「ねぇ、二十四日って、うちにいるよね?」
「いるけど疲れ果てて死んでると思うぞ」
「だったら二十五日は元気だよね?」
「まぁ、たぶん」
「じゃクリスマス、しようよ」
「くりすますぅーっ?!」

「そ、クリスマス。新田たちも来るし」
 そういたずらっ子のように翡翠は笑った。
「来るってことは決定な訳だな」
「ダメならやらないよ」
「いいよ、OK」
 まるで降参のポーズのように春真は両手を上げて見せたのだった。
 可愛い翡翠の言うことに逆らえるはずもなく。
 そしてテストの点つけに戻っていく。
 二学期の期末テストの点つけである。
 終業式までにはこれをすべてつけ終わり、そして通知表の評価もつけなければならない。
 教師と言うのはこれでなかなかどうして忙しいのだった。
 そして終業式はあさってに迫っている。
 かつ、あさってが二十四日なのだった。

「じゃ、水野さんにはお疲れ会みたいなもんだな」
 カラカラと水割りの入ったグラスを鳴らしながら新田が言う。
 在学中は「担任」と言っていたものを卒業してからは「水野さん」に変えている。
 卒業したら上下ではなく対等である、と言う春真の方針からだった。
 傍らには相変わらずやんちゃな顔をした遥がいる。
 この春、新田と翡翠は無事大学も二年に進み、当然の成績で遥は大学に合格した。
 だから新田の手には酒の入ったグラス。翡翠はもともとあまり強くない質と見えてつきあい程度にグラスを傾けている。遥までもが飲んでいるのはまぁご愛嬌、といったところか。
「また高遠が無理言ったんじゃないの?」
 ちゃかす新田の問いにちょっと肩をすくめて見せれば遥にまで笑われた。
「ったく、相変わらず高遠には甘いんだから」
「相変わらずってことはないだろうが」
「どこがだよ、高遠の言いなりじゃん」
「ひどいなぁ」
 そう笑ったのは翡翠である。
「この時期は忙しくってかまってやれないから、それだけだ」
 春真の言い訳も虚しく座は笑いさざめくばかり。
 縁廊下に小さな明かりをともしたクリスマスツリーが煌き、純日本家屋にふさわしくないもののなんだかそれが華やかさを添えている。
「そのツリーってけっこう年代ものですよね」
 ふっと視線を泳がせた遥が言った。
「ハルが子供の頃飾ってたんだって」
「たまたま仕舞ってあっただけだよ」
 すっ、視線をはずし春真が言う。
 とたん、照れてやがる、そう新田にからかわれた。
 相変わらずと言うならばこちらの方が相変わらずだった。
 不意に子供時代のクリスマスが懐かしく思い出される。
 「親子」三人で飛び切りのご馳走を囲み、そしてはじめて酒の味を覚えたのはいつだったろう。
 まだめずらしかったワイン……ぶどう酒と言っていた……をぶどうのジュースで割って飲ませてくれたのは伯父だった。
 サンタは来ない。その代わりいつも二人から愛情いっぱいの贈り物をもらったのだ。
「あー先生、昔の恋人の事でも思い出したんじゃないの」
「違うね、あれは初恋の思い出ってやつだな」
 急に黙り込んでしまった春真に新田たちがわいわい好きな事を言っている。
 が、初恋、の響きにどきりとした事は違いない。
「高遠、心穏やかじゃないな?」
「全然」
 なに考えてるかわかるからね、そう余裕の笑みで翡翠は答える。
「先輩。それって惚気?」
「まぁね」
 笑いあう彼らをおいてそれとなく席を立てば心のうちの視線だけで翡翠が追いかけてくる。
 たぶんきっと。
 自分がこうやって翡翠の事をわかるよりももっと翡翠は自分のことがわかるに違いない。
春真は思う。
 愛されている、そういうことかもしれない。
 翡翠に問えばきっと春真の方が余計わかっていると言うのだろう。
 程なく席に戻れば先ほどからの連想だろう、各々の子供時代の話に花が咲いていた。
「ハル?」
「いいモンあったの忘れてた」
 にやり、笑うその手には一本のシャンパン。
 グラスは当然四つ。
「未成年に酒のますなよな」
「保護者同伴だから可」
 ちらりと遥を見て皆が笑う。
 春真は綺麗なレース模様のついた紙ナフキンを少し斜めにしたボトルの口にあて、そっとゆすぶっていく。
「なに、水野さんぱーんてやらないの?」
「そういう子供みたいな事を期待しないように」
 ぽん。
 なんともいえない軽やかな音を立て。
 そして一面にその香気が溢れ出す。
「シャンパングラスがあればもっといいんだがな」
 いいながら背の高いワイングラスに注げば、それはなんと言う金だろう。
 淡い、とろりとした美しい金色の液体の中、細かい泡がつ……と立ち上っていく。
「うわ、きれー」
 いまだ酒の価値のわからない遥が声をあげた以外、誰もなにも言わなかった。
 一見無造作、とも言える動作でグラスの足を持った指先が随分洗練されていて、そんな事に新田は妙に驚いてしまう。
 春真はそんな事は露知らず、ひょいとグラスをかかげ
「乾杯」
 そう、笑った。
「……おいしい」
「だろ?」
 これならば酒のあまり好きではない翡翠にも飲める、そう思って冷やして置いた春真は会心の笑顔。
「ほんと。今までのはシャンパンじゃないよねー」
「そりゃ俺のバイト代じゃこんないいのは買えなくってね、遥くん」
 そんなつもりじゃないのになっ、遥が拗ねてみせそれを見ては皆がまた笑う。
 今夜はずっと笑い通しだ。
 それもいい。
「これ、ハルさんから?」
「ばれたか」
 翡翠の言うとおり兄・春樹が
「可愛いスイにクリスマスプレゼント」
 そう言って渡されたものだった。
「あ、そうだ」
 突然翡翠は立ち上がり、なにやら細々と抱えて戻ってくる。
「これは新田」
「これは四條」
 小さな箱を手渡して
「クリスマスプレゼント」
 そう、笑った。
「んだよ、俺らなんにも用意してねぇじゃん」
「いいんだって。普段世話になってるわけだし」
 それにこういうこと好きだしね、言いながら控えめに笑みを浮かべる。
 そんなところが翡翠らしかった。
「ところでそこにふたつ残ってるけど、お前って自分の分も買うわけ?」
「あ……」
 ふわり、耳まで赤くなる。
「こ、こっちはハルのだから」
「なんでそこで赤くなるかなぁ。水野さん、これってば怪しいぜぇ?」
「怪しくないって」
「怪しいよな、水野さん」
 きゃらきゃらと遊んでいはするものの、そろそろ助けて欲しそうな視線を送ってくるので助け舟を出してやる事にする。
「夏樹にだろ?」
「うん。小さな子になにかあげるのってなんだか恥ずかしくって、さ」
「おぉ、水野さんの隠し子!」
「甥っ子だって」

 話は尽きず、笑いは絶えない。
 いい酒があって、なにより最上の友人がいる。
 いつのまにかちらちら雪まで降り初めて。
 こうして聖夜の夜はふけていった。



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