選択肢 P4
孝平が風呂から上がると、恭平はソファに腰掛けたまま新聞を読んでいた。
テレビはついたままだ。
よく見ると、恭平が見ているのは、テレビ欄。
孝平は台所に入り、冷蔵庫を開けた。
中からお茶の1リットルペットボトルを取り出し、蓋を開けてコップに注ぐ。
冷えたそれをぐいっと飲み干すと、喉がすぅっとして気持ちがいい。
リビングの恭平はテレビ欄を見ながら固まっている。
かと思ったら、固まったまま口を開いた。
「…父さん。」
「ん?」
「今日、竹本さんが来たよ。」
「ああ。何か言っていた?」
「ううん。別に…顔を見に来ただけだって。」
「…そうか。」
孝平はもう一杯だけ冷茶をコップに注ぎ、ペットボトルのキャップを閉めて冷蔵庫へ戻した。
ついでに氷を2つほど取ってコップの中に沈める。
恭平は少しも動かずに、テレビ欄を見るともなしに見ているようだ。
「まだ怖いかい?」
「うん…どうだろ。時々わからなくなるんだ。疑い続けるのは苦しいし…それに薬を飲まされただけで、直接襲われたわけじゃないから。」
恭平の言葉は重みがあった。
何故だかわからないが、彼の男運はとことん悪い。
孝平は手の中でコップの中の氷をカラカラと鳴らしながら恭平の方へ近付き、彼の隣に腰掛けた。
恭平がテレビ蘭から顔を上げる。
「実は、さっき家の前で会ったよ。」
「えっ?」
「車の中で待っていたようだ。会社に届いた荷物を渡したかったらしい。」
恭平は目を丸くして孝平を見つめた。
そうならそうで預けてくれればよかったのに…、と孝平と同じことを考えた。
孝平はカランと鳴ったコップの氷を見つめ、ぐいっと飲んだ。
「竹本さん、…どうしても父さんに会いたかったんだね。」
「…。」
「なんか、すごいなぁ…。俺、負けちゃいそう。」
しんみりと、恭平が呟いた。
その後に言葉の意味をよく考えて、慌てて首を振った。
「あっ、違うよ。違うからね。」
「何が?」
「…譲る気があるわけじゃないから。」
頬を赤らめて、しかしはっきりとした口調で言った恭平を、今度は孝平が驚いたように見つめ返した。
目が合うと恭平ははにかむように微笑んで、ふっと目を逸らした。
テレビのリモコンを取って、チャンネルを変えた。
ニュースを見ようと思っていたけど、恥ずかしくなってきたからサスペンスドラマにしよう。
恭平には薄々感じていることがあった。
父さんは、きっと俺の前では俺が一番だと言ってくれる。
甘く囁いて、これからも俺のことを興奮させて楽しそうに笑うだろう。
でもきっと竹本さんの前では、俺が一番と言っておきながらすっぱりと手を切れないんだ。
今まで付き合ってきた人がどういう人なのか、恭平が知っていることは僅かしかないが、父さんの態度から少しだけ推し測ることができる。
しかも相手は竹本さんだ。
毎日仕事場で一緒にいて、信頼しあっている。
ある意味自分よりも絆は深いんじゃないかとも思う。
家族には見向きもしてくれない男だから。
「父さん。」
「…なんだ。」
恭平の背中を見つめたまま、孝平が返事をした。
恭平は振り返れない。
「俺、父さんのこと好きだよ。」
「…なんだい、今更だな。」
「なんか…竹本さんの気持ちに負けそうだったから。言っておこうと思って。」
恭平の肩越しに見える彼の耳が、真っ赤に染まっていた。
きっと顔中を真っ赤に上気させているのだろう。
孝平は口元を緩ませた。
「くす。」
それを聞いて恭平が振り向いた。
ほら、耳まで染まるくらい、顔一面が真っ赤に焼けている。
「わっ。今笑った!笑うとこじゃないよ、父さん!」
「ふふ。わかってるよ。お前も俺と一緒で、いつでも必死だな。」
「…必死だよ!もう。」
恭平はそのまますっくと立ち上がり、その場を離れた。
「どこへ行く?」
「部屋!もう…ちょっと頭を冷やしてくる。」
ひょこっと右足を引きずるようにして歩く。
そんな恭平の背中を見つめて、孝平は沈黙していた。
竹本との関係をやめようと思っているきっかけが、本当のところは家族のためではなく、恭平一人のためだと知ったら峰山はなんというのだろう。
つい先刻まで一緒に杯を交わしていた峰山の笑顔を、思い出した。
いつでも客観的で的確なアドバイスをくれてきた彼ならこう言うだろう。
お前の選んできた道に間違いはない。
この先も、自信を持って道を選択していくといい。
孝平が同性愛だと知った時、愛と結婚するとわかった時、愛が死んだ時。
孝平の歩んできた人生の要所要所で、峰山が孝平に言った言葉だった。