あとがき

 実に長い道のりでした。こんなことを言うと文筆業の方々には、わけても篠原には大変に叱られてしまうと思うのですが、文章を書くと言うことを生業にしていない私などが解説文のようなものを書いていいのか、とずっと悩みながら続けてきました。
 このようなことを言えば間違いなく篠原は「責任逃れか」と言うに決まっているのです。そのようなつもりはないのです。
 ただ、文章家ではない私の拙い文を人様の目に触れさせていいものか、それを悩んでいました。
 幸いにして、最初の回が好評をいただき、こうして百人一首すべての解説をすることになりました。当初は一回だけのはずであったのですよ。いまから思えば夢のようです。
 あれはお正月の特集であったと記憶しています。何か百人一首に絡めて、との依頼でした。一度だけならば、と渋々受けたのですよ。なんと言っても文章は苦手でしたから。
 その苦手な文書を書かねばならない、とのことでできるだけ私が気楽に書けるものを、と選んだのが初回の歌でした。思えばずいぶんといい加減なことです。
 その後、百人一首全てに解説をとのお話をいただきまして、まず即答いたしましたよ、私は。当然、否です。
 それがいったいどういうわけでしょうね。なぜかあれよあれよと言う間に話がまとまってしまって、結果として今ここにいます。
 無論、困ったことになったと思いつつ受けた話でしたが、今となっては大変な収穫だったと思います。現在でも文章は苦手なのですけれど、悩んだり困ったりしながら過ごした時間は代えがたいものにもなりました。
 そうそう、連載が決まった後の初回、歌としては二首目のことでした。あのとき何の気なしに篠原の筆名の由来となったのがこの歌だ、と書いてしまったのですね。
 怒られました、篠原に。自分がしていない話を勝手に書くなと言って叱られました。それからですね。私が知っているからと言って読者の方々が知っているとは限らない、知らせたいと篠原が望んでいないかもしれない、そんなことを意識するようになったのは。
 文筆業の方は大変だな、と心底痛感したのがそのときでした。始めて篠原の苦労の欠片を垣間見た思いでしたよ。もっとも、そのようなことを言えば、お前はわかっていないと言われるのは目に見えていますけれどね。
 ただその篠原の話が妙に好評だったようで、私としても気楽な話題なものですからついつい篠原のことを書くようになってしまいました。諦めたのでしょうかね、篠原は。とにかく確認を取ってから書くのならば叱られることはなくなりました。たとえ篠原であろうとも、と言うのはずいぶんな言ですが、それでも人様の確認を取る、と言うのも新鮮な経験でした。
 さて、本題に戻りましょう。百人一首はお正月のかるたとりなど、大変に親しまれている歌集です。いまの我が国で最も親しまれているといっていいでしょう。
 けれどその歌の意味をどこまで理解しているかといえば心許ない、そんな方々もずいぶんいるようです。
 そこで私にお鉢がまわってきたわけなのですが、再三申し上げているよう、正直に言えば頭を抱えましたよ。歌は、本職です。が、文章はといえば。
 四苦八苦する中、どうにもこうにもならない回も中にはありました。そんな時さりげなく支えてくれたのはやはり、篠原です。
 実のところ、篠原などと呼び捨てるのは抵抗があります。実際、日常では文中にもありますよう「篠原さん」などと呼びます。
 最初はそのように書いていたのですが、それを篠原自身に訂正されました。地の文にはそのように書くものではない、と言って。
 作文作法と言うのでしょうか。本職ではない私のそれは、篠原の目には拙く他愛なく、時には間違ったものでもあったでしょう。それでも一番に読んで、楽しんでくれたのも篠原でした。
 彼をはじめ、多くの人に支えられてこうして百人一首の解説をすべて終わらせることができました。振り返ればあっという間のようで、とてつもなく長い道のりだったよう、思います。
