おれ達は泡を食ってかかりつけの動物病院へと急ぎ、他の治療を待っている動物を尻目に、診察室に飛び込んだ。ちょうど診療していた獣医と、連れて来られた猫と、その飼い主が驚いて固まった。
「なに? どうしたの、二人して……」

「で、なに。喋ったの? リーくん。今までの診察では、なんの兆候も無かったけどねぇ」
頭を掻きながら言ったのは、年齢は三十代後半、おそろしく不健康そうな肌色と体躯で、あまり態度も良いとは言えないが、腕だけは容姿と性格と真逆の獣医だ。
おれ達は、集中治療室にいた。リーの容態が思わしいのではなく、単に静かだからというのだが、駆け込んだ際にテンテンが動揺してリーが喋ったことを大声で言ってしまった(おれも何事か口走ったような気がするが覚えていない)。普通の治療室では、他の人間が好奇の目で見てくるから、というのが最大の理由だろう。病院には、あと三人の獣医がいたので、他の患畜はそちらに任せている。
「あのー、喋ったってことは、リーは病気でしょうか……?」
なんとなく妙な質問を、テンテンが獣医に投げかける。診察台にのしかかるようにして、リーの体を触ったりめくったりしている獣医は、ふふふと不気味に笑った(これが通常状態だ)。
「それは大丈夫。逆にこっちが聞きたいのは、リーくんの親犬って忍犬だよね? っていうこと」
考えもしないことだった。二人で顔を見合わせたのを確認してから、獣医が頷く。
「聞いていない。リーを連れて来た人間も、何も言ってなかった」
実際には、おれはリーが来た時、家にいなかった。任務から帰って来たら、テンテンが小さなリーを抱いていた。
「そっか。……忍犬っていうか、喋る動物ってのは殆どは遺伝によるものなんだよね。もっと言っちゃうと、人間のある程度の知能と、人語を解すことが出来る術を動物にかけて、大量に繁殖させたんだけど。話を聞く限りは、先祖返りかねぇ? こりゃ。事例は頻繁ではないけど、珍しくはないよ」
「……でも、普通の犬なら喋る練習なんてするでしょうか?」
確かに。自分で喋れることを確信しなければ、ああやって妙な練習はしないだろう。獣医も同じことを考えたのか何度も頷いて、リーの体を、細く血色の悪い手で撫でる。当の本犬は連日連夜の練習と、初めて喋ったことで気絶してしまったらしいが、命に別状は無いようだ。
「忍犬の血を引いた子孫は、神経回路が人間寄りに変わってるから、どっかで自分が喋れるって気づいたのかねぇ。苦しい仮設だけどさ。んで? 最初の言葉ってなんだったわけ?」
獣医が好奇心丸出しで聞いてくる。
まあ、隠すことでもないし、とテンテンは呟いて、
「テンテン、って言いました」
「てん……、え? テンテンちゃんの名前言ったの?」
心底驚いた様子を見せてから、獣医は爆笑する。こちらも、なんだか気恥ずかしくなって、咳払いをした。
獣医の笑い声がうるさかったのか、リーの耳が少し動いて、覗き込むと目を開いた。
「リー、平気? まだ喋れる?」
「…………わううう、……ひゃい……」
鳴き声とも言葉ともつかない返事だったが、獣医は、
「こりゃあ、本物だわ。うん、火影様に連絡するよ? このまま訓練すれば、正式に忍犬として里に登録できると思うから。これは獣医に報告義務が課せられているので、ネジくんとテンテンちゃんに拒否権はありません」
そう言う獣医の顔が、興奮で赤くなるのを、おれは初めて見た。


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