百人一首いろいろ

水野琥珀



 このところずっと冬の歌をご紹介してきましたから、このあたりで暖かく参りましょうか。春もたけなわ、爛漫たりつつも清らかな歌です。春の歌、と聞くだけで心が弾むのはなぜでしょうね。どこかうきうきとしてきます。



 高砂の 尾上の桜 咲きにけり
 外山の霞 立たずもあらなむ



 詠み人は前中納言匡房、大江匡房です。「後拾遺集」の詞書には、内大臣の屋敷で宴があり、そのとき「遥望山桜」と言う題を与えられて詠んだ、とあります。
 ですから、山桜の美しさを詠むことも当然ですが、それを遥かに望むことのほうに主眼が置かれています。
 まず、現代語訳をする前にその情景を思い浮かべてみてください。細かい語句がわからなくともちっともかまいません。
 我々は知っているはずです、遠くに霞む桜の美しさを。私などは年代のせいでしょうね、桜と聞くと胸がずきりとしますが、それでもやはり美しいものは美しいのです。
 どうでしょう、ご想像なさいましたか。あなたの瞼の裏に映った景色はどのようなものでしょうか。ここで匡房の目に映った情景を、見てみることにいたしましょう。



 杯から目を上げて、ふと景色を見やる。ほっと息をつけばかすかな酒の匂い。うっとりとするような春の一日。
 遠く山々を見れば、高き山の頂にぽつりぽつりと白いもの。ほんのりとした雲か、いや、あれは桜か。
 都の春はすでにたけなわ。深山にもようやく春が訪れたか。
 ようやく咲きはじめた深い山の桜のために、どうか人里近い山々の霞よ、立たないでおくれ。山の桜と紛れてしまわぬように。



 彼が見た桜の景色はこのようなものでした。なんとも胸が弾む春の景色だとは思いませんか。
 高砂、と言うのは砂が高く積もった場所、の意から山のことを指します。一説には兵庫県の地名であるとも言いますが、この場合は大らかに山、と解釈したほうが歌意にあうよう、私は思います。
 外山は深山に対する言葉で人里に近い低い山のことです。高砂の尾上を遥かに仰ぐ里の山、と言うところでしょう。
 いまの我々にはわかりにくい語句が若干ありますが、それでも遥かに望む山桜の美を、技巧を弄せず歌った純で格調の高い歌だと思います。
 王朝の歌人と、同じ気持ちになりませんか。このような歌を目にすると。
 私たちも同じではないでしょうか。桜を見れば曇ってくれるなと願い、どうかもっとよい天気でと祈る気持ちは。
 そう思うとなぜかとても親しみやすく感じます。
 大江匡房、と言う人はもう大変な俊才で幼いころから天才の誉れも高く漢学者、詩文家として有名です。
 どちらかといえば、和歌よりも漢詩の上手、だったようですね。それを思えば当時の知識人たちの教養のほどが窺えて空恐ろしいようですよ。この歌を詠む匡房にして、和歌より漢詩、と言わしめるのですからね。
 彼が生きた時代は王朝文化の末期、と言っては聞こえが悪いですが退廃しつつある時期です。四代の天皇に仕え、柔らかい文学だけではなく、軍学から有職故実まで修めた、正に天才です。
 大江家は、代々学者の家柄ですが、この匡房は傑出していると言えましょう。学問に携わる人としては異例の昇進を遂げ、権中納言正二位大蔵卿にまでなっています。
 どうです、こう聞くといかにもお堅い学者様、を想像しませんか。実際、私もそうでした。もうこれは机にかじりついて勉学ばかりに励んでいるような人柄であろう、と。
 ところがまったく違うのですよ、なんと素敵な人だろうかと感嘆しました。
 若いころの話ですが、宮中で女房にからかわれた、と言うのですね。女房たちも私と同じ勘違いをしていたと見えます。
 これは堅いばかりの学者であろう、少しからかってやれ、とそういうことのようですね。枕草子などを読んでもそうですが、宮中の女房たちは意地が悪いといいますか茶目っ気があると言いますか、時折そのようなことをいたします。
 ある女房が、通りがかりの匡房を御簾のそばへと呼び寄せました。そこからつい、と差し出したのが和琴、いわゆるあずま琴です。
 そしてこれを弾いてみてくれないか、と言うのですね。きっと御簾の内では女房たちのくすくす笑いがしていたのだろう、と思えば本当に意地の悪いことをするものだと思いますよ。ですが匡房は私と違って動じません。

  逢坂の 関のこなたも まだ見ねば
  あずまのことも 知られざりけり

 と、東のこと、東国のことですね。それとあずま琴をかけて即妙に返したのですよ。女房たち、揃って声もなく返歌もできなかった、と言うことです。よほど驚いたのでしょうね。
 四歳のときにはじめて書を読み八歳で史記・漢書を読み通し、十一歳にして詩を作り帝のお褒めにあずかった、と言う人が、よもやこれほど洒落けのある人だったとは。思いもよらず、楽しいものです。



 洒落け、といえば篠原ですが。世の人々にはどうもよほどお硬く見えているようで、私など驚いてしまいます。
 確かに書くものからすれば、柔らかい人には見えませんね。それにとんでもない人嫌いだというのでも有名ですし。
「そうやって書くから、よけい人嫌いのように思われる」
 おやおや、また人の手元を覗いていますよ、篠原は。どうやらご自分の原稿が進まない様子です。
「そうは言っても、人嫌いに違いはないでしょうに」
「よく知らない人間が出入りするのが煩わしいだけだ」
「ちなみに篠原さんが言う、よく知っている人、とはどこを指すんですか」
「お前とうちの甥、それと叔父だ」
 きっぱり言ってさっさとどこかに行ってしまいましたよ、あの男は。そういうのは、よく知っている人間、ではなくて身内、と言うのです。もっとも、そこに私が入っている辺り、身内同然に思っていただいて喜ぶべきでしょうけれどね。
 呆れ交じりで溜息をついていたら、玄関のほうで忍び笑いが聞こえます。どうやら私はからかわれたようですよ。機嫌よく散歩から帰ってきた篠原はお土産にみたらし団子を買ってきてくれました。篠原忍とは、こういう男でもあるのです。




モドル