孝平記 P7
それからというもの孝平は、大学の講義を終えてバイトへ行く前の2時間ほどを、愛と過ごすようになった。
愛は授業が終わるとまっすぐに、孝平との待ち合わせの場所へ自転車を急がせた。
高校生の彼女の方が大抵先に終わるのだが、それでも愛はできるだけ急いで行って、長いこと同じ場所で待っていた。
いつものんびりと歩いてやってくる孝平は、腕につけた腕時計を一度も見ることなく、愛の元へやってくる。
見なくても、必ず待っていると信じていた。
その日も孝平は講義を終え、友人からの頼みで10分程補足説明をしてやってから大学を出た。
新しいバーでのバイトにも慣れてきたが、最近男を相手にするのも疲れてきた。
毎回毎回言い寄ってくる男のタイプは同じようなものだし。
それよりも今は、教えてもらった建設のことや会社経営のことの方が興味深い。
ぼんやりとそんなことを考えながらいつもの場所へ行くと、自転車を道の脇に止めて、通りを行き交う人を見つめている愛が立っていた。
孝平が来るまでにはだいぶ時間があるのだから一度帰ってそれから来いと何度も言っているのに、また制服に革鞄のまま来ている。
まったく、と呆れつつも風に揺れるスカートやリボンが、男にはない魅力でちょっぴり気に入っているのも確か。
「あ、孝平くん!」
自分の方へ向かってくる孝平のことを見つけるなり、愛は満面の笑みで彼を出迎えた。
「今日は、少し早かったね。」
「そうか…?いつも通りだよ。」
「ふふ。今日は何する?」
「行きたいところが…あるんだけど。」
「ん、いーよ、どこ?」
「………本屋。」
「またぁ?」
参考書やら経営の本やらを眺めるだけの時間によく付き合わされていたので、愛は呆れたように苦笑した。
だが嫌がる素振りは見せない。
「いいわ、行こう。今日は何を見るの?」
淡々と語るだけの孝平に、愛は楽しそうに微笑みながら話を聞いていた。
自分が知らないことをわかりやすく話してくれるので、孝平の話を聞くのは嫌いではなかった。
夢がある人は羨ましい。
この人の夢に、ずっとずっとついていくことができたなら……
「あれぇ?愛ちゃんじゃん。」
本屋に入る手前で話しかけてきた男がいた。
この時代珍しいサングラスをしているがっしりとした派手な男で、その片腕には女が一人くっついていた。
この女も派手な女だが、孝平には両者とも知らない人物だった。
「あ…川壁さん。」
呼ばれた愛は知っているのか名前を呼び返したが、少し後ずさったような気がした。
孝平は表情を変えずに川壁と愛を見比べる。
派手な川壁におどおどした愛。
どう考えても、同じ次元の住人ではなさそうだ。
「その人、新しい彼氏ぃ?」
「ち、違いますよ、そんなんじゃありません。」
「へぇー。じゃあ未だにフリーなんだ?」
「…。」
「黙ってるってことはそういうことなんだ?」
愛が嫌そうに、半歩だけ孝平に寄り添うように動いた。
孝平には事情は飲み込めないが、この男の語り口調から好感は抱けない。
川壁はサングラスの奥からチラリと孝平のことを覗き込んだ。
その視線が、気に食わない。
「ふーん。なかなか男前だな。だけど俺の方がいい男だぜ。愛ちゃん。」
「そんなこと…」
愛がぷっと膨れて反論、する前に川壁の腕に抱きついていた女が口を開いた。
「ちょっとぉー。私の前で他の女ナンパしないでよぉー。こんな子供っぽい女より、私の方がずっといい女よぉー?」
「はは!うるせぇな、お前は黙ってろよ。」
お前も黙れ。
孝平は次第に不機嫌になり、苛つく感情を隠そうともせずに二人を眺めていた。
いや、睨んでいた。
そのことに川壁よりも女の方が先に気付いた。
「やだー。隣のお兄さん、怖い顔してるぅー。」
指差されても、孝平は動かなかった。
一番背が高いので全員を見下ろしている。
「本当だ。なんか文句あんのか?」
「…別に。」
「愛ちゃんは俺の女になる予定なんだからな。お前はくれぐれも手を出すなよ!」
「…お前の女?」
孝平は表情を崩して川壁を指差し、愛のことを見た。
愛は必死に首を左右に振ろうとして、川壁に気圧されて何もできずに俯いた。
そういう態度だからつけこまれるんだ。
とことんどんくさい奴だな。
孝平はいらついたまま、川壁に視線を戻した。
「…もう手を出してたらどうでしょうね。」
「あ?」
川壁にその隣の女、そして愛の全てが驚いて孝平を見上げた。
「もうこいつは俺の女ですから。予定とか入れるなら俺を通して欲しいな。」
「はぁ?!」
川壁のこめかみに青筋が浮かんだ。
それを見て自分のペースを掴んだ孝平は、必死に笑いを堪えて川壁に追い討ちをかけた。
「お前ってどういう分際?裏の○×バーの馴染み客、知ってるか?」
「…何?」
「知らないの?ここら一体牛耳ってる輩のボスなんだけど。…あ、こっちのお嬢さんは知ってるみたいだね。」
調子よくたたみかけて、孝平は青白い顔をして黙った女の方に指先を変えた。
オロオロとする二人を尻目に、孝平は少し屈んで愛の手を掴んだ。
「俺、あの人の色だから。俺たちに何かあったらそっちに連絡がいくんで。もう愛チャンにも手ぇ出すなよ。」
「…。」
「じゃ。愛、行くよ。」
「えっ、あっ、はい。あ、ウン。」
アセアセとわけのわからないことを口走り、愛は手を引かれるままに本屋の中へ入った。