フォークダンスで口説いて  終/9
きくち 和
 
 キシッと顔の辺りで何かが動いて、秋野は目を開いた。
「……ん……?」
 突っ伏していた身を、そっともたげてみる。
「お。気がついたか? いいぞ、寝てろ」
 清田の声が聞こえた。全身が酷く重だるい。けれど上半身にはパジャマを着せられていて、身体全体が妙にサッパリとしている。
 目をパチパチと何度か瞬いて、意識を失ったのだ、と思い出す。ついでに自分の余りの痴態が甦ってきて、瞬く間に顔に血が集まる。
「ごめんな。無茶しすぎたかも。痛いとこ無いか? 身体はざっと拭いたんだけど」
 軽く髪をすくようにしながら清田が聞いて来る。
「痛くはない、けど。えと、おれ、飛んじゃった……のかな?」
 声は散々喘いだせいか、掠れてしまっている。そして気になる事を途切れ途切れに聞いてみる。
「ん、みたい。後は10分ほど寝てた。一瞬飛んだってのは何回かあったけど、今回のは本格的でびっくりした。ごめんな。でも秋野、凄くその。うん、まあ俺も結構暴走したけど。お互い何か色々な。凄かったよな」
 謝りながらも真顔で露骨な事を言う清田に、もう返す返事すら無い。余りに恥ずかしくて思わず顔を両手で覆っていれば、清田がゆったりと頭をなでてくれる。その指先が酷く優しい。
確かに今までも激しいセックスにもつれ込んだ事は幾度もあるが、完全に気を失った事までは無かった。それに、と、余計な事まで思い出し、また顔がカッカと火照る。
「う、ん。あ、あんなの、初めてでスゴかっ、うわーっ、もう! やだっ!」
 ふうふうと必死に息を落ち着けながら、あれやこれやと、目一杯思い出してしまった。
(た、確かに凄かったけど。あれなに? 本当におれ、ドライになっちゃっ、いや、それ以外も何か、うひゃーっ、わーっ)
 一人でパニくっているうちに、奥も随分スッキリしているのに気付いた。そろっと清田を見れば、甘い笑みを浮かべ、柔らかいキスを落としてくれる。
 啄ばむようなそれは、深くならなかった。
 身体を拭いてくれたのは解る。そして、そこから先は聞きたくない。けれど、一応そんな始末までさせてしまったのなら、礼は言わねばならない。ギシギシと額が軋むような羞恥を堪え、恐る恐る清田に尋ねてみる。
「えっと、その。身体、拭くだけじゃないお世話もさせちゃった、んだよね。すいません」
 秋野の言葉に清田は、ふっと悪戯めいた笑いを浮かべている。
「いえいえ。それも楽しみの一つですから。また今度起きてる時に、じっくりさせてな。俺、あれは、かなり好きだな。嵌まるかも」
 シレッとした口調で言い返された言葉に、もう絶句するしかない。
「おっまえ……そんな事どこで調べたんだよ、もう、信じらんない、エッチ! スケベ!」
 バタバタと手を振りまわして、それでも声を潜め気味にして罵れば、清田がプッと噴き出した。文句を言いながらも目を潤ませている自分が、ちっとも嫌がっていないのなど、お見通しなのだ。笑みを浮かべたまま布団を上げて、ベッドの中にゆっくりと入ってくる。
 上半身は裸だが、下にパジャマをつけている。自分には上が着せてあったが、それも如何にもな感じで、矢鱈と恥ずかしい事この上ない。下はまだそのままだ。でも仄かに清田の匂いのするパジャマは、大谷とはまた、違った安心感を産む。
 奥へと詰めて隣に入れながらも、助けを借り、モソモソと半身を起こす。クッションを多めにしいて、ベッドヘッドで背を支え、クタン、と右半身を清田に預けた。
 口先では文句を言いながら、この男を嫌いになんて、到底なれないのだから仕方ない。
「ま、あれだな。ネットは便利だよな。色々」
 しれしれと告げてくるその口を、ムニュッと軽く捻ってやる。その腕をすうっと優しく撫でるようにされると、また、ゾワッと甘い痺れが身体を走り抜ける。瞳をじっと見詰められると、グズグズに溶けてしまいそうだ。
 結局は惚れた弱みと言うものだろうか。軽いキスの後で降参する。
「ん、もう……今はダメ」
「うん。じゃ、ちょっと休憩な」
 とんでもない返事がまた戻ってきた。完全に清田に翻弄されてしまっていると思う。
「ちょ、ちょっとって。ねえ、またする気?」
 焦って聞いてみれば、シレシレと返される。
「無理にはしない。でも出来そうなら遠慮はしねえ。俺も今日は部長直々のお許しで休みだし。見合いの騙し討ちのお詫びってんでな。それとお前、これから暫く出張で逢えないだろ? 多分腰までは抜けてない筈だぞ。そこは一応加減したつもりなんだけど」
 ベッドサイドのラジオのスイッチを捻りながら、清田が凄い事を言う。あれで加減をしたなんて嘘だろう、と、秋野は耳を疑う。ラジオからアナウンサーの低い声が静かに零れ始める。深夜のFM放送を流すのが好きらしいのは、付き合い始めた頃に知った。
