百人一首いろいろ

水野琥珀



 同じ春の歌でも、この歌は若いころにはすっと胸のうちに染み入ってこない、と言う人がいる歌です。私としてはその評価はどうかな、とも思うのですが若い情熱にあふれた歌でないことは確かではないかと思います。
 浮き立つ春の匂いとも、物思いに沈む秋の光とも違う、言葉にすれば春の憂鬱に最も近いのではないでしょうか。ただ、それでは違うと思うのです。
 言うまでもないことなのでしょうね。こうして言葉にできるのならば、人は歌を詠んだりはしなかったはずです。それが歌の持つ力ではないかな、と私などは思うのですよ。



 久方の 光のどけき 春の日に
 しづごころなく 花の散るらむ



 単純して解説の要のない歌、に見えて実際に現代語訳するとなるとこんなに面倒な歌もない、そんな歌です。
 詠み人は紀友則といいます。下級官吏であったらしく、詳しい生涯がよくわかっていません。貫之の従兄弟であったと言い、「古今集」の選者の一人であったとも言います。ただ、「古今集」が完成する前に没しているようです。
 それにしても憂鬱なのは私です。こんなに難しい現代語訳はないとつくづく感じます。単に辞書的に訳すだけならばいいのですけれどね、それではつまりませんし、歌の心も伝わりません。
 ぐずぐずしていても仕方ありませんね、なんとか挑戦してみましょう。



 春の日の、この暖かさ。陽射しがうっとりとのどかに射しかかっているこの様は、いかにも爛漫の春、ではないか。
 のんびりと天を仰げば目の端に白いもの。ちらちらと降りかかるそれは、桜の花びら。
 なんと落ち着きのないものか。こんなに穏やかな春の日に、桜はすでに散っている。それはきっと桜にこそ、気忙しい心があるからなのだろうな。
 あわただしい桜吹雪、降り注ぐ静かな春の光。はかなく散りゆく桜。いつまでも変わらぬ陽射し。それがこの世というものかもしれないな。



 かなり、示威的な解釈をしました。友則自身はここまで具体的に歌ってはいません。ですが、もうお手上げです。ここまで言葉を足さなければ、現代語訳の仕様がない。
 友則は、単に「春の日差しの中に桜が散るのは静かな心がないからなのだろうな」としか詠んでいません。
 ですが、まずこの「しづごころ」と言う言葉が曲者です。これが訳しにくい。ただ「静かな心」であってはいるのですよ、ですがそれではだいぶ情感に欠けます。ですが落ち着きがない、とも違いますし気忙しいとも違う。正に「静かな心」としか言いようがない。
 ついでに言えば、「らむ」の扱いも面倒極まりない。推量の形であるには違いないのですが、なにを推量するかが問題なのですよ。
 「しづごころ」がないから桜が散っているのだ、と私は解釈しましたが、上に疑問詞を補って「どうして落ち着いた心もなくて桜が散るのだろうか」と訳しても間違いではありません。
 私が訳したよう、桜自身の心に静かなものがない、とすれば擬人法ですし、後者の疑問形を取れば友則自身の感想となります。
 私が擬人法を取ったのは、単純にそちらのほうが好みだからにすぎません。今となっては友則に聞くこともできないのですから、もう好みでいいのではないかな、と思いますよ。
 細かいことはもう忘れてしまいましょう。それより一度声に出して読んでみてはもらえませんか。どうでしょう、とても楽しいと思います。やって御覧なさい。
 やってみましたか。どうでした。ただ目で読んでいるときより、ずっと楽しくはありませんか。これが、この歌が愛されてきた秘密ではないかと思います。
 友則のこの歌は「古今集」の真髄とも言うべき歌で、ですから口に出さなくては面白くありません。調べなだからで面白い、それがよいところです。
 ゆっくりと読んでみると気づくことですが、上三句にハ行の音が連続していますね。それが心地良さの秘密だと思います。
 友則は「古今集」の選者であった、と先に述べました。ですからこれが偶然のはずはありません。ですが、それでいてこの音の連続には塵ほどの不自然さもない。
 技巧、とはまた別のもののよう、私は感じます。時に人はそういうものを手にするのです。分野は問わず、創作者はみなその瞬間を知っているはずです。このようなものを前にして宮廷での出世がなんでしょう。友則にとって心残りはただ一つ。「古今集」の完成を見なかったことだろうな、と私は思います。



 今日の篠原はご機嫌斜めでした。いつものことだろうと仰いますが、そうでもないのですよ。原因は、私です。
 いえいえ、この原稿です、と申し上げるべきでしょうね。私は文筆家ではありませんから、文章が上手ではありません。人目にさらしてもよい程度のものに仕上がっているかどうか、いつも篠原の手を煩わせています。
 なんて贅沢でありがたいことでしょうね。あの篠原忍が私の書くものの添削をしてくれるのですよ。それなのにちっとも巧くならなくて恥ずかしい限りですが。
 今回も添削をお願いしました。すると、この文章の最初のほうにある「言葉にできるのならば人は歌わなかった」と言う辺りがもう、お気に召さなかったようで。
 私としてはなにも文章を貶めたつもりはありませんし、歌こそ至上と思っているわけでもありません。ただできる分野か違う、方法が違う、とそれだけのことなのですが。
「そう言うことを書くと篠原忍はずいぶんと狭量だ、と思われる」
 おっと、手元を覗かれてしまいました。ここからべた褒めしようかと思っていたのですがね。
 ではそれはあからさますぎますから、よしにしましょう。篠原は無論、私が言いたいことはわかっているのです。
 篠原は、私の文章の拙さから人を不快にさせてはならない、と諭してくれたのです。ありがたいことだと思います。
 その上で私は改めませんでした。改めず、ここでこうして言い訳をしています。
「言うべきことは作品内で言う。文章を書くうえで、それを避けては卑怯の謗りを免れんぞ」
 また忠告されてしまいました。でもいいんです。こうして言い訳をしているこの場所も、私にとっては作品です。作品、などと偉そうに言ってよいかはわかりませんが、いまの私の精一杯の努力の結果であることに違いはありません。




モドル