孝平記 P8
孝平は愛の手を引いてどんどん店の奥へ入っていった。
初めて手を繋げたことにドキドキと高揚しながら、同時に孝平の言葉の意味を考えていた。
馴染みの客…?ここ一体を牛耳る…?
色?
孝平が立ち止まった。
本棚の陰に隠れて入口の方を伺い、さっきの二人連れが店から離れて行くのを見届けてから、ふっ、と小さく噴き出した。
「くく、あーおかしかった。俺の勝ち。」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、声を出してしまうのを必死に堪えている。
それからふと気付いたように愛に視線を戻して、はっと気付いて手を離した。
「…あぁ、ごめん。痛かったか。」
「う、ううん。全然!ありがとう…。」
「ありがとうじゃないだろ。なんだよ、あの男は。およそお前のお友達とは思えないけどな。」
「うん…その…話せば色々あって…。」
「ふーん…。でも、ま、岸元サンのお陰でしばらくは大人しくしてるんじゃないかなぁ。やっぱあの人の名前の威力はすごいや。」
「岸元さん…?」
「ああ、さっきの○×バーの馴染み客。俺あそこでバイトしてるからさ。」
「えっ…?」
愛は生まれてこのかた、バーなどには入ったことがない。
未成年だから当たり前といえば当たり前だが。
だからどんなところか想像もできなかった。
「気にすんな。危ないところじゃないから。少なくとも俺はね。」
「そう、なの…?」
「うん。岸元さんが守ってくれるし。あ、あの人ヤクザのお偉い人なのね。俺はよく知らないけど。」
「え…。あ、危ないよ…。」
「…。もうあの人とは別れたから。」
孝平は小さく呟いて、店内にあった階段を登り始めた。
「なんだか時間くっちゃったけど、俺の見たい本は三階にあるんだ。お前はどうする?マンガ本?」
愛がわからないことで、孝平も説明してくれないことなんてそうはない。
知らなくてもいいことだということか。
…どうしよう。
知りたい。
「ねぇ、孝平くん。」
「なに。」
「私も、一緒に見るわ。ついていく。」
「…そう?じゃ、おいで。三階だよ。」
「うん。」
孝平は目当ての本を見つけるなりそれを手に取って、集中して読み始めた。
隣で愛はその様子を伺っている。
文字を追う黒い瞳、瞬きすると揺れるまつげ。
自分より背が高いから、本越しに孝平の顔が隅々まで観察できた。
少し痩せた肩、その癖に大きな手。
愛が見つめていると、しばらくして孝平も気付いた。
こうもじっと見られると集中するどころではない。
孝平は少し眉をひそめて、パタンと本を閉じた。
「…なんだ。」
「…さっきの話の続きだけど…。」
「続き?」
「岸元さんていう孝平くんを守ってくれるって方は、女の人?」
「まさか。ヤクザって言わなかったか?まあそれにしても…男だよ。」
「男?本当に男?」
「…なんだよ、しつこいな。男。オ・ト・コ。」
「じゃ、色って、何?」
孝平は驚いて持っていた本を落としそうになった。
慌てて掴みなおしたが、愛は恥じることなく、疑うことなく、孝平の答えをそのまま信じてしまいそうな素直な瞳で、孝平を見つめていた。
一瞬だけ、真実を隠そうかと思った。
なぜだろう。
知られたくないような気がした。
…だがそれも孝平の中ではすぐに打ち消される。
言う必要のないことではあると思うが、聞かれたからには隠す必要などないのだろう。
ただ自分を見る彼女の見る目が変わるのではないかという恐怖は感じた。
初めてだ、恐怖なんて。
俺が?
「…そのままの意味だよ。」
「もう別れたけど、付き合ってたの?」
「…そう。お前にはわからないかもしれないけどな。」
「ふぅん…。男の人、好きなの?」
「…随分な言い草だな。男なら誰でも好きなわけじゃないぞ。」
「女の人も好き?」
「…普通。」
ただちょっと、セクシャルなことを感じないだけで。
孝平は最後の言葉を飲み込んだ。
これを言ったら愛はどんな顔をするのだろう。
何を思うのだろう。
他人にどう思われても気になどしてこなかったのに。
目の前の純粋すぎるほど純粋な少女を、なぜだか無性に汚したくなかった。
「…私さ、嬉しかった。」
「え?」
「俺の女だって。言ってくれたの嬉しかったの。」
「…?」
俯き加減に言う愛は、その頬が孝平の気に入っているピンク色に染まっていた。
孝平はそれをもっとよく見るために、彼女の顔を覗き込んだ。
「男の人になんか取られたくないわ。ううん、女の人も好きになって欲しいの。」
「え…?」
「違う。…違う。孝平くん。」
「なに。」
「私のこと、孝平くんの女にして。」
は?
愛は言ってから、みるみるうちに顔を耳まで真っ赤にして、手で顔を覆った。
ここは本屋だ。
いくら二人とも本棚の方向を向いているからといって、周りの人には聞こえてしまっただろう。
何てことをしてしまったんだろう、自分。
だがしかし、そんな愛の目の前で、突然のことに彼女よりも顔を真っ赤に染めている孝平がいた。
こともあろうに女の人に、そんなことを言われたのは初めてだったから。