 本当に腰は抜けていないのかと、そろそろと身体を動かせば、清田の言葉通りだった。だるいけれど、痛みも無い。そのだるさすら、ペットボトルの水を渡され、少しずつ飲めば一気に軽くなった気がする。ふと出張の変更を思い出し、それを伝えておく事にした。
「あ、出張ね。あれ、二箇所で良くなったんだ。店長がメインで動く事になってさ。店長は結構喜んでたけど、マネージャーは何か微妙に嫌そうだったな」
 そう告げると、清田が軽く目を見開いた。
「そうか。そりゃマネージャーさんには気の毒だけど、俺にとっちゃラッキーだな。で、秋野は何処に行くんだ?」
 聞かれた途端に、一瞬ギクッとする。でも言わない訳にもいかず、ならばせめてもと軽い口調で言ってみる。
「ん? 銀座と名古屋」
「……名古屋?」
 予測通りに、途端に気圧の下がった清田の声に慌ててしまう。
「あ、逢わないよ、絶対。それに店に来る様な人じゃないから、ヒデは。凄い引きはいい人だから大丈夫。それに店なら人もいるし、ホテルはマネージャーと一緒だし、心配いらないから。ね?」
 必死に宥めるように言うと、日にちや宿泊先のホテルまで聞かれる。別に隠し立てをする気は無いので、素直に応えた。
「くそ、平日かぁ。東京の日程だったら、繁忙期だけど、でも何とかなりそうなんだけど」
 などと、清田は呟いている。彼の商売は、二月半ばから四月初旬までが一番忙しいらしい。確かに東京ならば、二月の初日から出張だった。
 しかし清田がこんなに嫉妬深いとは思わなかった、と秋野は驚く。けれど、それがうざったいのでなく、嬉しいと感じてしまう辺りが、かなり末期だとも思う。自分でも、ため息しか出ないのが面映い。
「名古屋は多分飲みが入るから、心配ないよ。それにちゃんとメールとか電話するからさ。無理に休んだりしないで。仕事は大事だよ」
 そう言うと、清田はコクン、と頷いて、そっと指を絡めてくる。その時だった。ラジオから懐かしい調べが流れ出した。中学の時にフォークダンスを踊った曲である。
「わ、これ凄い、懐かしい。フォークダンスの時の曲じゃない?」
 思わずはしゃいで清田を見れば、ああ、と目を見開いている。
「ねえ、踊っちゃおっか?」
 ちょっと調子づいて聞いてみる。
「えっ? でも振り付け忘れたぞ。それにこれ、ちょっとテンポ違うだろ、結構早いぞ」
 清田はそう言って首を傾げている。
「ああ、そう言えば、おれも振り付け、全部は思い出せないな。忘れちゃってるよ」
 ため息をつきながら、それでも絡めた手をゆっくりと揺するようにして、曲に合わせる。
 有名なフレーズのみを流すスタイルらしく、僅か一分足らずでその曲はフェイドアウトをしてしまった。
 ラジオをプツン、と消した清田が絡めていた指を外し、騎士が姫君にする様に、そっ、と秋野の左手を持ち上げた。そのまま手の甲にチュッとキスをする。
「秋野悠樹さん。一生、俺の側にいてくれますか?」
 大真面目な顔で、囁くように尋ねられた。秋野の目が思わずふわり、と緩んでしまう。本当に何て可愛い男だろう。彼こそが、自分の大事な宝だと思う。
 返事は当然イエスしか思いつかない。こんな時に姫君は何と応えていただろうか、と軽く頭を捻って思い出す。
「ありがとう。お申し出に、喜んでお応え致します」
 返事を待つ間、不安そうだった清田の瞳に、ホッとしたような明るい光が戻ってくる。
「フォークダンスで一目惚れしてさ。またその曲聴きながらプロポーズするとは、思いもしなかったな」
 ぎゅっと肩を抱き寄せられながら、意外な事を告白される。一目惚れだなんて、そんな嬉しい言葉を貰えるとは思ってもいなかった。しかもプロポーズだなんて、と胸がトクトクと高鳴ってくる。清田の瞳をじっ、と見詰め、秋野は羞恥に顔を赤くしながら、囁いた。
「初恋でも実る事ってあるんだね、清田。……大好きだよ」
 そう告げた途端、清田が、驚いたような顔をして自分を指差し、目を瞬かせている。声にもならないらしい。彼の素振りに、うん、と秋野は深く頷いた。
「そうだよ。清田がおれの初恋の人」
 そう告げると、今度は清田が頬を、ほんのりと赤く染めている。互いにじっと見詰めあい、そっと唇を重ねる。そのまま二人は性懲りもなく、ゆっくりとベッドに沈み込み、恋人ならではの行為を、再び交わし始めた。


 窓の外では深夜の闇に、真冬の星座が煌いている。甘い恋人達を見かねたように、スッと一つの星が漆黒の空を走りぬけていった。

MENU 前へ

……よろしければお願いいたします。