百人一首いろいろ水野琥珀少しばかり切ない歌が続きましたから、このあたりで爽やかさを感じる歌をご紹介したいと思います。とは言え、一概に爽やかと断じることもできない歌なのですけれど。 前回までの歌もそうでしたが、人の目と言うものは面白いものだな、と思います。ただそこにある風景を人間が目にし、そして表現したとき、そこに広がるものは無限です。 風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける 調べなだらかで覚えやすく口にしやすい歌ですね。さらさらと零れていく言葉が、あたかも小川の調べのように聞こえます。 詠み人は百人一首では従二位家隆となっています。姓名を藤原家隆といい、彼の名は音で読むのが通例となっています。ですから「かりゅう」と言うわけですね。 何かに秀でた人を古来、他の人々と区別してその名を音で読む習慣があります。定家も普通は音で読まれる人の一人です。むしろ代表でしょうか。 さてこの歌は、口に上せやすいわりに一見、わかりにくい歌でもあります。ですから背景など含めて、まず訳をいたしましょうか。 風がそよそよと楢の葉の間を吹き渡っていく。ここは上賀茂神社。境内に流れるならの小川にも風は渡り、この夕暮れはいかにも秋の訪れ。 たっぷりとした木の葉が日差しを遮り、肌に感じる空気は冷たいほど。澄んだ流れに秋風が揺らす楢の木の葉が涼しく映る。 あぁ、まさしく秋の風情。 だが今日は夏越の祓。夏の終わりに人々の罪を清め祓うこの祭り。ならの小川で禊ぎする祭りならば、今日までは夏。祭りだけが夏のしるしとして、そこにあるのだ。 「新勅撰集」の詞書には前関白藤原道家の娘が入内するときに宮中に持ち込む屏風に書かせるために詠まれた、とあります。年中行事の歌屏風だったとのことですから、この歌は六月の色紙に、夏越の祓の絵と共に記されたことになります。ですからこの歌は題詠です。 これは大変に名誉なことなのですよ。歌人として、女御入内の際のお道具に自分の歌が使われるとは、一世一代の晴れ舞台と言っても過言ではありません。 家隆はこの当時、すでに七十代に入っていたといいます。名前を音で読まれるほどの人ですから、すでに歌人として名を上げきっている、とも言えます。 家隆は先ほどあげた定家と同時代の人です。家隆のほうが少しばかり年上だったでしょうか。歌は俊成に学び、後鳥羽院にもその才を愛でられました。俊成の子でもあり、同じ「新古今集」の選者でもあり、定家とは親しかったことでしょう。 共に歌を自身の誉れとする二人。しかも同時代です。比べられないはずもなく、互いに相手が気にならないはずもないですね。 ですが意外なことに、と言ってしまってはいささか人が悪いでしょうか。この二人、大変に尊敬しあい、互いを認め合っていたといいます。 己の信念に忠実なあまり、時には人を攻撃するようなところもあった定家ですが、家隆は温厚な人柄として知れていました。だからかえって巧くいったのかもしれませんね。 少し先急ぎすぎてしまったようです。歌のことに戻りましょう。ならの小川、とあるのは訳中にも記しましたよう、上賀茂神社の境内に流れている川のことで、奈良にある小川、ではありません。毎年ここで六月の末、夏越の祓が行われました。もっとも、旧暦の六月末です。現在の暦でも、夏の終わりころでしょう。その小川の名に楢の木の葉が掛詞になっています。 彼が感じる風景は、もうすでに秋なのですね。風の気配も楢の葉も、彼にとっては秋なのです。が、この日は夏越の祓です。 と言うことはこの日までが「夏」と言うことなのですね。夏の終わりのお祭りですから。行ってしまう夏への寂しさと、もう行ってしまったと感じている肌と、秋の風を待つ自分の心の騒ぎと。一概に爽やかとは言い切れない、そう言った意味はここにあります。 家隆自身の話題に戻りましょう。彼を奥床しいな、と思ってしまう小話があります。それを是非ご紹介したいと思います。 すでに定家も家隆も名を上げているころのことです。ある高貴な方から家隆は問われます。当代随一の歌人といったらいったい誰を推すかな、と。 まったく答えにくい質問だな、などと私などは思ってしまいますが、家隆はどう思ったのでしょう。やはり、答えなかったのですね。 ただその心中には誰かがいる、と顔色に表れていたらしく、高貴な方はしきりに問いかけますが家隆、やっぱり口を割りません。 困りきったのでしょうか。家隆は不意に懐から畳紙を落として退出してしまいました。畳紙と言うのは用途は色々ありますが、何かを書きとめておいたりもするのですね。 高貴な方、家隆が取り落としていった、と見える畳紙を近くの者に拾わせてご覧になったところ、そこには定家の歌が記されていました。 家隆はこのようなご質問があると知っていて書いていたわけではありません。定家の歌に心惹かれてそれを記し、持って歩いていただけのことでした。 また定家も歌集を作るときには進んで家隆の歌を多く入れたといいます。その互いに重んじ、尊敬しあう様はまぶしいほどだと思いませんか。 真に好敵手、と言い得る人との関係はそのようなものかもしれません。そうでありたい、とも思います。 ですが、人間の業と言うものでしょうか。中々にこれが難しいことなのですよ。考えても見てください。 自分と同じほどに何かに秀でている。まずそれが気に食いませんね。その人が誰かに評価される。自分ではなく。そうなると腹を立てるのが人間です。 「ずいぶんご機嫌斜めだな」 「そうでもないですよ。機嫌は悪くはないと思いますけれど」 「その言いぶりに機嫌が表れているな。さて、琥珀君の好敵手といったら、誰がいるのかな」 そんなこと、言えるわけがないじゃないですか。篠原も篠原ですよ。質問の仕方が悪い、と思うのです。と思っていたら。 「思いつく限りでは……さて。私かね」 ほら、こういう男なのですよ。確かに我々は分野が違います。ですから、定家と家隆のような好敵手、ではないでしょう。 ですが常に私は篠原に匹敵したい、彼を追い越したいと思っています。篠原も、たぶん同じことを考えています。 それでも時々、腹が立ってしまいます。なぜ、篠原がもっと評価されないのか、彼の素晴らしさを、いえ、その作品の素晴らしさを知る人が少ないのか、と。 |