 文章のまずさは、もうこればかりはどうしようもありません。たどたどしい解説ですが、百人一首に触れるきっかけの一つにでもなることができたなら、こんなに嬉しいこともありません。
 いまここに、百人一首のかるたを広げています。十二単の姫があり、坊主があり、色とりどりのかるたに美しい文字。見ているだけでも楽しいものです。
 せっかく広げましたから、篠原を呼ぶことにしましょうか。二人でかるたとりはできませんが、篠原ならきっと一緒に眺めるのを楽しんでくれることでしょう。
 最後になりましたが、連載中からこの本になるまで関わった方々に、そして読者諸氏に感謝を捧げます。中でも篠原忍氏。私の手元に届いた最初の本はあなたに捧げたいと思います。ありがとう、篠原さん。



解説

 和歌は苦手だ。特に古今調の和歌は苦手である。言いたいことがあれば、はっきり言えばよい。そう思う。
 そんな私を琥珀はよく笑うが、この度こうして彼の百人一首解説が世に出ることとなった。これが私にもわかりやすい、面白いものだった。
 本人は謙遜しているつもりはなく本心だろうが、自分の文章を拙いと嘆く。事実、彼の文章は書き慣れているとは言い難く、時折間違いもある。
 それがよい、と言うのは身内の贔屓目だろうか。拙いと言うよりは初々しくて大変よろしい。私はそう思うのだが。むしろ変って欲しくなどないとまで思う。
 本人は確認を取るため、などと言っているが一応、私のところに書き上がった原稿を持ってくる。その態度がまるで師の講評を待つ弟子のようで、しかもいまだ希望を失っていない、なにをしても楽しくて仕方ないとでも言うようで好もしい。
 叱られたと言うが、私としてはそのような意識はなかった。単にあまりにも私的なことは書いて欲しくないと「お願い」したつもりだったのだが。
 そのはずが結果として琥珀を萎縮させることになってしまって後悔をした。以来、彼の書くものに注文はつけないことにしている。私は私の愛する琥珀の文章に変って欲しくないのだから。
 最初のころのぎこちなく初々しい文章から、最終回に近づくにつれ、弾むような文章へと、それでも琥珀は変っていった。苦手だ苦手だと本人は言うが、少しでも文章を書く楽しみを見つけたのではないかと思う。それを見るのもまた、私の楽しみの一つであった。これも身内の贔屓目の一つに数えられるだろう。
 もっとも、この本が出版されるにあたり編集者が私のところに是非解説を頼むと持ってきたのが間違っているのだから、贔屓目くらいは大目に見てもらいたい。
 冗談半分に言うならば、琥珀に辛くなれば私の生活が脅かされる。いまだに日常生活のほとんどを彼に頼っている私なのだから。大いに褒めておかねば今夜のおかずが一品減ってしまう。言うまでもなく、半分ではなく、完全に冗談だが。
 ここで筆名の由来を暴露された仕返しをしておこうかと思う。琥珀は日常で私を「篠原さん」と呼ぶ、と書いているがそのようなことはない。彼は私を本名で呼ぶ。私もまた琥珀と呼ぶことはない。同じよう、名で呼ぶ。
 だから私の元にいるのは水野琥珀と言う歌人であり、私の日常生活を支配する一人の男でもある。言ってみれば二人の人間が存在するようなものだ。
 以前、文筆の仲間に言われたことがある。琥珀にはずいぶんと甘いと。文筆家同士の付き合いと言うものをほとんどしないに等しい私であるから、相手にしてみれば嫌味であったのかもしれないが、事実であるから文句も言えない。
 ただそれは琥珀の文章を愛するが故であり、私の生活に密接だから褒めているのではない。私はのびのびとした文章が好きだし、懸命さを感じるものも好きだ。どちらも琥珀の中にある。
 こんなことになるのならば書生生活と琥珀が言う我が家から、早々に彼を出しておくのだったと思う。それならば琥珀が不当に褒め上げられているなど思うものはいなかっただろうに。だが私には無理だっただろう。
