今日の真人は落ち着かないでいる。原因のわかっている夏樹は、せっせと原稿を書いていた。どうせもうすぐ書けなくなる。
「ただいまぁ」
 思った途端に書けなくなる原因が帰ってきて、夏樹は苦笑する。致し方ないとばかり筆記用具をしまう。
「おかえり」
 いかにも落ち着かなげに真人が出迎える。春真の隣には、彼の双子の兄・春樹が立っていた。
「こんにちは、真人さん。弟がお世話になっています」
 同い年の兄弟だというのに春樹は折り目正しく挨拶をする。それはたぶんここが彼の家ではないからなのだろう。
「こんにちは、春樹君。いらっしゃい」
 だから真人もそう応対をする。春真が不満そうに唇を尖らせていた。
「どうしたの、春真」
 春樹がいるとき、真人は春真をハルとは呼ばない。混乱を避けるためでもあったし、はじめてそう呼んだとき、春樹が少しばかり機嫌を損ねたからでもある。
 あの表情を見る限り、どれほど兄ぶっていても春樹もまだ子供だと真人は思う。ただ、弟をこよなく大事にしている春樹の気持ちは尊重したい。
「だってさぁ。真人さん、ハルのことはちゃんとするのにさ、僕のことはすごい子供扱いじゃん」
「お前がそんな態度だからだろ」
「そんなことないって」
「どこがだよ」
 言い合う双子は、造作こそよく似ている。むしろ、顔の作りはまったく同じだ。それでも真人にははっきりと区別がついた。髪型だとか態度だとか、そんなものではなく。
「春真はうちの子だからね。躾は厳しくしてるつもりだよ」
 育ての子だから。たとえ兄であろうとも、春樹は自分が手塩にかけた子ではない。
「さぁ、あがって。何か冷たいものでも飲むかい、春樹君」
「はい、ありがとうございます。いただきます。麦茶をもらえますか」
「すぐ持っていくよ、座ってはじめてたら」
「そうします。ハル、おいで」
 何も春樹は遊びに来たわけではない。まだ騒ぎながら居間へと引き立てられていく春真を真人は微笑ましげに見つめる。
 春樹は春真の勉強を見にきたのだった。もっとも、それは大人の言い訳だ。両親揃って姉の病院に行く、と言うので春樹が預けられただけのこと。本人もそれはわかっている。だからこそ「勉強を見に行く」などと言う。
 子供の強がりなのだろう。それが痛々しくてならない真人は、春真と同じように扱いたい気持ちを抑えてあえて春樹を客と扱う。
 お前は夏樹の育ての子ではない。冬樹の跡継ぎで、春真の兄だと。同い年の双子であってもお前は兄だと。
 そう決めたのは冬樹だ。だからこそ、冬樹は志津の病気でどちらかの子を預けねばならないとなったとき、春真を手放した。それが親の教育方針ならば、真人としては準じるしかない。
 不憫だ、とも思う。春真がではない。二人ともが、だ。けれど可哀想可哀想と言っていても仕方ない。これが現実なのだから、精一杯できることをするだけだった。
 冷たい麦茶を持っていけば、早速春樹が弟をしごいていた。双子でも勉強に対する意欲はずいぶん違うらしい。
「当たり前だな」
 いつもの場所で兄弟を眺めつつ夏樹は真人に呟いて見せた。どうやら顔に出ていたらしい。持ってきた夏樹の分の麦茶を渡せばこくりとうなずく。
「そうかな」
「そうだろ」
「どうして」
 短い言葉のやり取り。兄弟はだから気にもしないで勉強をしている。自分たちに関係することではない、と思っているのだろう。
「真人」
 やはり短く名を呼ばれただけで真人は庭へと誘われた。共に狭い庭に出る。歩く、と言えるほど広くはない。それでも隣にいるのは気恥ずかしくも嬉しかった。
「あれは、違うだろう」
 首をかしげて問う夏樹に、真人はどうだろうかと同じように首をかしげた。夏樹は言う。同じ双子であっても、違う人間なのだからと。
「でも、同じ血、同じ年。どうなんだろうね」
「育った環境、と言うところだろうな」
「春樹君のほうが、さすがに礼儀正しいな、なんて思ってちょっと落ち込む」
「あれは虚勢さ」
 肩をすくめ、さらりと夏樹は言う。言われて見て改めて居間を振り返る。少し長めの髪を耳にかけ、春樹は一生懸命春真に教えていた。退屈そうな春真を見ると横から叱りたくなってしまう。
「そうかな」
 とても、夏樹が言うようなことだとは思えなかった。頑張り屋さんな春樹と腕白な春真。春樹のように生真面目にもなれたはずなのに、自分の育て方が悪かったのだろうか。
「真人。お前は春真が可愛いか」
