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A氏  :我々が趣味で考える残虐行為など、軽く越えるのが戦争の狂気というやつだ。もうひとつ、これはマルタでも何でもない、町を歩いていた中国人少年に対して行われた生体解剖を紹介しておこう。終戦時の一九四五年。この施設の「解剖室」で、千体以上の生体解剖が行われたという証言がある。この少年も、その一人だ。
 一九四三年のある日、解剖室に一人の少年が連れてこられた。彼は「マルタ」ではなく、どこかから誘拐してきたのではないかということであったが、正確なところはわからない。少年は観念したように解剖室のすみにじっとうずくまっていた。隊員の一人が、少年に台の上に上がるように命じた。上半身裸にさせられた少年は、命ぜられた通り台の上に身を横たえた。中国人少年はこれから自分の身の上におこるべきことを理解していなかった。下穿きを脱がせると、少年の性器にはほとんど陰毛がなかった。性器の形やその周辺部位から見て、少年の年齢は十二、三歳と推定された。仰向けに寝た少年の口と鼻にクロロホルムを浸した脱脂綿が押し当てられた。全身に麻酔が回ったころ、少年の体がアルコールで拭き清められた。
 隊員の一人がメスを握り、少年の体に覆い被さる。胸郭に沿ってY字にメスが入る。コッヘル鉗子で止血された皮膚に血玉がプツプツとわき出て白い脂肪が露出した。
 「少年はマルタやない・・・子供やさかいに別に抗日運動をやったわけでもない。それをバラしたのは、健康な少年男子の臓器が欲しかったためと後でわかった。少年はそれだけのために生きたまま腑分けにされたんや・・・」
 後にこの解剖場面を回想した元隊員の言葉さ。眠っている少年の体内から腸、膵臓、肝臓、腎臓、胃袋と手際よく各種の内臓が取り出され、計量された後バケツに投げ込まれた。計量器に乗せられた各臓器は、まだ蠕動を続けているために計量器の針が振れて、読みとるのに苦労したという。バケツの中に放り込まれた臓器は、直ちにホルマリン液の入ったガラス容器に移され、ふたををされた。
 「人間の活け作り」だ。胃袋を取り、肺を切除した後は、少年の頭だけが残った。いが栗坊主の小さな頭。それを台に固定し、耳から鼻にかけて横にメスを入れる。頭皮が切り落とされた後、鋸が入れられ、頭蓋骨が三角形に剥ぎ取られた。脳が露出したところで、隊員が柔らかな保護膜に手を入れ、豆腐でも取り出すように少年の脳を取り出した。それを手早くホルマリン容器に移す。台の上には少年の四肢と空洞になった身体の形骸だけが残された。解剖は終わった。
 少年の強制された死に一掬の感傷も寄せられなかった。おそらく思春期の門口に佇んでいたであろうこの少年の名は、多数の「マルタ」同様いまだにわからない。少年は生きながら解剖されている事実を知る由もなかった。少年に強制されたわずかなまどろみの間に、すべては終わっていたのさ。 

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