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盛夏も過ぎ、夜肌寒い季節だった。
例のビアバーで、この季節にはむしろちょうどよい、ぬるいビールを舐めていた三木のもとに、ガタイのいい無精ヒゲの男が近付いてきた。
「三木さん……」
「おや、金先生。珍しいね」
「あんた今時間あるかい?」
どうも様子が普通でない。切羽詰まっているような、と言ってもいい。
「まあね。夜は誰も買ってない。今のところはね」
「車の運転できますか」
(ですますかよ……)
よく見ると後ろに、金に比べれば小柄な中年男がいる。見覚えがある。
「元々ブンヤですから。バイクでも車でも必要があれば走らせまっせ。……どないしたんです?」
「僕は自動車の免許は取るひまがなくてね。歩きながらで頼みます。一刻の猶予もないんですわ」
三木の後ろにいたのは、Z界隈が管轄の生活安全課の刑事だった。三田村と言って、街に馴染んでここの大人からも子どもからも、比較的好かれている。末端の制服警官が、たいがいは横暴で小金に汚く、蛇蝎のごとく嫌われているのとは大違いである
「ジョージ君が……本名もわからんし、そう呼んどきますが、今強盗殺人の容疑で府警に追われています」
三木は火をつけかけたタバコを、ポケットにしまい直した。
「……そんなアホな……」
彼が時々キレるのは知っている。刃物を持ち歩いているのも知っている。だが、簡単にそれを振るう少年ではない。何年もこの街で大過なく生き抜いてきたのだ。
「ジョージは子ども二人で客の相手してたらしいが、客の財布か金がなくなった。で、疑われて侮辱された。猛烈な口げんかになって、向こうが、悪いことに、バッグに護身用の拳銃を持っていたんですわ。それを出した。揉み合いになって、銃は床に落ちたが、ジョージはおさまらず、客をめった刺しにして、さらにまずいことに、客のピストルを拾って、姿を消したんです……」
多少の興奮は感じられるものの、長年の経験から、要点を損なわないゆっくりとしたしゃべりだった。
「あいにく殺人となると、私の管轄外です。府警の担当者が神部警部だと聞きました」
…………!
『結果が見えてる裁判に金をかけますか。みんなぎりぎりで生活してるんでっせ。裁判にかて金はいる。私は善良な市民の味方ですから』
神部の実際の言葉だ。強盗殺人の現行犯、しかもピストルを持って逃走中。さすがに彼も十四歳の少年を射殺したことはないらしいが、未成年でも容赦はしないという。反撃するように仕向けて『容疑者』を射殺するとも言われている。
金が口を挟んだ。
「チビ玉に話を聞いて、ヤツの行きそうなところに見当をつけた。当たっているかはわからない。しかしとにかく、先に身柄を押さえて、ピストルさえ取り上げれば、命までは取られない」
三木は黙って聞いていた。もちろん三木は彼らに何の義理もない。しかしそれは、金も三田村も、同じことだ。
「これに乗れって言うんですかい?」
三木の目の前には、アイドリング中の八トンダンプが低いうなりと暖気を漏らしていた。
「でかけりゃ速いってもんやないのはご存じで?」
三木は腕組みする金をのぞき見る。
「すまんがこれしか用意できなかった。改造車らしくってリミッターだとか切ってあるそうだ。上り坂以外では一八〇くらいは出ると聞いた」
「俺の免許はフツメンでね。結局無免許と同じことやけど」
「無理ですか」
「いや、運転はできる……っていうかしますよ。止められたらアウトちゅうだけです」
車のドアに、チビ玉がもたれていた。運転席のドアノブは、彼の頭より高い位置にある。
「チビ玉……」
三木にすがりつくチビ玉。その姿は、どこにでもいる、小さな子どもでしかない。泣きじゃくる。
「俺が……俺が悪いねん……俺が……」
「ええからまず乗れ。ジョージに会いに行こう。謝るのは俺とちごて、あいつやろ」
三田村刑事はダンプに乗り込んだ三人に、エンジン音にかき消されがちなので、大声で伝えた。
「私は別ルートで動きます。違反だが神部君の動きも、つかんだら電話しますから、できるだけ携帯を……」
三木はOKサインを出し、ドアを閉めた。
†
「さっさと全部脱いで見せなさいよ!」
「盗ってへんちゅうてるやろが! 誰がお前のしみったっれた財布……」
「乞食のガキが一人前の口きいてんじゃないわよ! この、泥棒ネコ! さっさと四つん這いになりなさい! 調べてあげるわ汚いお尻の穴までね」
「……このクソジジイ、殺したる……!」
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