百人一首いろいろ

水野琥珀



 せっかく春の浮き立つ歌ばかりをご紹介しましたことですから、このあたりで恋の歌のご紹介に戻りましょうか。
 和歌、と言えばやはり恋歌が一般的でしょうね。平安時代にあって、和歌は手紙であり言葉であり、文章の一つですらあったと私は思っていますが、恋歌ならば現代の私たちにも心情がわかりやすいというものです。



 難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ
 みをつくしてや 恋わたるべき



 と、言いつつこのような歌を持ってくるのは少し意地悪かもしれません。この歌は時の摂政であった藤原兼実と言う人がまだ右大臣であったときに自分の家で催した歌合で「旅寝にあう恋」と言う題で詠んだ歌、として「千載集」に収められています。
 詠んだのは皇嘉門院別当、と百人一首には記してあります。ずいぶんと硬い呼び名で男性のようですが、れっきとした女性です。源俊隆と言う人の娘で、崇徳院の皇后であった皇嘉門院聖子に仕えました。その別当、女性の長官ですね、ですから皇嘉門院別当、と呼ばれています。
 なぜこの人が兼実の歌合に出たのか、と言えばなにより高名な歌人であったからに他なりませんが、別に一つ理由がありそうです。
 皇嘉門院聖子は藤原忠通の娘で兼実にとっては異母姉にあたります。そのせいでしょう、兼実の家で歌合せがある時には皇嘉門院に仕える女房たちがたくさん出席した、と言います。
 この別当も、ずいぶん出席したようですよ。彼女の生涯は相変わらずよくわかっていません。だいたい十二世紀末ごろの人で当時の有名な歌人だと言うほかには、皇嘉門院の別当であったとしか知られていません。



 難波の海辺のあの仮寝の宿り。海鳴りがして、波の音が今でも耳に聞こえるよう。岸辺に茂った芦を渡る風。芦のなる音も聞こえるよう。
 あなたとすごしたあの一夜。それは芦の刈り根、一節ほどにも短いものだったわ。
 私は難波江の澪標を思い出したわ。だって、違うかしら。そんな儚いあなたとの契りのために、私はあれからずっと身を尽くして恋焦がれているのよ。これからも恋い続けなければならないのかしら。



 これ以上技巧的な歌はない、と言いたくなってしまうほど技巧に塗れた歌です。それでいて調べはなだらか、手を尽くした痕跡は窺わせないあたり、別当の力量を感じさせます。
 「難波江の芦」までが序詞で、次の「かりねのひとよ」を導く言葉となっています。序詞の中の難波江、と言う言葉にしても芦・刈り根・一節・澪標の縁語です。
 「芦のかりねのひとよ」とは、芦の刈り根の一節であり、仮寝の一夜でもあります。この場合「一節」は「ひとよ」と読みます。
 つまり何重にも言葉を尽くして「短い一晩だった」と言っているわけですね。
 「みをつくし」のほうには澪標、船の航行の目印に立てられた目印のようなものです、その意味と身を尽くす、の意味があります。こちらはよく見ますね。
 本当によくぞここまで、と感嘆したくなってきてしまいます。この技巧を知った上で、もう一度口にしてみてもらえませんか。どうでしょう、鼻につきますか。少なくとく私はつきません。
 確かに技巧的な歌で、一度耳にしてすんなりと心に入る、とは言いがたいです。彼女の心を歌ったもの、と言うよりも歌合らしい華やかな歌とも言えます。それでも私は素敵な歌だと思います。
 さて、近年この歌について言われていることがあります。歌の舞台は難波江です。当時そこには多くの遊女がいました。
 それを踏まえてこの歌は別当自身がその遊女の気持ちになった歌ったのではないか、と言われています。
 そういう意見があることは知っていますが、私としてはうなずけません。王朝の女性歌人に、遊女の心持になって歌う、と言う心の持ち方があったとはあまり思えないのです。
 時代がもう少し下がって「閑吟集」あたりだとそれは充分にありえることでしょう。ただ、この時点ではいささか早すぎる、と私は思います。
 そもそも題詠ですから、題があります。すでに記していますがもう一度ここに記しますと「旅の仮寝にあう恋」でしたね。
 旅の間だけ契った恋、と言うことは短い恋です。短いと言えば芦です。さらに芦の一節、ここまでは当然のよう別当の頭にあるでしょう。芦の一節が出てきたならば難波江まではすぐそこです。それは歌詠みにとって自然な頭の動きだったと私は思います。
 それにもう一つ。別当は女性ですからね。外出の機会などそうそうはありません。旅、などと言えばもっと少ない。
 当時の女性が旅をする、と言ったらこれは家族が遠くに赴任するのについていくか、それでなければ物詣。これに尽きます。
 別当が地方を知っていたかは私の不勉強でわかりませんが、おそらく物詣はしていたでしょう。していなくともかまわないのですけれどね。
 私は思うのですよ、きっと彼女の脳裏には住吉詣でが浮かんでいたのではないかな、と。
 女性が住吉詣でに行く。そこでひっそりとした儚い契りを交わす。そんな情景を歌ったのではないかな、と思うのです。
 それは彼女の実体験であったでしょうか。それでもかまわないと思うのですが、私としては彼女の夢、であったほうが美しいかなと思います。心のうちに描く恋こそ、最も美しいものに違いありませんから。



 人はなぜ、人を恋するのでしょうね。私は恋歌しか歌わないように思われていて、実際ある程度はそうなのですけれど、ではなぜ恋歌、と聞かれると言葉に詰まるところがあります。
 なぜ、と言われても困るのです。特定の人を思い浮かべて詠んでいるのか、とも尋ねられますが、それには長いことお答えしないできました。ですから、この先もお答えしないでおこうと思っています。
 本当のところを知っているのはごく少数の親しい人だけです。その中でも真実はこれだ、とはっきり言えるのは……不本意ながら篠原だけでしょうね。
 なんとなくばつの悪いものですよ、私の何もかもを知られていると言うのは。私はと言えば篠原の全部を知っているなどとても豪語できませんから。
「誰が琥珀君のすべてがわかるなど言ったかね」
「おや、篠原さん。なにを今更。そういうのを白々しいと言うのですよ」
「とんでもないね」
 嘯いて、それでいて篠原はほんの少し困った顔をしています。首をかしげる私に篠原は言いました。
「全部を知ってしまったらそれこそつまらない。意外なことが起こるから人生は楽しい」
 と。けだし名言です。が、私はぴんときましたよ。これはなにか私を怒らせることをしたのです。静かに問いかけようとした途端、篠原はなんのかんのと言い訳をして原稿にかかりましたから、間違いありません。困った男もいたものです。




モドル