 なぜならば、琥珀は歌人だ。それ以外になれるともなりたいとも思っていない。吸う息吐く息、そのすべてが歌になる男と言うのも珍しい。
 同じ「言葉」を扱いながら、まったく違うものを作り上げる存在。それが私にとって琥珀と言う男だ。だからこそ、甘くなる。
 同じものを見ていても琥珀が歌にしたとき、私の目が見たものとは違うものになる。それが新鮮な驚きで私を満たす。
 だからこそ手放せない。常に手元に置き、水野琥珀の推敲前の歌ですら書きとめておきたくなる。私がその段階の文章を読まれることを嫌うよう、琥珀もまたそれを許してはくれないが。
 私は常日頃、四六時中、琥珀と言う歌人の歌を浴びるように飲んでいる。なんという贅沢かと思う。取ってつけたように言うわけではないが、本書も私は繰り返し読むだろう。これまでの琥珀の歌集を手擦れがするほど読んだのと同じように。彼の最初の歌集はあまりにも読みすぎて表紙は取れる頁はばらばらになると散々なことになってしまった。それは自分で購入したもので、琥珀が献本してくれたものではない。再度買い直す私を、呆れたような目で見つつ少し嬉しげに笑った琥珀の目の表情は忘れがたいものとなっている。
 ある人は私に気を使ってくれたのだろう、この百人一首の中でずいぶん酷い言われようをしている、と言われたことがある。
 我々の生活を知っていれば、そのようなことはとても言えない。琥珀はよく耐えている、そう思う。本人に言えば楽しんでいると言うことだろうが。
 よくよく読み返していただきたい。私を悪くなど、一言も言っていない。文中からは、私を気遣う琥珀の視線と私への強い信頼を感じる。面映くなるほどに。
 何度となく琥珀は私に助けられた、と言う。確かに多少の助言はした。文章に関しては専門家なのだから、当然のことではある。だが琥珀はそれを素直に受け入れる男でもある。面と向かって言ったことはないが、尊敬に値する男だ。
 文中で琥珀が語っているよう、若き琥珀を書生のようにして我が家に入れたのは確かに私だ。奇跡のような出会いであったといまも思う。あれを評して琥珀は私に生命を救われたなどと言う。助けられたのは私ではないだろうか。長い時間、様々なことがあった。琥珀がいなければ乗り越えることのできないことも多くあった。どう考えても琥珀にいてもらわねば困るのは私である。
 百人一首に関してもそうだ。素養くらいはあるが、歌の背景だの詳細な意味だのを問われてもわからないことが多い。世の解説本の類は無味乾燥でつまらない。
 琥珀の解説はわかりやすい。本人は訳が最も苦しんだ、と言っているが私はあの部分が一番好きだ。苦しんでもらった甲斐はある。まるで自分がそこに立って歌の景色を見ているような、そんな気がする。
 楽屋落ちのようで恐縮だが、実際に琥珀が書いた文章は、あの数倍ほどはある。何度となく書き直し、何度となく破棄している。幸い、同居人の特権としてそのすべてに目を通している。おかげで琥珀の思考の軌跡をたどることができ、それも大変興味深い出来事だった。
 この本は琥珀が悩みぬき、今現在の彼が可能な限り練りぬいて出来上がったものだ。百人一首解説として理解しやすく、読み物として面白い。解説を依頼されるにあたり、もう一度はじめから読み直してみたが、歌の解説もさることながら、我々の日々の生活が窺われて、苦笑が隠せない。
 琥珀は連載中、最後の歌に苦痛を懐かしむことがいつかできるようになる、そんな意味の歌を選んだ。
 彼の意図は、わかっている。それは文中にはっきりと記してある。だが思う。いま私が感じるこの照れくさいような苦笑も、いつか懐かしい思い出になるのだろうか。そのとき私の琴の音を知る友として、琥珀が隣にあればよい。そう思う。
 最後に白状しよう。私は文筆を生業としているが、本の解説は最も苦手とするところである。やはり、私は解説者向きではない。本の解説と言うより琥珀の解説になってしまった。私の解説より、是非一読を薦める。




モドル