百人一首いろいろ

水野琥珀



 秋の歌と言うならば、この不思議な歌も外すわけにはいきませんね。考えるだに不可思議で、かつ調べの美しい柔らかな歌です。



 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
 わが衣手は 露にぬれつつ



 百人一首の冒頭を飾る有名な歌です。そして有名でありながら、本来誰が詠ったものか判らない、と言う珍しい歌でもありますね。
 百人一首では、この歌を天智天皇の御製としています。が、元々は「万葉集」に詠み人知らずとして収められている歌です。詠みぶりも天智天皇時代のものとは甚だしく違い、紛れもない古今調の歌です。当然、選者である定家はそのことを知っていたでしょう。知っていながらなぜ、この歌を天智天皇御製としたのか、想像すると面白いものですね。



 実りの秋の田の守りを私はしているのだ。豊かに実った稲穂が揺れる。鳥や獣が狙っているではないか。
 だから私はここにいるのだ。儚い秋風を眺めてすごしせば、すぐに刈り取りが始まるだろう。
 刈り取りまでのほんのわずかの間の番のため作った庵は屋根も粗くて苫の隙間から露が滴るばかり。
 その露に、私の袖は次第次第に濡れそぼっていくのだな。



 中々解釈の面倒な歌ですね。定家はこの歌を、言外に静寂に余情がある、と言う意味の幽玄を表す歌の例としてあげています。
 ですからこの歌は天皇が農民の苦労を思いやって詠んだ歌、と解釈してはいけません。いけないことはないでしょうけれど、それでは王朝の歌らしくはないのですね。
 定家はこの歌を王朝の歌、として選びました。ですからここは秋の情景の静寂と儚さを前面に出すべきでしょう。
 この歌は、非常に王朝的な歌、と言いますかわかりやすい技法が使われていて大変、それらしい、歌です。
 かりほ、と言うのは本来は「仮庵」と書きます。ですから「かりほの庵」と言うのは重なった言葉なのですね。同じ言葉を重ねて語調を整えています。
 「苫をあらみ」と言うのも平安後期からよく使われた用法で、「――を・形容詞の語幹・み」と言う形で「何々が、何々なので」と言う意味になります。
 「衣手」も言うまでもなく一種の重なった言葉でこれは歌にだけ使われる言葉です。「ぬれつつ」に至っては紛れもない古今調の用法で少しずつ濡れていくことの経過と感慨を表現します。
 こうしてあげていくとすべての語句がこの歌は王朝の歌だ、と主張してでもいるようではないでしょうか。
 ここまでくるといっそ見事と言わねばなりませんが、それにしても定家はなぜこの歌を天智天皇御製として冒頭に掲げたのでしょうか。
 定家の時代、皇統は天智天皇の子孫が受け継いでいます。朝廷では天智天皇を尊崇する気持ちが高かったことでしょう。
 ですが、定家と言う男はあれで中々ひねくれた男でもあったようですから、そのようなことで冒頭歌を選ぶとは私は少し思いにくいのです。
 だからと言ってではなぜなのか、と問われても私には明確な答えを出すことが出来そうにはありません。
 現在でも、天皇陛下は儀式として田植えをなさいます。それを念頭に置いてこの歌を選んだ、と言うのも解釈の一つでしょう。
 天智天皇は一大改革を成し遂げた天皇です。そして改革を為そうとして果たせなかった天皇、それが後鳥羽天皇です。定家と後鳥羽院は非常に親しい間柄でもありました。
 ですから果たせなかった夢として、あるべき後鳥羽院の姿としてこの歌を捧げたのだ、と言う解釈のひとつでしょう。ですが、どうもやはりいまひとつしっくりはきませんね。
 天智天皇がどのようなことを成し遂げたのかは、有名ですから改めて言うまでもないことかもしれません。ざっとおさらい程度にしましょう。
 天智天皇は、皇子のころ中大兄皇子と呼ばれました。そのすぐ側に付き従ったのが、中臣鎌足、のちの藤原鎌足です。二人は策を練り、朝廷を席巻していた蘇我氏を打倒します。これが乙巳の変、その後に行った改革が大化の改新ですね。
 乙巳の変の計画段階で、まず二人が近づいたのが軽皇子、のちの孝徳天皇です。ですが二人はこの皇子に見切りをつけたのでしょう、早々に見放します。
 その証とも言えるのが、間人大后ですね。大后は中大兄皇子の同母妹です。当時は異母兄弟と言うのは他人も同然ですから、結婚も可能でした。ですが同母兄弟はいけません。
 改革を行った自分には、それも許されると思ったのでしょうか。あるいはそれこそが新しい時代を始めた自分と言うものの権力の象徴だと思ったのでしょうか。中大兄皇子は妹と恋仲になった、と言うことです。そのせいで正式な即位が遅れた、との見方もあるくらいですから当時もその話しは知れ渡っていたのでしょう。
 恋を手に入れ、武力を掴み、歌を詠っては人生を謳歌した、天智天皇。多趣味で奔放な匂いのする後鳥羽院とは、なぜか少しばかり重なる気がしてくるようです。



 現代のひねくれ者はいったいどう考えるのでしょうか。ちょっと聞いてみたくもありますね。
 ですが、質問を発した途端に出かけてしまいました。あの出不精極まりない篠原が、ですよ。これはよほど答えたくないか、それとも答えを持たないか、ですね。
 私としては答えを持たないほうに賭けることにいたしましょうか。出がけに見た横顔が、少し不機嫌でしたしね。
 など一人密かに笑っていたらあっという間に篠原が帰ってきました。不思議なこともあるものです。当分帰ってこないと思っていたのに。
「早いですね」
「雨だからな」
 言われて見れば先ほどから雨が降り始めました。さすがに慌てましたよ。篠原はとても丈夫とは言いがたいので、雨になど濡れられたら間違いなく風邪を引くんです。私の手間が増えるじゃないですか。
 ばたばたし始めた私を呆れ顔で見ている篠原でしたが、やはり顔色が冴えません。早速、熱でも出しているのでしょう。ここは熱い甘酒でも作って差し上げましょう。この段階で手を打っておけば、後の苦労が少なくなる、というものです。
「琥珀」
「なんですか」
「ちょっと」
「いま忙しいんです、見てわかりませんか」
「あのな……」
「なんですか」
 さもうるさげに言ってしまいました。とんだ居候もいたものです。多少の後悔をする私の前に差し出されたのは篠原が気の入りの団子でした。私好みの生菓子も、買ってきたくれたようです。これには私も参りました。家主殿には、もう少しばかり優しく接したほうがよいかもしれません。




モドル