嫉妬心 P9
バタン!
裏口の扉が大きな音を立てたので、竹本と孝平は驚いてキスをやめ、そちらの方向を見た。
「…なんでしょう。風でしょうか。」
「そうかもな。見てきてくれ。」
「はい。」
孝平は竹本にそう言ってから資料に目を戻し、しばらくしてふと視線を上げた。
竹本を見ると裏口への曲がり角を曲がろうとしている。
孝平はその後姿にもう一度声をかけた。
「竹本。」
「はい?」
竹本が振り返る。
孝平はなんだか不吉な予感がして、彼のことを手招きして呼び戻した。
「もう寝よう。悪いがこの資料を元に戻しておいてもらえるかな。並び順を忘れてしまった。」
「…仕方ないですね。いいですよ、社長は先にお休みになられてください。」
竹本は苦笑して、食卓の方へ戻った。
「どこか扉が開いているかもしれませんから、気をつけてください。寝る前に鍵を確認してもらえるとありがたいです。」
「わかった。」
孝平は竹本に席を譲り、自分のペンケースと腕時計を持って角を曲がった。
…予想通りだ。
角を曲がった先には恭平の風呂道具一式の入った袋が落ちていた。
見られた。
孝平はそう直感して、目の前にある二人の部屋へその袋を入れ、部屋の鍵を閉めてから裏口を出た。
鍵を閉めておけば、竹本は孝平たちがもう眠ったものだと思うだろう。
裏口を出て左右を見渡した孝平は、暗闇の中で、右足を引きずって走る後姿を捉えた。
少し茂みのようになっていて、このままでは彼の行き先はペンションの光がほとんど届かない場所になってしまう。
孝平は舌打ちをして、その後姿を追いかけた。
それほど走らないうちに恭平には追いつく。
その手を取って引き寄せて、孝平は開口一番怒鳴った。
「恭平!どこへ行くつもりだ!」
引き寄せられて振り向いた恭平の頬には、幾重にも重なった涙の筋が見えた。
暗闇の中で僅かに感じる光に照らされて、反射した涙の粒がやんわりと光る。
恭平は孝平に掴まれた手を勢いよく振りほどいて、なおも奥へ行こうとした。
その後姿が、今にも闇に溶けてしまいそうで。
孝平は一度目よりも強い力でその腕を引っ張って、後ろから全身を抱きしめた。
これには恭平も驚いて、必死に抵抗する。
「やだ!放して!」
「どこへ行くつもりだ。この先には何もない。」
「何もなくたっていい。…何もない方がいい!」
「…何?」
「苦しいんだ…すごく苦しい。俺どうしたらいいかわからないよ、父さん!」
恭平がなかなか暴れるのを止めないものだから、孝平は困って手を放した。
いつもなら強引に黙らされるので、孝平が拘束を解いたことに少し違和感を覚えて恭平も動きを止める。
ゆっくりと振り向いて、頬の涙を手の甲で拭った。
暗闇ではわからないが、孝平はとても戸惑っているように見える。
きっと今まで、こういう事態になったことがないのかもしれない。
「…父さんはずるいよ。どっちつかずで。俺がこんなに苦しいの、きっと知らない。」
わからないよ、他人のことだからな。
孝平にそう言われそうで、恭平は言葉を切らずに続けた。
「竹本さんだってきっと苦しいんだ。俺はそれがわからなかった…こんなに苦しい気持ちになったの、初めてだから…っ。」
「恭平。」
「俺、今まで父さんと竹本さんが何をしてたって俺には関係ないと思ってた。今まで通りの関係でいることが、きっと一番いいんだ。今だってそう思ってる。思ってるんだけど…。」
また涙が溢れ出した。
自分でも何を言っているかわからなくなる。
辺りが暗くて、孝平の表情が見えにくいのがせめてもの救いだった。
それにきっと自分は今ひどい顔をしている。
「…でも、今までと同じなんて、できないんだ。俺は竹本さんの気持ちを知ってしまった。父さんの気持ちだって…俺はわかってると思ってた。でもそれもそのつもりになっていただけで…」
「恭平。待ちなさい。」
孝平が恭平の言葉を強い口調で遮った。
気が動転して何を言っているかわからなくなっていた恭平は、すぐに言葉を失った。
孝平が一歩近付いて、恭平の頬に手を伸ばした。
ビクリと体を硬直させて、恭平が身構える。
孝平の指はフワリと優しくその頬を撫で、涙を拭った。
「私の気持ちの何を知っているって?言ってごらん。」
「…。」
「私は恭平を愛しているよ。お前が何より大切だ。」
「なん…」
「それ以外に何を知ってる?何がわからない?言ってごらん。」
その言い方は普段と変わらぬ命令口調のようで、語尾には戸惑いが隠しきれずに滲み出ていた。