百人一首いろいろ水野琥珀和歌にはよくあることですが、公経の歌はひとつの言葉に二重の意味を持たせた歌でした。日本語の面白さと言うものでしょう。味わい深い余韻を持たせることができますね。たった三十一文字の中に広大な世界が広がります。 山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば 源宗于朝臣の歌で「古今集」に収められています。宗于は光孝天皇の孫にあたりますが、なんともぱっとしない官人であったようです。ですが、三十六歌仙の一人として名を留めました。 本人としてはどうだったか、推し量ることはできませんが、千年の後にまで名を残したというのは大変な名誉ではないか、と私は思います。 三十六歌仙と言うのは一条天皇のころ、当時最も高名であった藤原公任が選び出した名高い歌人のことを言います。彼に選ばれた、と言うだけで人々がもっともだ、とうなずくようなものだったのではないでしょうか。 宗于はあまり名を知られた人ではありません。官位だけで言えば閑職に追いやられた官吏です。光孝天皇の孫とはいえ、臣下に下って源姓を受けた人ですから、扱いは多少家柄の良い貴族、だけでしかありません。 これは私の想像ですが、父親王の羽振りが良かったのならば彼もまた臣籍に下ることはなかったのではないか、と思うのです。手許不如意であったから彼は自ら働かざるを得ない道に進んだのかな、と。 ですが、歌人としては大活躍で、歌にまつわる話を収めた「大和物語」の中ではたいそう人気がありますよ。 山里は寂しい。こうして何物も目に色彩を失った日々は殊更に。 人離れの山の中、草は枯れていく。ゆっくりと、それでも確実に色が失せていく。山からか、それとも私からか。 捗々しくもない人生を歩んできたこの私。老いは私に追いついた。もうこの世の冬がやってきたのだ。 親しいと言えるほどの友もなく、伴侶と言えるほどの女もいない。深々とこの身に積もるのは孤独と言う名の雪。雪は積もって白髪となった。 語り合える友はいないものか。誰もいない。この世の山里。 行き来する人の影も絶え果てたこの地に、冬が来たのだ。 訪れる人も絶え、草木も枯れて行く冬の寂しさがずっしりと体にこたえる歌だと私は思います。 この歌の「かれる」は漢字で書けば「枯れる」であり「離れる」であります。これが冒頭でお話した二重の意味を持つ言葉、ですね。 「離れる」は時間的、距離的双方の意味で使いますが、現代の私たちにわかりやすい名残の言葉を探せば「遠ざかる」と言うときの「さかる」でしょうか。遠くに、離れていく。そのような意味の複合語ではないかと思います。 もっとも、この「かれる」は和歌では常套句と言っていいほど二重の意味で使う言葉なので、少し記憶にとどめておくと、古典的な歌を解釈するのが簡単になる機会がかなりあると思います。 「古今集」の詞書には単に冬の歌として詠んだ、とだけありますが、これはどうなのでしょうね。彼は季節としての冬を詠んだのでしょうか。それとも人生のそれでしょうか。 私は個人的に両方だ、と解釈しました。学者に言わせれば間違っているのかもしれません。けれど歌の鑑賞の仕方としてはそれでも良いのだと思います。 詠み手が意図して含めた意味も、含めなかったものすらも感じ取って味わうのが、歌の楽しみではないでしょうか。 宗于は幸福だったかもしれません、そうではないかもしれません。千年の後にはどうでも良いことです。ただここに歌があり、それを味わう誰かがいる。それだけのことです。 そして感じ取った何かは、その人にとっては紛れもない真実であるのだ、と古今の名手には及びもしない私ですが、歌人である私はそう思うのです。 寂しい話になってしまいました。宗于は人生を楽しんだのではないか、と思わせる話ならばあるのですよ。 それはもう様々な女たちと恋歌のやり取りをしましたし、まだ少女と言うべき年頃の娘に惚れ込んでしまったこともありました。 そんな彼ですから、子供もたくさんいたようです。彼の際を受け継いで歌人となった娘もいましたし、突出して面白いのは博打うちになった息子でしょう。この時代にも博打に身を持ち崩す人はいたのだなぁ、と妙な感心をしてしまいます。 この息子が楽しいのです。博打うちなど、借金と抱き合わせですからね、そのせいでしょう。「大和物語」には親兄弟からも嫌われたので足の向くまま気の向くまま、どこへともなく旅に出た、とあります。 都を出た息子はそれでも友がいたのでしょう、便りを寄越します。 しをりして ゆく旅なれど かりそめの 命知らねば 帰りしもせじ 親父様に叱られて飛び出た旅だからさ、人気のない山道だよ、ここは。ぽきりぽきりと枝を折って印にしたりしてるとな、何だか妙に寂しくなっちまってね。こんな俺だもの、偶々でもその場限りでも頼りにできる人なんていないのさ。もっとも、あちらだって嫌だと言うだろうけれどね。だから、とても都には帰れないだろうさ。何だか俺ももうここまでかなって気がするよ。 叱られることを「しをる」とも言います。山道で枝を折って目印にすることも、同じ言葉を使います。どこか父親と同じ匂いがしますね。 殊勝ぶっているくせに、まだ傲然と顔を上げ、けれど彼の背中には寂しさが漂っている。そんな気がする歌です。私はこの歌が妙に好きなのですよ。あるいはそれは、王朝の頃でさえどうしようもない男はいたのだ、と言う親近感、もしくは諦めの境地かもしれません。 現代のどうしようもない男は、身を持ち崩してこそいませんが、体調を崩してはいます。このところ、何だか嫌な咳をしていて気が揉めるのです。 きっと急に気候が変わりましたからね、そのせいだろうとは思うのですが。普段、口数は少なくとも態度だけは雄弁な人ですから、臥せっていると私まで落ち込んでしまいそうです。 と、ここまで書いたのが数日前。あのあと熱を出してしまったので看病に大童でした。おかげで今は回復しているので、感謝されても良いと思います。どうやらただの風邪だったようです。ほっとしました。 「どうしてそういうことを書くんだ」 向こうで渋い顔をしています。まだ本調子ではありませんからね、原稿用紙の前に座るなど言語道断です。ですからこれはちょうどいいとばかりにこの原稿の添削をしてもらっているのですよ。 なぜ書くのかと尋ねられましたが、簡単なことです。このようなことを書かれるのは大変に恥ずかしいことではないでしょうか。ですから、書くのですよ。読者の皆さん方の目に触れれば、多少なりとも行状を改める一因くらいにはなりはしないかと思って。 |