選択肢 P3
電灯の下の車に近付くと、孝平に気付いたのか運転席の扉が開いて、案の定、秘書の竹本伸彦が出てきた。
手には茶色い封筒を持っている。
「お帰りなさいませ。今日は峰山さんとお食事だったとか。」
「ああ。どうした?こんな時間に。」
「はい。社長がお帰りになられた後、この封筒が届いたのです。今日中にお渡ししておいた方がいいと思いまして、届けに参りましたらお留守でしたので。」
「それで待っていたのか?電話でもしてくれればよかったのに。」
「お楽しみ中を邪魔してまでの重要性は感じませんでしたので。これが、その封筒です。」
事務的な口調で言って、竹本は手に持っていた茶封筒を孝平に差し出した。
それを受け取って差出名を見ると、なるほど、早くに目を通しておいた方がよさそうな内容が予想できた。
「ああ、ありがとう。すまないね。」
「いえ。…たくさんお飲みになられたのですか?少し顔が赤くなっていますよ。」
「ふふ。少し飲みすぎた。峰山はザルだからな、付き合うとひどい目に遭う。」
孝平は上機嫌そうに言う。
どうやら楽しかったようだ、と竹本もふと安心して微笑んだ。
「では、私はこれで。」
「うん。…どれくらいここで待っていたんだ?」
「えっ?…少しですよ。1時間くらい。」
1時間が少しの中に入るのかどうか。
孝平には正確な答えは出せそうになかったが、それだけ待つにはどれだけの気持ちが必要なのだろう、と思った。
上司、もしくは社長のため。
敬う、といっても限度があるし、家の中には子供たちがいるのだから預けておいてもよかったはずだ。
それをわざわざ待っていたのだから。
…それ相応の見返りは、与えてやるべきなんじゃないのか?
「社長?」
急に黙った孝平を、竹本は不思議そうに見上げた。
それを見て、孝平は突如としてキスしてやりたくなる。
彼の望むままにキスを与え、身体を愛撫し、悦ばせてあげることができたら。
…孝平が今まで何の抵抗もなくやってきたことだ。
孝平はそういう衝動を感じつつも、身体を動かせなかった。
なぜだろう。
ごく最近まで簡単にできていたことが、できない。
脳裏に恭平の涙が浮かんだ。
「…竹本。ありがとう。感謝しているよ。」
「どうしたのですか?これしきのこと、なんの苦でもありませんよ。」
「うん。」
「ふふ、どうやら社長、酔っ払ってらっしゃる。今日は早く眠られた方がいいですよ。」
「そうだな。」
孝平は静かに苦笑して、茶封筒を握り直した。
「お前も気をつけて帰りなさい。明日の朝も、迎えを頼むよ。」
「はい、心得ております。それでは、また明日。」
「おやすみ。」
孝平はできるだけ優しい口調で言って、足早に玄関の中へ入っていった。
竹本は、その背中が家の中に消えるまで、孝平のことをじっと見つめていた。
家の中に入ると、リビングからテレビの音が聞こえていた。
ただいまも言う気になれず、無言で靴を脱いで中に入ると、恭平が一人テレビの画面に釘付けになっていた。
どうやら人気ドラマの最終回らしい。
他の兄弟の姿はなかった。
きっと各自の部屋にいるのだろう。
「ただいま。」
恭平の後ろで突然声をかけると、恭平がビクリと肩を震わせて大げさに振り向いた。
「わぁ!お帰り…いつからそこに?」
「うん、ついさっき。」
恭平はドラマに感情移入していたのか目に涙を浮かべていて、それを慌てて手の甲で拭った。
「早かったね、もう少しかかるかと思ってた。」
「ああ、お前が飲みすぎるなというから量を減らしたんだよ。」
「へぇ?」
恭平は目を細めて笑い、テレビに視線を戻した。
「今いいとこなの。感動のシーン。」
「ふーん?」
「お風呂入ってるよ。」
恭平はテレビを見つめたままバスルームの方向を指で差した。
孝平はカバンをその場に置いて、後ろから恭平の身体を引き寄せた。
「うわぁっ?」
そのまま彼の身体をソファに押し付けて、孝平はその上から逆さまに覗き込んだ。
「テレビもいいが、こっちの感動シーンもやってくれないかな。良平たちは?」
「え?あぁ…みんな部屋に。っあ、ん…。」
恭平の答えを聞くや否や、孝平が恭平の唇を奪った。
逆さまに口付けられて、恭平がもがいた。
鼻を掠める、お酒の匂い。
孝平の生暖かい舌が、恭平の唇の上を順番に舐めていった。
「ん、ん…。」
重なる体勢が悪いせいか、孝平は何度も離れては吸い吸っては離れ、やりにくそうにキスを続けた。
その不慣れな舌遣いに、なぜかドキドキと身体の芯が熱くなってしまう。
恭平は熱い吐息を吐きながら孝平の舌に答えた。
ああ、背筋がゾクゾクして、身体の奥に、火がつきそう…っ
恭平が心拍数を上げていくのを感じ取ったのか、孝平は寸でのところで離れた。
ちゅっ、という音がして、恭平はすぐに顔を紅く染めた。
「恭平くん、興奮した?」
「…っ。わかってて…聞かないでよ…。」
「ふふ。それはよかった。風呂へ行ってくるよ。」
「うん。」
お酒の匂いをまとった孝平のキスも、たまにはいいかも。
上機嫌みたいだから、峰山さんとの飲み会は楽しかったのだろうな。
恭平はしばらくキスの余韻に浸りながらソファに身を沈めて天井を見上げていたが、テレビからドラマのエンディングの音楽が聞こえてきた時にはっと正気に戻った。
「ああ〜!み、見逃したぁ…っ!!」
恭平は顔を赤らめたまま、残念そうに頭を抱えた。