百人一首いろいろ水野琥珀物思いでもなく、慨嘆でもない。悲しみもなく、喜びでは当然にない。そんなとき、多くの人は口をつぐむしかないでしょう。 何も言葉になどなりません。語れば語るだけ、嘘になる。誰もがそのような人生を歩むとは限りませんが、誰もが一度くらい、そんな思いを抱くことはあるのではないでしょうか。 ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる 後徳大寺左大臣、と言って、とても人名には聞こえない名ですね。もっとも、人名ではなく役職名とでも言ったほうが正しいのですが。 名を藤原実定と言います。祖父が徳大寺左大臣と呼ばれていたので、彼と区別する意味でそう呼ばれました。 「千載集」に明け方にほととぎすの鳴き声を聞いたときのことを右大臣が詠んだ、とありますからこの当時、実定は右大臣だったと言うことになります。となればこの歌は彼の晩年に位置しますね。 彼の心を思わなければ、大変に平明で口に上せやすい歌です。簡単なだけではなく、品のよさも保ち、愛唱に耐え得る歌と言うのは中々あるものではありません。 その中に、何を見たのでしょう。なだらかな調べの中、私は言うに言えない彼の思いを見た気がします。では、訳に参りましょうか。 もう、夏がきたのか。また、一つ季節が巡ったのか。まだ朝まだき、夜が明ける前のこと。夏の到来を知らせる一声が。 ほととぎすだ。またあの鳥の鳴く季節がやってきた。人々がこぞって聞きたがるほととぎすの初音。 かの鳥はいかに。ふと視線を巡らせ声の聞こえたほうを見やればそこに。 ほととぎすの影は見えず、ただひとひらの月があるばかり。 彼ら貴族は初夏の訪れを告げるほととぎすの初音をことのほか喜びました。ですからこの歌も場合も、単純にほととぎすの声を聞いたぞ、でもその姿を見ることはできなかった、月だけがあった、と訳してもいいのです。 むしろその方が素直かな、とも思うのですが、実定の人生を、そして年齢を思ったとき、そのような訳では捉え切れないものがあるように思い、多少の意訳をしました。 実定と言う人の人生を、少し追って行くことにしましょうか。まず大きな事件として、彼か二十代のはじめか、十代の終わりか。そのころに保元平治の乱がありました。 それまではいわゆる平安貴族全盛時代です。それがあっという間に平家に取って代わられるのを、彼は若い目で見てきました。 古い家であればあるほど、その落差は大きく、平氏を恨みそねむ気持ちも大きかったでしょう。その無力感と共に。 貴族の中には平家と結び栄えるものもいましたが、実定は昵懇せず敵にも回らず、といったいかにも貴族的と言ってしまえばそれまでですが、上手な処世術をもって立ち回っています。 権勢を得れば、平家に睨まれる。かといって貴族の誇りは捨てられない。実定はどうしたでしょうか。政治家ではなく、文化の担い手になることに努めました。 歌もその一つですね。実定はですから歌人ではなく、文化人たらんとした、とでも言うべきでしょうか。 そのせいでしょうか。彼の歌には歌人らしい口ぶりがなく、貴族的なゆったりとした余裕が感じられます。実定は歌よりも管弦や朗詠で有名だったようですね。 そうしてすごしてきた時代ですが、一気に暗雲が立ち込めます。正に驕る者は久しからず、平家は瞬く間に力をうなっていきました。福原遷都、合戦の末の平家没落。帝すら海へと消えてゆきました。 福原へと、強制的に移住させられていた貴族たちは愛する京の都に再び戻ってきます。 ひと時の安堵、と言う間もなく木曾義仲の軍勢が都を席巻し、瞬きの間に源義経に追われます。その義経自身も、兄・頼朝に滅ぼされました。 その間、貴族たちはどうしていたのでしょう。後白河法皇を頭上にいただき、彼らはじっと息を潜めて待っていました。 何を、でしょう。おそらくは、再び貴族の世の中になることを。耐え忍ぶ彼らの中、内大臣に上った実定もそこにいました。 あたかも戦乱ばかりを見続けてきたような人生です。貴族文化の終焉を、その目で見てきたのが実定と言う人であったよう、思います。 彼が見てきたのは戦ばかりではありません。彼の時代には記録に残る大火事がありました。すさまじい地震もありました。 貴族の彼は目にしたでしょうか。戦に倒れ、天災に苦しむ人々を。見なかったとしても時代の空気は感じていたはずです。 そんな彼の目に映った最後のもの。それが有明の月であったように、思うのです。恐ろしい、つらいものばかりを見続けてきた人生の終わりに。陽炎のよう儚く移ろっていくこの世に。 残ったものはただ一つ、夜明けの月であった、と。彼の人生を思うとき、私はそのようなことを考えてしまうのです。 もう何も見たくない、そう思ってしまうことは私の世代ではありましたね。若い人たちにはそのような思いをしてほしくないと心から願います。 幸い、と言うべきでしょうね。私は完全に目を閉ざすことはせずに済みました。いつものことですが、篠原がいてくれたおかげです。 こうして考えて見ると、彼との出会いほど、幸運だったものはないと痛感します。彼がいなければ、いまの私がないだけでく、私の生命そのものすら、危うかったことでしょう。 ですからね、思うのですよ。私にとって、実定の月とは何かと考えたとき、それは、と。 「言葉を慎め。誤解を招く」 おやおや、人の原稿を覗きこんで文句を言うものではないでしょうに。大体、私は言葉の技が巧みではないのです。篠原と違って、私は文章がさほど得意ではありません。 もしも文章を書くことが得意であったならば、私は歌を詠んではいませんとも。私の真の言葉とは、やはり歌以外にないのです。 「だからと言って、それはいかがなものかと思うぞ」 「どのあたりがですか」 「いつだったか……お前の原稿を読んで、見合いの話が立ち消えたそうだ」 呆れますね。どこをどう解釈したらそのような話になるのか。理解不能ですよ。もっとも、どう解釈されようと私も篠原もびくともしないのですが。 「篠原さん、結婚したかったんですか」 「私の見合いじゃない。お前の見合いだ」 「おやおや。そんなことがねぇ」 「結婚したかったら慎めよ」 「私が結婚ですって。そんなことになったらどうするんですか、篠原さん。洗濯物に埋もれて埃まみれで餓死したいんですか。後生が悪い。いやですよ、私は」 「まぁ……それは、困るな」 渋い顔をしながらそっぽを向かれてしまいました。どうやらまったく家事能力がないということくらいは、わかっているようですね、本人も。 |