百人一首いろいろ

水野琥珀



 そこにある秋、というものも、見る人が見ればまた違うものになるもののようです。ある人はそこに切なさを見、ある人は美を見る。あるいは景色とはそのようなものかもしれません。



 しらつゆに 風の吹きしく 秋の野は
 つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける



 なんという清々しい歌でしょうか。冷たい秋風の匂いがしそうな歌だ、と私は思います。詠み人は文屋朝康と言って「むべ山風を」の康秀の子、と伝えられています。いつものことですが、経歴の詳細はわかりません。
 一説に「むべ山風」の歌はこの朝康が詠んだものではないか、と言います。古い写本のいくつかには「あさやす」とあるそうです。その歌が読まれたときの歌会も、康秀だとすると少し年齢があわないそうなのですね。存命だとしても相当な高齢ではないか、とのこと。
 それがもしあたっているのでしたら、この朝康はたった一人、百人一首の中に二首取られた歌人、と言うことになりますね。それはそれで中々に面白い想像です。



 さやさやと、一面の草むらにしきりに風が吹きつける。揺れ動く草の葉の波のその美しさ。今ここは秋の野なのだ。
 見れば草の葉の緒に貫かれた玉が。なんて美しい玉。水晶の玉。
 ふと風が吹けば葉が揺れてはらり。水晶が零れ落ち葉が跳ねて。もう一つはらり、玉が零れた。



 こういう歌は訳してはいけませんね。「むべ山風」のときにも同じことを思いましたから、本当にこの二首は同じ人が詠んだ歌なのかもしれません。
 「後撰集」の詞書には「延喜の御時歌召しければ」とありますが、実際は寛平年間に催された中宮主催の歌会での歌ではないかと言うことです。
 さて。古来、玉といえば真珠です。ただこの歌の場合、私は水晶のほうが適当ではないか、と思いました。草の葉の上に乗った水滴は、真珠と言うよりは水晶の玉のように見えませんか。
 それが秋の透明な光に照らされ風に吹き散らされる様など、脳裏に思い描くだけでときめきを覚えます。
 この朝康と言う男はどんな男だったのでしょうね。日ごろから水晶や真珠、あるいは翡翠、そのような宝石に親しんでいた男かもしれません。緒で貫きとめた玉、というものは装身具として好まれたと言うことですし。
 想像の翼を巡らせて見ることにしましょう。ある日、朝康は、装身具を壊してしまったのではないでしょうか。緒から抜け出て飛び散った玉が床の上であるいは跳ね、あるいは転がりしたところが妙に印象に残っていたのかもしれません。
 そして秋の野に出ます。そこで見たものはあの日の玉の姿ではなかったでしょうか。吹き付ける風に飛び散る水滴は、正に水晶の玉に見えたことでしょう。
 水滴を玉と見立て、草の葉を緒に見立てるのは王朝の歌ではよくあることです。玉の緒に見做されているのは秋の草ですから薄でしょうか、萩でしょうか。まだ咲き残りの萩の花が一つ二つ哀しげについていたりすると、溜息が出そうですね。
 ここでは装身具、としましたが、玉の緒と言えば魂の緒、でもあります。同じく「たまのお」と読みますし。そう取るならば、装身具ではなく数珠であってもいいかもしれませんね。
 秋風に散らされていく玉、自分の魂。数珠さえ壊れて散っていく、その儚さ。それはそれで面白い解釈ではないかと思います。ただ、時代的にそこまでの無常観はまだなかったかな、とも思うので装身具、といたしました。だからと言って朝康が無常を持たなかったとは言い切れませんので余談として御紹介いたしました。
 王朝初期から末期に至るまで、露を玉に見立てる歌は数限りなくあります。そのなかでも王朝末期の無常観、と言うならばやはり源氏物語を今回もあげることにしましょうか。
 紫の上が死の床についた場面です。時の中宮は彼女の養い子でしたので、見舞いに訪れています。

  置くと見る ほどぞはかなき ともすれば
  風に乱るる 萩のうわ露 ――紫の上

  秋風にしばしとまらぬ 露の世を
  たれか草葉の 上にのみ見む ――中宮返歌

 そして紫の上は露のように消え果た、と記されています。王朝末期らしい、儚さが前面に出た露の歌ではないか、と思います。
 露の歌は常套句になっているほどですから、難しいものですね、かえって。私はあれだけの歌を詠み分けた紫式部と言う人を尊敬していますが、この露の歌に関してはやはりと言いましょうか、朝康に軍配を上げたいと思います。
 時代の差は当然のこととして、割り引くとしても朝康の歌は美しい。真実、美しく素晴らしいものと言うのは、どの時代でも、価値観が変わったとしても評価されるものではないでしょうか。朝康は貴族として、あるいは官吏として名を残すことはありませんでした。ですがここに彼の歌は残っています。



 私はそれほど宝石類に執着するほうではありませんし、篠原もそうです。もっとも、たいていの男性はそうでしょうけれどね。
 ただ我々は普段、着物を着ていますから必需品があるのですよ。ことに篠原はそうです。私は外出するときなどはいまでは洋装をすることも多々ありますし。
 篠原は頑固に和装一辺倒です。何かの都合があって洋装をしなければならないときなど、行くのをやめたがるほどですからね。かといって似合わないわけではないのですよ。年齢にしては上背もありますしね。
 私など小柄で貧相なものですから、そのような篠原が少しばかり羨ましくはあるのですが、本人は着物以外を着たがりません。
 彼に言ったことはないのですけれどね、私はちょっと思うのですよ。あれはもしかしたら面倒くさいだけではなかろうか、とね。篠原だったら充分にありえることではあります。
 必需品の話でした。着物を着ているとポケットと言うものがありませんので、細々としたものを持ち歩くのに多少、不便です。我々は手元に紙と筆がないと落ち着かない人種ですからそれは大変困ります。
 そこで利用するのが巾着と根付ですね。私は巾着の中に薄い紙束と小さな鉛筆を入れていますが、篠原など横着なもので昔の煙草入れを利用しています。それを帯に留めるのが根付、と言うわけですね。
 根付の材も色々あるもので、あまり高価なものは手が届きませんが、旅に出たときなど骨董店を回るのも楽しいものです。
 手に馴染んだ象牙の温かさ、というものもよいものですが、瑪瑙のひんやりと手に吸い付く感触も捨てがたいのですよ。水晶や珊瑚で作られたものもありますしね。確か篠原は琥珀材の根付を持っていたはずですよ。




モドル