「もちろん。なにを言うの、今更」
 驚いて夏樹を振り返れば、苦笑していた。真人には言葉を重ねなくともわかる。自分が間違ったことをしている時の彼の顔だった。
「夏樹――」
「春真も春樹も、別の人間だ。偶々双子だというだけのこと。とらわれすぎるな。俺と冬樹は同じか。違うだろう」
「だって、双子じゃないし」
「だが同じ兄弟だ」
 あっさりとそれで片付けるには重いものを背負った兄弟だったはずだ。それなのに夏樹はそう言う。ゆっくりと、真人に夏樹の言葉が染み込んでいく。
「うん、そうだね。違うんだもの。それでいいよね」
「当たり前だ」
 短く笑って夏樹は真人の頭を軽く叩いた。本当は撫でようとしたのだと真人にはわかってしまった。双子の目をはばかって、うっかり伸びた手のやり場に迷っただけ。くすくすと笑って真人は双子を見やる。
「いいよね」
「なにがだ」
「僕、兄弟がいないから」
「まぁ……ありがたいものではあるな」
 母に愛された冬樹の幼い手で何度も救われた夏樹。どことなく歯切れが悪いのは、母に対するわだかまりであって、冬樹に対してではないのを真人は知っている。
「小さい頃の、幼馴染って言うのも僕にはいないからね。ちょっと羨ましいよ」
「羨むようなものか」
「それはね、夏樹」
 もういやだと悲鳴を上げる春真の頬を春樹が軽くつねっている。笑いあってまた机に二人、頭を寄せていくのを見れば浮かぶ笑み。
「あなたにそういう人がいるから」
「俺に……。いるかな」
「いるじゃない、言いつけるよ。今度あったときに」
 首をひねる夏樹にはどうやら本気で心当たりがないらしい。思わず声を上げて笑ってしまった。突然の笑い声に双子が驚いたよう庭を見る。
「ごめん、なんでもないよ。伯父様とちょっとお喋りしてただけ」
 揃ってこちらを見た表情も、同時にうなずいた仕種も、あまりにも同じだった。それでも真人は違うのだと改めて思った。もしも暗闇で、二人が手を伸ばしていたとして、真人はたぶんその手だけで区別がつく。そう思う。
「おい、真人」
「ん。あなたにいるのが誰かってこと。もうわかるんじゃないの」
「わからん」
 不機嫌そうにそっぽを向く夏樹の背中に頬を寄せたくて、子供の目に思いとどまった。
「――露貴さんだよ」
「おい」
「慌てないで。別にそんなつもりじゃない」
「だけどな」
 真人は黙って首を振る。否定など無駄なこと。事実として、兄弟のように慈しみあった血縁。現実問題として、幼い頃からの友人でもある。それが夏樹にとっての露貴だ。
「……血縁と、幼馴染じゃ、ずいぶん違うだろうが」
「そうかな。僕が持ってないものだから、そう思うのかな。あなたと露貴さんを見てるとそう思うし、だったらハルにとっての春樹君がそうであってもいいかなって」
 言った途端、夏樹が渋い顔をした。言いたいことがあるけれど、決して自分の口から告げられることではないとばかりに。思わずぽん、と真人は手を叩く。
「あぁ。それはちょっと困るかも。僕はハルに幸せになって欲しいから本人が望むならそれはそれでいいけど。ちょっとねぇ」
 夏樹と露貴に対応させるのならば、春真と春樹は。まさか夏樹もそこまで具体的な想像はしていないだろうけれど、言えば渋い顔が更に渋くなる。
「お前ね」
「だって、そうでしょう」
「まぁ、確かに困るけどな。問題はそこ……か」
「そこだよ」
「あのな」
「僕は、双子のどっちかがそんな気になったらちょっと育ての親として困惑するかなって思うけど、あなたと露貴さんみたいに仲良くしてくれれば、こんなに嬉しいことはないとも思うよ」
「真人」
「なに」
「お前、世間とずれてる感覚はあるか」
 いやに真摯な夏樹の顔に真人は吹き出すのをこらえていた。まさかこの男に言われるとは思ってもみなかったものを。
「なにを今更。それでも――ね」
 省いた言葉。それでも僕が好きでしょう。伝わった証拠に夏樹は苦笑した。言葉の意味にではなく、真人のやり方に。
「なぁ、真人」
「なに」
「その、な。古い仲ばかりがいいものでは、ないだろうが」
 夏樹の眼差しは、あらぬ方を見やっていた。遠いどこか。それなのに強い眼差し。強いくせに、泳いでいた。
「それはつまり、夏樹」
「言うな。言わなきゃわからんような鈍い男か、お前は」
「たまに鈍くなるよ、僕もね」
 真人を振り向く夏樹の目は心の底から呆れていた。それなのに、これ以上ないほど笑っていた。




モドル