百人一首いろいろ

水野琥珀



 景色と言うものは、人の見る目によって変化するものでもあるものです。同じ情景を見ても若者と老人では感じ方が違うものでしょう。
 季節もまた同様かと思います。秋の美しさに心を躍らせるより、そこに人の身のはかなさを見てしまうのが年齢、と言うものかもしれません。



 さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば
 いづくも同じ 秋の夕暮れ



 良暹法師の歌です。百人一首の歌人には、来歴の詳らかではない人がずいぶんいるものですが、この人はほとんど何もわからない、と言ってよいほど家系も経歴も未詳なのです。
 十一世紀前半の人、とだけはわかっていますが、それ以上のことはたいしてわかりません。一説に祇園の別当であり、母は藤原実方に仕える女童で白菊と言う人であった、と言いますがさてこれもどこまで信憑性があるものか。
 とは言え歌人に経歴など必要ないという考え方もあるもので、いずれにせよ良暹法師は新古今時代に先駆ける名高い歌人であったことだけは確かなようです。
 この歌は「後拾遺集」に収められている歌ですが、それ以外にも「詞花集」「千載集」と彼の歌を収めた歌集はたくさんあるのです。そこからも良暹法師がたいそうな歌人であったことがうかがえます。



 この一人住みの荒れ屋、人気もない山里に満ちてくる寂寥。まるで我が身を押し包むようなそれに耐え兼ね庵を出てみた。
 辺りを見回すでもなく眺めてはつい、物思いにふける。ゆるゆると霧が立っているのだろうか。山は遠くぼんやりと色を失くしている。
 この身に染み渡ってくるのは、どうしようもない寂しさ。秋風が、人としての秋を迎えた私の体に吹き付ける。
 どこも同じだ。我が身も、そしてこの世の中も。秋は同じように来て冷たく心を震わせる。寂しげな夕暮れは山里を照らすのか、それとも私をか。いずれにしても、同じことだな。



 読むたびに、ぎゅっと心を鷲掴みにされる心地がします。なだらかな詠み振りのどこにこれほどの力があるのかと思わざるを得ないほどの寂寥は、やはり彼自身の実感のせいではないかと思います。
 「後拾遺集」の詞書には題知らず、として出ていますが、「詞花集」のほうには大原に住みはじめたころに詠んだ、とあります。
 なぜ「後拾遺集」には題知らずとしたのか、それも気にかかるところではありますが、「詞花集」によって良暹法師が大原に住んでいたことだけはわかります。
 当時、大原と言えば隠棲したり、ちょっと遠乗りにでも行ってみようかと言うような、都からは離れた地です。
 そこに一人住み暮らした良暹法師はいったい幾つくらいだったのでしょうね。この歌からは流されるよりなくなってしまった年齢と言うものを感じさせるのですが。
 私は良暹法師と言う歌人が恐ろしいのかもしれません。このような易しい、単純な言葉を使ってこれほどの寂しさを表現できる彼と言う歌人が怖いのです。
 寂しいときに寂しいと言って通じるものではないのです。ですからそこに表現と言うものが生まれる。もっとも、私にそう言ったのは篠原ですが。
 我々歌人は三十一文字と言う制限の中にありとあらゆる感情をこめます。その分、言葉足らずにもなることもありましょう。
 ただやはり、寂しい愛しいと言って通じるものならば、人は歌を生まなかったのではないかとも思います。言葉を尽くして伝えきれないものがあるからこそ、人はそこに何かを見て欲しい、感じ取って欲しいと歌を詠むのではないかと私は思うのです。そこがあるいは小説とは違うところなのかもしれません。
 しかし良暹法師は最初から寂しい、と言っているのですよ。それでいて空恐ろしくなるほど、秋を感じます。秋が寂しいのは常套句と化していますのにね。知らず涙が滲むほど、心細くなる歌です。
 そんな良暹法師にも面白い話があります。彼はどうやら歌を誰かから学んだわけではないようなのですね。それはそれでぞっとするような歌才ですが。
 独学で学んだらしい良暹法師、ちょっとした失敗をしています。

  ほととぎす なが鳴く里の あまたあれば
  なほ疎まれぬ 思ふものから

 と言う歌が「古今集」にあります。ほととぎすよ、お前さんが鳴く里があんまり多いものだから、お前さんのことは好きなんだけれど、ちょっと嫌になることもあるのさ、とでも言うような歌意でしょうか。このときにほととぎすが差しているのは女ですね。つまり男が女の多情を少しばかりなじった歌というわけです。
 なが鳴く、は汝が鳴くです。これを良暹法師は長鳴くだと思い込んでしまいました。そこで良暹法師はついにやってしまいます。

  宿近く しばしなが鳴け ほととぎす
  今日のあやめの 根にもくらべむ

 五月五日のほととぎすを詠んだ歌なのですが、この日は端午の節句ですから菖蒲の根を引くのですよ。長いほど縁起がいいものらしいですね。
 そこで菖蒲の根とほととぎすの鳴き声とどちらが長いか比べようと言うのですが。
 その場にいたある人が意地悪を言うのですよ。ほととぎすと言うのは長く鳴くものなのかねぇ、と。わざとやっているに決まっています。当然、良暹法師は典拠として古今集を持ち出しますよね。そこで一同「そりゃ、汝が鳴くだよ」と言って爆笑になってしまったということです。まったく散々ですね。ですがどうも馬鹿にされたという雰囲気でもないのですから、良暹法師はそのようなことを冗談半分に言い易いお人だったのかなとも思います。



 ここに一人、まったく冗談の下手なお人がいます。下手な冗談なら言わぬがましと思うのですが、あれは私の神経を逆撫でして喜んででもいるのでしょう。精神の健全さに難のある男ですね。
 前日も、まだ風邪がよくなっていないと言うのに仕事をしだそうとするものですから、私としては止めざるをえません。篠原のところに居候をしだした頃から、彼の仕事の管理はある程度私がしていますから今すぐやらねば間に合わない原稿と言うのはないはずなのですよ。もっとも、創作活動と言うものが時間で区切れるとは思ってはいませんが。
 とは言え、体調不良のままに書いたものがよかろうはずもありませんしね。やはり止めました。
「いい加減、ご自分の体調くらいご自身で管理してくださいよ。飽きましたよ、私も」
 いい年をした立派な大人の男のまるで親代わりをすると言うのもこれで疲れるものです。そうしたら篠原、珍しく言い返してきました。
「飽きたなら、出て行けばいい」
 ほとんど捨て台詞ですね。私がいなければどうやって生活するのか、まったく見物ですよ。こういうときの彼は止めてやはり正解なのです。これは私に隠してこそいますが、よほど体調が悪いのです。
「冗談だ」
 ぼそりとかぶった布団の間から聞こえてきました。ほら、どうですか。やはり下手な冗談だと私は思います。私も私ですけれどね。そんな謝罪めいた言葉が聞こえたとき、私の手には緩く煮たおじやがありました。




モドル