(いつもと同じだ・・・)
アリアは、特に感動も無く、自分の声に溺れている人間達を眺めていた。
毎度のごとく、人々は自分の声に聞き惚れてくれる。一座に加わる以前からそうだった。自分が歌い出せば、人間も動物も、自然さえも聞き入ってくれる気がした。
彼女は、本当に僻地の小さな村で育った。ただ草と山と動物が人間と共に生きている、そんな場所だった。アリアは、退屈になると、いつも村の外れ、静かな丘の上で歌っていた。家族の誰かが歌が上手かったわけではない。けれども、彼女は持って生まれた才能を存分に発揮して、山々に美しく響く歌を、ほとんど毎日奏でていた。
ある日、たまたま通りかかった一座が彼女の歌声を聞き、一緒に来ないか、と誘われた。両親は初めこそ胡散臭そうな顔をしていたものの、彼女の家は十三人の大家族だったので、体の良い口減らしが出来ると思ったのか、数日後には座長に頭を下げて、アリアを連れて行ってくれるように頼んだ。一座も、アリアが加わることを根気良く待って、村に滞在していたのだ。
当の彼女もまた、村で一生を終えるよりも、外の世界で暮らすことを望んだ。話はとんとん拍子に進み、一座が村に来て十日目にアリアは共に旅立った。
一座での暮らしは思っていたよりも楽で、動物や草の世話をするよりも遥かに金になった。
歌うことは苦ではなかった。色んな街で、色んな歌を教わった。今歌っている異国の曲も、どこかの漁村に立ち寄った時に船乗りから教えてもらったものだ。
そうやって、今日まで生きてきた。けれども、何故だろうか。歌を心の底から好きになれないのは。
ふと、アリアは上座に目をやった。そこには三人の人間が座っていた。
真ん中の人間、赤茶色の髪の毛に淡い色の目、額になぜか『愛』の文字がある。恐らくは風影と呼ばれるこの里の長なのだろう。それにしては若すぎるような気もするが、旅の途中で、生まれたばかりの赤ん坊を王にしてしまった国もあった。彼もまた、望まないままそうなったのだろうか。
アリアから見て左隣には、黒い装束の、顔に紅い隈取を施している男。これもまた若いが、百戦錬磨のような雰囲気を醸し出している。よく目を凝らすと、彼の後ろには人形のようなものが置いてある。
右隣には、きりりとした美しい顔立ちの女性が座っている。細い金色の髪の毛を上下左右に揺らしている。長く細い腕で、目の前に出された果物を手に取り、がぶりと噛み付いていた。その姿さえも、どきりとするほどに美しかった。
アリアが何とはなしに、三人に目を向けたまま歌っていると、不意に真ん中の男が、左隣の男に何やら耳打ちをした。
すると、左隣の男は驚いたような、困ったような顔つきをして身を乗り出すと、果物を齧っている女性に話しかけた。だが、女性も男と同じ表情を作り、怒ったように真ん中の男に話しかける。
風影と思われる男も、すぐに黙り込んで、まっすぐにアリアに目を戻した。
(なんだろう・・・?)
アリアは不思議に思いつつも、流暢に歌い上げ、まだ声の余韻に浸っている人間達に一礼をして、舞台を去った。遅れて、今日最高の拍手と歓声と、泣き声が聞こえてきた。
「今日も良い出来だったな、アリア!」
舞台袖に戻り、水筒を手渡しながら、座長が笑顔で彼女の肩を叩いた。
「・・・そうかなぁ」
いつもの言葉に面白くも無い、とばかりにぶっきらぼうに返す。これもいつものことだ。
『自分がどう思っていようと、恵まれた才能には感謝しろ』
座長はいつも皆に言っている。そうやって掻き集められたのが、この一座。中には、満足している人間もいるのだろうが、中には、自分のように不本意な人間も確実にいるのだろう。
「アリアさん、もう一曲お願いしたいそうですが・・・」
道具係兼事務係の男が歓声に負けないように、大声で言う。
「・・・歌いたくないなぁ」
アリアはそちらを見向きもせずに、宴会場の天井をぼんやりと見上げる。
「でも・・・、里の上役たちが是非に、と言っているようですが・・・」
「ふうん・・・」
そういうことならば、歌わない理由は無い。アリアは頭の中で適当に曲を決めると、座長と道具係兼事務係の肩を叩いて、舞台へと戻った。
そして、自分に向けられる視線に、ありったけの作り笑いをすると、息を吸い込み歌いだす。
今度は明るい曲を選んだのだが、宴会場は静まり、砂の里には彼女の漏れ出した歌声が、風に乗って流れた。
(いつもと同じだ・・・)



