと思います。
 いかにも才長けた、そんな女性の歌だと思います。彼女の歌才はあるいは父譲りのものかもしれません。
 讃岐の父は、源頼政。あの鵺退治で有名な武人ですね。父・頼政は頼光の裔ですから、武門の一族、と言えると思います。
 ですが、王朝末期と言う時代にあって頼政はだいぶ公家流の心を持ってしまったようです。官位が進まないことばかりを苦にしていたと言いますから。とはいっても四位までは上ったのですよ。ですが、そこから先がいけません。ここは、とばかり得意の歌で上つ方の心を動かしてなんと七十五歳で従三位に上りました。
 そんな王朝の精華、とも言える生き方をした頼政が、いったいなぜ平家を討とうとしたのか。彼は謀反を起こしました。
 それにはこんな経緯があった、と言います。頼政には息子があって仲綱、と言いました。彼が大変良い馬を飼っていた、と言うのです。やはり武門の一族のことですから、馬の目利きと言うのは褒むべきものであったのでしょう。
 これに目をつけたのが平宗盛です。仲綱にその馬をしつこく所望したのですね。はじめは拒んでいた仲綱もついには権勢に負け、宗盛に馬を贈りました。
 宗盛は、と言うと仲綱が拒んだことが気に入らなかったのです。馬に仲綱、と名をつけそれを背中に焼き印して舎人たちに仲綱、と呼ばせたのでした。
 これを聞いた仲綱、もう怒りは収まりません。あちらは権門のことだから、と耐えていたものがぷっつりと切れてしまった瞬間でした。そして父・頼政と共に謀反を起こすのです。
 とはいっても、清盛時代の平家は大変な力を持っています。翻るに源氏はもうさんさんたる有様。これでは成功など覚束ない、そう考えた親子は高倉宮
と申し上げた以仁王を巻き込み、令旨を得ました。以仁王の領事を関東に発すれば、かの地の源氏は多くこれに従って決起します。
 が、しかし。深くことを隠して進めた、と言っても陰謀というものは巻き込む人間の数だけ露見しやすくなるものです。ついに清盛の耳に達しました。
 あっという間に高倉宮を清盛の手勢が囲みます。けれどその直前、清盛発つの報を聞いた親子と以仁王は三井寺へと逃れていました。渡辺競が一人、頼政の館を守って戦います。ここに主人はいず、多勢に無勢ですから、すぐに捕らえられると知ってなお。
 捕らえられ、宗盛の前に引き出された競に彼は問います、どうだ自分に従わないか、と。競は黙ってことを進めた主人に恨みがないとは言わない、今後はあなたに忠勤を励もう、そう答えました。これに喜んだのは宗盛です。側から離すことなく寵愛したと言います。
 そうしたある日、競は宗盛に言いました。一匹の良馬をいただければ、すぐにでも頼政を討ち取ってごらんに入れましょう、と。そこで引き出されてきたのが例の仲綱と名づけられた馬です。競は直ちにそれに打ちまたがって三井寺へと飛んでいきます。
 そしてその馬を仲綱に献上したのでした。どれほど嬉しかったでしょうね。ここぞとばかり仲綱は馬の背に平宗盛と焼き印して放った、と言います。
 結局、歴史の知るごとく以仁王の乱は失敗しました。敗れて宇治の平等院に退いた頼政はそこで自刃します。

  うもれ木の 花咲くことも なかりしに
  みのなるはてぞ 悲しかりける

 そう、詠って。頼政、七十七歳の最期でした。歌人であり武人であった男の、末期の花は王朝の最期に寄せる一輪であった、そんな気がしてなりません。
 そんな父を持った讃岐という女。彼女は父の歌人としての花だけを手に生き抜くことを選んだ、私はそう思います。爛れ逝く時代の音が、彼女ほど才能に恵まれた歌人に聞こえないはずはありません。それでも彼女はただ絢爛に、歌の夢に生きました。あるいは、それだからこそ。



 実のところ、王朝末期から源平の争いの辺りが私はどうにも苦手です。嫌いなわけではないのですが、どうしても人名が覚えられないのですよ。
「不思議なものだな」
 そう篠原が首をひねります。
「だって、皆が皆、源か平なんですよ、ちっとも誰が誰だかわからなくて」
「そんなことを言ったら平安はたいてい藤原だろうが」
「違いますとも」
「どこがだ」
 言われても私は答えられませんね。だって、負け惜しみですから。もう本当にどうしてでしょう、源平は私の鬼門です。
 元々歴史は得意と言うわけではありません。篠原だとてそうのはずです。彼の専門は国語ですからね。そのくせ、妙に彼は歴史に強いのですよ。
「ただ好きなだけだ」
 そう言いますが、これは職業柄、と言うべきでしょうかね。篠原は好んで歴史小説を物していますから。あれ、とするとやはり好きなのでしょうか。
 今度は私が首をひねっていますと篠原の呼ぶ声が聞こえてきました。そろそろ出かけなくてはなりません。
「なにをおごってくれるのかな、琥珀君」
 嬉々として言う篠原を見ていたら、胸が弾みました。いったいどれほど散財させられるかと思ったら、もう眩暈がしそうです。
 歴史の不得意な私に代わり、今回の話のほとんどは、篠原が私に話してくれたものであることをここで断って、散財の一部なりとも減らせる努力といたしましょう。




モドル