百人一首いろいろ

水野琥珀



 秋の夕陽の話をいたしましたら、ついこの歌が浮かんでしまいました。秋と言うならば、やはり月のほうが似合っていると思うせいかもしれませんね。秋の物思いには月がよいものです。夕陽ならば春でしょうか。春霞の夕陽など、ちょっと美しいとは思いませんか。とは言え話がそれてしまいました。



 秋風に たなびく雲の 絶えまより
 もれ出づる月の 影のさやけさ



 左京大夫顕輔の歌です。この人は遠く藤原不比等の子孫になります。不比等の子、房前の息子の魚名と言う人の後裔にあたります。それを言うならば当時の貴族はみな親戚、と言うことになってしまいますけれどね。
 こんな話もあります。顕輔の父・顕季は大納言実方の養子になっているのですよ。実方、と言えば「さしも草」の歌の彼ですね。以前ご紹介いたしました。三蹟の一人、行成と喧嘩騒ぎを起こしたあの人です。こうやってたどっていくと、本当にどこかで血がつながっていて中々面白いものです。
 さてこの歌ですが「新古今集」に収められています。ただ元々は崇徳院に奉った「久安百首」の中の一首と言うことです。
 父に認められた歌人だけあって、と言いましょうか、顕輔も有名な歌人です。「詞花集」の選者にも選ばれています。



 沖天に、雲が流れている。秋風が強いのだろうか。ゆく雲は途切れ途切れに吹き渡り、空の彼方へと過ぎ去っていく。
 薄雲の、途切れたその隙間からもれ出る明かり。冷たいほどの月影が。なんと澄み切った光なのだろう。
 秋の高く透明な夜空に射し込んだ一条の月光のその静かさ美しさ。



 平明で、訳す必要もない歌ですね。口にのぼせやすく、それでいて雅な風格もあります。正にこれこそ秋の月夜の姿でしょう。
 現代では、人家がたくさんありますからね。当時の都の闇を見るには山の中にでも行くよりないでしょう。
 思うのですよ。きっと何一つ零れる明りもない闇夜です。堅く閉ざした蔀戸は凝ってそこにあると定かに見ることも出来ません。顕輔は明りもつけていなかったのかもしれません。あるいは、ふと夜半に目覚めたのかも。
 そして見上げた空はちょうど雲が切れるのです。さっと射し込んだ月光は、いかほどばかり鮮烈であったことでしょう。
 驚いたことと思います。昼をも欺く、と言う言い方をいたしますが、本当にわずかの間は朝が来たのかと思うほどの明るさではなかったかと思うのですよ。
 羨ましいですね。我々はいわゆる文明生活を手に入れましたが、ずいぶんたくさんの自然の美を失ったような気がします。
 顕輔はいったいこの月を見てなにを思ったのだろう、と夢想します。あまりに綺麗で何も考えなかったかもしれませんね。美しすぎる月と言うものは人の思考を奪うもののようにも思えます。
 顕輔の父は面白いお人です。彼は確か以前、柿本人麻呂の歌のところで少しお話いたしました、人麻呂影供を行った人です。
 藤原兼房と言う人が居たのですが、その人が人麻呂を夢に見て画像を描いたと言うのです。そしてそれを白河院に献上しました。
 顕季は人麻呂を尊敬することかねてよりのことなので、白河院にお願いして画像を写させていただいたのです。それが人麻呂影供の絵となりました。
 後に元々の白河院に献上された画像は焼失してしまったものですから、顕季が持つものだけが、人麻呂の絵姿と言うことになってしまいました。
 ですから彼はそれをたいそう大切なもの、と思ったのです。我が子といえども和歌の上手ならざる者には決して画像を伝えまい、と言うほどに。
 幸いにして顕輔は和歌の誉れがありました。なんと言っても勅撰集である「詞花集」の選者ですからね。それで末の子である顕輔に人麻呂の画像は伝えられた、と言うことです。
 それはやはり当人にとっても嬉しいことだったのでしょう。父の意を受け、六条家歌学を興します。六条家、と呼びますのは父・顕季の頃より邸宅が六条烏丸にあったからとのこと。
 以来、歌の師といえば六条家、とまで言われるようになります。後のことですが、俊成・定家親子の御子左家と対抗、あるいは並び称されるようになります。
 ですが、顕輔のほうが一世代近く年上のせいもあるのでしょうか。俊成親子より以前の歌壇の雄として名高かったのは、顕輔でした。



 この歌のことを書いたせいでしょうか。なぜか無性に月が見たくてなりませんでした。
 一般的に月光は冷たいもの、と言いますけれど私にはどこかぬくもりがあるようにも見えるのですよ。なぜでしょうね。
 確かに青くさえ見える光は冷たさのほうが先に立ちます。それでも私は仄かなぬくもりをそこに見てしまいます。あるいはそれは私が単に月が好きである、と言うだけかもしれません。
 我が家は家主殿の無精のせいもありまして、庭木が生い茂っています。手を入れればずいぶん見違えると思うのですが、なにせ無精が服を着て歩いているような篠原です。
「ならばお前がやるといいさ」
 以前からそう言われ、私も何くれとなく手を入れてはいるのです。けれど庭木の剪定までは手に余るのですよ、いくらなんでも。
 確かに多少の剪定くらいならばしますけれど、本格的には中々。おかげで我が家の庭はおどろおどろしく木々の葉が生い茂ることにもなってしまいます。
「風情があっていい」
「どこがですか」
「月を見るにはそのほうが美しいとは思わんか」
「夏には蚊が出ますよ、篠原さん」
「……散文的な男だな」
 そう、篠原は呆れますけれど、私が実務を見なければいったい彼はどうやって過ごしていくのでしょうか。
 時折、疑問に思います。私が篠原と出会ったのは二十代のはじめですが、当時彼はすでに三十を超えていたはずです。
 何だか空恐ろしくなってしまいました。いったい篠原はそれまでどうやって生活していたのでしょうか。
「他に面倒をかけていたに決まっている」
 ぬるい茶をすすりながら嘯くのは、当たり前ですが篠原です。私に答える言葉はありません。そのようなことを偉そうに言える男がこの世にいるものでしょうか。
 庭に出て月を見上げます。どうやら今夜はさやけき夜空、とは行かないようです。荒模様の空に風が冷たく吹き渡り、知らず体が震えました。
 物音にふと振り返りば無言のまま羽織が飛んできました。家主殿はまだ茶をすすっています。




モドル