百人一首いろいろ

水野琥珀



 もの思わしげな秋もふけ、冬の冷たい匂いのする寂寥と言うものもよいものです。春は香りで感じますが、してみれば秋は音、ともなりましょうか。風の吹き抜ける音、鹿の愛惜の声。秋は様々な音に満ちています。このような音もまた、秋の音でしょう。



 み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて
 ふるさと寒く 衣うつなり



 詠み人は参議雅経。本名は藤原雅経といいます。参議の位をいただいていたから、参議雅経、と言うわけですね。
 この歌は「新古今集」巻五、秋の部に収められている歌で、「古今集」坂上是則の歌「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」本歌としています。
 本歌取りの歌として、非常になだらかでよい歌だと私は思います。歌の向こう側に確かに本歌の気配が窺われながら、それでも力強い雅経の歌となっています。
 力強い、と言うのも妙な表現ですね。ですが私はそう感じてしまうのです。この歌からは、秋の音から、ふと気づけば肌に冷たい雪を感ずる、そのような気がします。
 そのような意味では非常に感覚的な歌で、また現代語訳が厄介なものですね。このような文章を書きながら言うことではない、とも思うのですが、和歌というものは現代語訳して味わうものではないような気がします。
 あるいは、それは私が歌人だからかもしれません。どなたか、和歌をお好きな現代詩の詩人がいらしたら、そのような方こそが適任であったのかな、とも思います。とは言え、なんとか挑戦いたしましょうか。



 吉野の山よ、山から吹く秋風よ。どこにゆくのか。風は吹く、吉野の古い都へ。都の跡へ。いまはもう、どこにもかつての都人はいない、あの荒れ果てたふるさと。
 聞こえる、と言う。あれは、砧打つ音か。都人が去っていったこの吉野で、いったい誰が人を待つと言うのだろう。帰ってはこない誰を待つと言うのだろう。
 あの寂しげな音。風の冷たさ。あたかも物思えと責めるがごとく。あぁ、冬がやってくる。深々と降り積もる雪はかつての都を、いっそう寒々とさせるのだ、と言う。



 最前、「古今集」からの本歌取り、と言いましたが、もう一つ強く意識されているはずのものがあります。和歌ではなく、これも当時の貴族たちの常識であったはずの漢詩です。
 李白の名は、現代でも有名ですね。当時の貴族たちにももてはやされました。李白の詩に「長安 一片の月 万戸 衣をうつの声」と言う一節が名高いものがあります。
 おそらく雅経はこの漢詩も下敷きにしているのでしょう。李白の詩の大まかな内容は、遠征に行った夫の帰りを待つ妻が一人無事を祈って砧を打つ心持ちを詠うものです。夫のほうはどうなってしまったか、ちょっと失念いたしましたが、私の印象では帰ってこなかったような、気がいたします。そういう、寂しい詩なのですね。一応、現代語訳は李白の詩も踏まえて訳してみました。
 元々砧を打つ音、というものは貴族が常日頃耳にするものではないようです。砧を打つ、と言うのは布を叩いて柔らかくし光沢を出すことを言うのですが、これは庶民の手作業、と決まっています。と言うより、そういう約束事、なのですね。言ってみれば探偵小説で最後にちゃんと謎解きがあるようなものでしょうか。
 「源氏物語」にも砧を打つ音が聞こえる場面があります。光源氏が、夕顔の家に泊まったときのことですね。あのとき女は砧を打つ音や、炊ぎの音が男の耳に達するのをひどく恥ずかしいもの、と思っていました。それだけそのような日常の音は貴族には縁のないものと言うことになります。
 源氏、といえば光源氏最大の好敵手、頭中将の息子、柏木が蹴鞠をする場面もありますね。あのとき柏木は光源氏が望まなかった妻、女三の宮の姿をちらりと覗いてしまって――とまた新たな話がはじまっていくのですが、あの場面で蹴鞠はとても華やかでしどけない青年貴族の美しさを描いています。
 その蹴鞠と雅経は非常に強い関わりがあります。雅経と言う人、和歌に優れていただけではなく、蹴鞠の名手でもありました。

  なれなれて 見し名残りの 春ぞとも
  などしら川の 花の下かげ

 と言う歌があります。歌意としては、ずっと見慣れていていつまでもそこにあると思っていた桜の木だったけれど、この春が最後の別れだったとは思いもしなかった。知りも知らなかったよ、白川の桜よ。と言うところでしょう。
 この桜の木、ただの桜ではないのですね。蹴鞠をするときには四角く四隅に木を植えるのだと言います。東北に桜、東南に柳、西北に松、西南に楓、だそうです。この歌の枯れてしまった桜はこの桜なのですね。
 いかにも和歌と蹴鞠に通じた人らしい歌です。雅経はただの蹴鞠好きではなく後鳥羽院に蹴鞠をお教えしたことでも知られています。ついには飛鳥井流を開いたので、藤原雅経というより飛鳥井雅経といったほうが通りがよくなってしまったくらいです。



 蹴鞠は、日本に伝わった当時はもっとずっと激しい運動だったのではないかな、と思います。中大兄皇子と鎌足の話、覚えてらっしゃる方も多いでしょう。皇子が蹴鞠をしていて脱げた靴を鎌足が拾ったのでしたね。平安貴族の蹴鞠はもっと儀式的なものになっていったようですが、若い貴族は遊びですることもあったのではないかな、とも思います。現代の日本では、蹴鞠ならぬ蹴球というものがありますね。
「なにを偉そうに。ちっともやったことなんかないだろうに」
 また、篠原です。えぇ、やったことはありませんよ、でも篠原には言われたくはないですね。なんと言っても稀代の無精者ですから。運動、と名のつくものはもしかしたら一切したことがないのではないでしょうか。
「篠原さん、最後に運動したのはいつですか」
 つい問いかけてしまいました。意地悪だったかな、と尋ねてから思ったのですが。私が思うに、篠原が運動したのはたぶん、甥と遊んだのが最後ではないか、と。普段、机にばかり向かっている人が慣れない手で小さな甥とキャッチボールなどしているところは大変微笑ましかったのですが、あとが大変です。全身が筋肉痛で立つも座るもならなくって。
「思うに――」
 どうやら篠原は真剣に考えていたようですね。いまは実家に戻った甥のことでも思い出していたのでしょうか。少しばかり楽しげな顔をしています。
「昨日の風呂掃除じゃなかろうかね、琥珀君」
 私が甘かったことを痛感しました。篠原は、こういう男です。可愛い甥のことなんか、思い出してもいなかった、と言うわけですね。そもそも、風呂掃除は運動ではありません。




モドル