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 そんな、反応が不安だった作品内容に話を戻します。
 携帯(ハンズフリー)、WEBカム、浴槽、ジャンボファングルなど、現代的で新味があり、過度に大人のプレイで使う専門用具に依らないのがこだわりです。
 また、先述の通りとてもリアルで生々しい妄想を起点にしているため、破壊的にハード、残酷なものは扱わず、それでも強烈に濃い、という路線を狙いました。そういう意味では小説「無間」と対をなす作品なのです。本作の「おっちゃん」も、無間の黒崎も、僕の心の中に住んでいます。

 連載長期化の中で、少年像を深め、同時に責め手の青年像も深めていきます。そうすると、感情移入してくる。ただでさえ好きな子の視覚的イメージがあり、愛すべき背景を与え、「おっちゃん」は僕自身であるならば、自作とはいえ、キャラに入れ込んでしまうものです。
  中途半端な悪党の青年が、己の業とかっとうしながら、自分の本心よりひどく、少年をいじめて、身勝手に自身が傷ついたり、また、愛や孤独を自覚する様、これに共感して下さった読者もおられました。

 そして、具体的に引いてきた伏線、思い入れいっぱいで描いたキャラの必然的な心理の変化が、このような「監禁もの」作品にはおよそない奇抜な展開と意外な結末を生みました。

 中盤までは、身体を不可逆に破壊したりしないものの、展開はかなりハードでした。
 ですので、終盤読んでいて「それはない」と感じた読者様も、いらっしゃったかと思います。監禁ものなら、救いのない無残な結末こそ求められ、それがリアリズムでもあるってもんじゃないか? ごもっともです。
 しかし作者は、一つの道しか選べないのです。「だぶつく」という理由で泣く泣く捨てた展開も、多数あります。そうして一本の作品とするのが小説ってもんで、それはそれで、誰かには不満が残っても完結した一つの世界なのです。

 続編がもとの作品のイメージをぶち壊すっていうこともままありますが、えらく人気の出た本編ではちょい役でしかない駿の、さらなる活躍は僕も書きたい。
 通常のサイドストーリーもありですが、この作品ならストーリー全体に大きな影響を与えないプレイのバリエーションを加えるのは比較的容易で、かっとうの結果出した青年の決断が180度変わる可能性もあったわけです。
 分岐のあるデジタルノベルにすれば、これが実現できます。
 僕自身が、「自慰的妄想」として作り上げた展開や行為の作品を下地に、読者様のああしたいこうしたいという(あくまでバーチャルな)願いを取り込んだデジタルノベルが、次の企画です。アンケート実施中。どうぞご協力下さい。

2008年4月 とりさん拝

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