公演が終わり、宴会場の舞台も撤収されて、一座は砂の里で用意された三階建ての宿舎にいた。
いつも行商人を泊めているのか、宿舎の前は広い空き地になっていて、馬や大きな荷物を置くのに苦労はしなかった。
アリアは、一階の大広間(造りを見れば、ただの宴会場だが)で、一座に入ったときから使っている、化粧道具と鏡を用意された机に置き、ぼんやりと天井を見上げていた。
他の座員は共に着替えと雑談をして、室内はとても賑やかだ。
たったの一夜限りの公演にも関わらず、大広間には先ほどの感動のお礼にと、酒やどこで調達してくるのか花束が次々と運び込まれている。
「これって砂の里で作ってるお酒かな? ・・・サボテン酒?」
「サボテンを使って里興しをしたいって聞いたな、確か」
「この花、変な液体が茎から出てくるよ!」
「それ、薬草じゃないの?」
「・・・え? はい、ちょっと待ってくださいね。・・・・・・アリアさん!!」
大きな声たちに紛れて、聞き逃すところだった、自分を呼ぶ声に首を動かす。入り口には、踊り子の少女と一人の男が立っていた。渇いた色のジャケットを羽織っている、砂の里の忍びだ。
「はい、なんでしょうか?」
アリアは億劫そうに立ち上がり、入り口まで行くと少女を優しく室内へと戻し、男に向き合った。相手は背が高く、首を最大限に上向かせないと話せない。そのせいか、なんだか子供に戻った感覚になる。
男は、とりあえず先ほどの公演の感想を言ってから、
「風影さまがお呼びです。ぜひ、あなたと話したいと仰っています」
「風影・・・? ・・・あの上座の真ん中に居た方ですか?」
「そうです。どうか・・・」
その会話を聞きつけた座員の一人が、
「また、求婚じゃないの? 前の前に行った街でもされてたじゃない」
などと余計なことを言った。
アリアは軽く大広間を睨むと、また男を見上げる。
「・・・分かりました。風影さまが会いたいと仰るのなら・・・」
男を待たせて、アリアは取ろうと思っていた化粧の上に、薄く粉をはたき、歩きづらい舞台の衣装を脱いで普段着に着替える。そして、気に入っている水色の布を腰に巻いた。歩くたびに揺れる布は、魚の尻尾を思わせた。
「お待たせしました。案内してくださいますか?」
入り口に戻って男に笑いかけると、こちらへ、と促される。
そのまま宿舎から出て、風影の屋敷へと二人で歩く。
空には、大きな月が出ている。
「あんなに大きな月が出るのも珍しいんですよ。今日は本当に楽しかった。砂の里は活気が無くて・・・・・・・・・、失礼、この事は秘密にしておいて下さい」
慌てる男に、声を出さずに笑って、
「でも、静かで良い里です。ちょっと砂の量は多いですが、気持ちの良い風が吹いてきますね」
ひんやりとすり抜けていく風を受ける。
男と途切れ途切れに会話をしていると、程なくして風影の屋敷に着いた。



「お連れしました。風影様」
数回のノックと共に、扉の向こうに声をかけると、低く短い了承の声が聞こえた。
「さ、どうぞ・・・」
男に促され、開いた扉から室内に入る。
そこは、三人で使っても余るような広さなのに、頑丈そうな机と椅子と、寝台しか無い風影の部屋だった。中央には、急遽用意させたのか、部屋の雰囲気に似つかわしくない、花の紋様が彫られた石造りの机と脚の細い椅子があり、上には湯気の立つ茶器が二人ぶん載っていた。
アリアは、いきなり寝間に通されたことで、ますます求婚される思いが強くなった。
前に求婚されたのは、大きな一国の王で、自分を十数人目の妾にしたかったようだ。今日と同様、すぐに大きく趣味の悪い装飾がある寝室に通され、挨拶も束の間、襲われる羽目となった。その時は、相手の股間を強かに蹴り上げ、首の後ろを手刀(しゅとう)で叩いて、事なきを得て、急いで一座の元に戻り事の次第を話し、国を後にした。風の噂によると、一座とアリアは国の中では一級の犯罪者で、指名手配までされているようだ。けれど、国の外まで追いかけるほど、国民も馬鹿ではない。むしろ、そんな国の主にほとほと愛想が尽きているようだった。
アリアがぼんやりと、その事を思い出していると、
「座れ」
低いが妙に耳に残る声で、話しかけられた。
意識を戻してみると、既に案内してくれた男の姿は無く、風影は椅子に座り淡々と茶を啜っている。
「座れ」
もう一度命令され、アリアは失礼しますと一礼すると、風影の向かいに腰を下ろした。
「飲め。砂茶だ」
座るや否や、次の命令。彼女は無言で、砂茶とやらを飲んだ。飲む前に、なにか薬が入っていないか、鼻と目で確かめるのを忘れなかった。
「・・・美味しいです」
本当は特に美味しくも無く、なんとなく砂の味がする飲み物だったが、まさか不味いとは言えまい。
(・・・随分、静かな王様だ・・・)
茶を飲むふりをして、じっくりと短い命令しかしなかった青年を見る。柔らかそうな赤茶の髪の毛に、遠目では分からなかったが、目の周りの縁取りは化粧ではなく、蓄積されたどす黒い隈だった。
これほどまでに病的な隈を見たことが無い。背筋に冷たいものが滲んだ。
ふ、と、風影が目を開けた。そこから見えた両目の色は、オアシスの緑を薄くしたような色合いで、見てはいけない宝石のように映った。
(綺麗だ)
柄にも無く思った自分に咳払いをすると、それを合図にしたかのように、青年がようやく口を開いた。
「今日の宴は実に興味深かった。もう一度礼を言う」
句読点をほとんど使わない彼の言葉は淀みなく、知らぬ間に過ぎていく雲のようだ。
「こちらこそ・・・」
彼女が返すと、風影はさっき自分がそうしたように、じっくりと観察を始めた。
(なにを見ているのだろうか?)
心の中を見透かされているような感覚に、身を硬くして、言葉を待つ。いつもならば、矢継ぎ早に甘い言葉を囁かれているところなのに。
沈黙に耐えきれなくなり、今度は自分から口を開いた。
「あの・・・、何か・・・?」
アリアの言葉に、青年はますます興味深そうに観察を続ける。そっと顔を上げると、まともに彼と目が合ってしまった。慌てて視線を逸らす。
「・・・風影、さま? 私を見てるだけでは、話が進みません・・・」
懇願のような声音になってしまった。全身が本当に小刻みに震えていることに気づく。青年の身体から発せられる空気は、人を圧迫するようだ。なんとも居心地が悪い。こんなことは初めてだ。
「そうか」
風影は一瞬身を引くと、
「お前が最初に歌った歌の意味が知りたい」
「は?」

次へ