百人一首いろいろ

水野琥珀



 恋をしているとき、つらいことをあげるとしたならば、それはいったいなんでしょう。あまりにも通俗ではありますが、私は別れること、ではないかと思います。
 言うまでもなく巧く行かなくなってしまう失恋も悲しくつらいものですが、恋愛の最中、愛しい人と語り合い、そして離れなければならない時がくる、これは切ないものです。片時も離れたくない、そう思うものですからね、恋と言うものは。



 明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
 なほ恨めしき 朝ぼらけかな



 詠み人は藤原道信朝臣といって、珍しく生没年がわかっている人です。ずいぶんと久しぶりなような気がしますね、こういう方は。歌人と言うものは歌で以って知られるもので、官吏として成功する人も多くはないように思いますし。
 道信は位人身を極めた、つまり、太政大臣まで登り詰めた、為光の三男になります。彼の兄が一条天皇時代に名高い能吏であった斉信です。この人は才能あふれ、そして美貌にも恵まれた人でした。
 弟の道信もまた、美貌を謳われていたようですね。ただ、いよいよ本格的に政治の道に入ろうという時になって、父を失いました。
 父の喪は、一年と決まっています。道信もまたそのとおり喪に服すことになりました。ですが、彼は心の深い人だったのでしょうね。
 ――定められていることだから今日喪服を脱ぐことになるけれど、涙ばかりがいまだに流れて止まらない――
 と言うような歌を詠んでいます。そのような人だからこそ、でしょうか。ご紹介の歌にも単なる習慣として以上の情愛がこめられているよう、思います。



 夜が明ければ、また日暮れが訪れるのは、わかっているんだ。日が落ちれば、暗い夜が訪れさえすれば、またあなたに会いに行くことができる。それも、わかっているんだ。
 こうやって、先ほどまであなたと逢っていたように、また逢うことができる。それは、充分によく知っているんだ。
 それでもやはり、どうしても。朝が来たなら、帰らなければならない。また日暮れが訪れるとわかっていても。なんて恨めしい、夜明けだろうか。



 「後拾遺集」の詞書には女と逢って帰ったあとの後朝の歌、としてあります。また詞書にはこうあります、雪の降る朝であった、と。
 つまりこの歌は、冬の歌なのですね。もちろん冬のことですから、四季の中ではもっとも夜が長い。その長い夜ですら、別れていくことは切ない。ほんの一時たりとも――。そんな女への情愛が滲み出ているように感じられてほのぼのといたします。
 この歌は当時の人にも愛されたようですね。調べのよさ、を第一に挙げたくなりますが、内容もよいものでしょう。率直でいながら、俗ではない。中々難しいことです。
 歌そのものも愛されましたが、彼自身もたいそう愛される人柄であったようです。彼は、二十三歳と言う若さでこの世を去りました。
 この時期、国内は天然痘の大流行に見まわれました。貴族たちも朝には兄が、夕には弟がと言う有様で亡くなっていくのです。庶民に至っては、言葉もありません。死者が都大路に満々鳥獣に荒らされた骸は骸骨となって巷にあふれた、といいます。そしてこの前年には流行性の感冒が流行ったといいます。前年から引き続き、顔見知りが次々と亡くなっていく、そんな中で道信もまた、亡くなりました。
 人と言うものは、そのようなものかなとも思いますが、我々の世代ではいまだ記憶に新しいことです。感覚が麻痺してしまうのですね。今日も亡くなった、明日も亡くなるだろうと思えば、あぁまたか以上の感情を持つことができにくくなります。大変に、恥ずべきことです。ですが、そうすることで正気を保つのが、人と言う存在でもあるのでしょう。
 そんな中、道信の死は人に惜しまれました。毎日毎日知り人が死んでいく中、彼の死は「大変な歌の上手で人柄も奥床しい人だったのに」とまで言われたのです。生前はどれほど愛されたことでしょうか。
 もっとやりたいこともたくさんあっただろうな、と思うのですよ。父を亡くした後、彼は一族の出世をした人の猶子になっています。そしてその人の夫人の妹姫を妻にしました。義父となった人は内大臣でしたから、これからいくらでも出世をしていくことができたでしょう。歌もたくさん詠めたでしょう。
 そう思うととても、寂しいものです。無常と言うものはこのようなものかと感じます。
 ただ、こうも思います。彼の生涯は実に短いものでした。たった二十三年。その短い人生で、彼は多くの歌を残しました。
 人柄が愛された。それももちろんあることでしょう。ですが、彼の歌は身に迫って心に響く。だからこそ、勅撰集に四十九首もの歌が収められました。
 これは実に偉大なことだと思うのですよ。彼は死んでしまっても、歌は残ります。彼が生きていた証として。
 ですが、私は逡巡します。やはり、もっと長く生きていたかっただろうな、と。そう思ってしまいます。



 考えても仕方ないことなのですけれどね。いずれにせよ、遥か昔に亡くなった歌人なのですし。若くして亡くなったからこそ美化されている、と言うこともありえるわけですし。
「篠原さん、長生きしたいですか」
「なにを急に」
「これこれこういうことがありまして」
 などこの歌のことを説明いたしましたらね、急に渋い顔をしました、篠原。何か癇に障ることでも言ったらしいのですが、いったいどこに触ってしまったのかがわかりません。
 長い付き合いなんですよ、私たちは。それでも時折、こういうことが起こります。なにが悲しくて男二人で子供の教育方針について言い争わなければ、とかつて思ったこともありますが、あれなどはいいほうですね。対象がはっきりしていますから。
 こういうときは本当に、困ります。困った挙句どうしていいかわからないのですよ、いまだに。仕方ないので篠原好みのぬるい茶でも淹れてやるのですが、今日はまだご機嫌悪しくおわします。致し方ない、彼の好きなみたらし団子でも買いに、と思ったところで吹き出しそうになりました。特段そのようなつもりでもなかったのですが、なんだか食べ物で釣っているようですね、私は。
「なにがおかしい」
 どうやらこらえたはずの笑い顔を見られてしまいました。一くさり叱られるかと思いきや、篠原がなんとも言いがたい顔をしているではありませんか。
「……急に長生き、など言われるとおかしな想像をする。よもや体調が悪かったりは、しないだろうな」
 おやおや、困りました。どうやら私が死病に取りつかれたかとでも思ったようです。
「あなたにだけはそんなことを言われたくありませんよ、篠原さん」
 そうですとも。四六時中、風が吹いたといっては寝込み、暑さに負けたといっては床につく、そんな男に心配などされてたまるものですか。思い立ってしまったので、みたらし団子は、買いに行きましたけれどね。




モドル