5万ヒット記念小説>桜舞う季節 P6
すると良平はふいっと目を逸らして言った。
「今の、あの手紙。もらって来なくてよかったんですか。」
「うん。俺、あの子のことよく知らないし。」
「…そういうもんですか?」
「うん。良平くんももらったことあるだろ?それと同じ。」
「ないっす。」
「…嘘。」
「ほんとです。」
拗ねたように口を尖らせて良平が黙る。
良平には悪いが、そんな仕草も杉野には新鮮でかわいらしく思えた。
「そうなんだ。俺なら何十通も書くなぁ!」
「はい?」
「今からでも書いていいかな?」
「何を?」
「ラブ☆レター。」
杉野の言い方は、本気なのかふざけているのかよくわからない。
それでも良平は、その言い方に恥ずかしくなったのか顔を赤らめた。
それを隠すために歩調を早める。
「ばっ馬鹿言わないでください!」
「え〜っ本気だって。書くよ。だって良平くんかわいいもん。毎日電話だってするよ。」
「かわいいとか言わないでください。めっ…迷惑なだけだし!」
「ほんとに?迷惑?…じゃあやめとくよ…。」
突然しょんぼりされて、逆に良平が慌てて振り向いて無意味に両手を振り回した。
この人といると調子が狂う。
「あっ、いや…そんなこと、ないです。」
ニヤリ。
杉野はそれを聞いて、してやったりと表情を一変させて笑った。
良平が固まる。
「じゃあ手紙書く!電話もする!」
「っ迷惑…」
「じゃないんだろ?うん、任せとけ!」
笑いながら楽しそうに喋るこの男は、どこまで本気でどこまで冗談なのか。
この時の良平には見極めることができなかった。
駅へ向かう途中で、良平が言った。
「あの…今日、ちょっと寄るところあるんですけど。」
「えっ、どこ?」
「…スーパーマーケット。」
良平の口から出た似合わない単語に、杉野は正直に驚いたリアクションを取った。
手を口元に当てて、失った言葉を探している。
「買い物?」
「はい。今日は俺が夕飯作る当番なんで。」
「へぇ…料理するんだ。お母さんは?」
「俺が小学校の時に、死にました。今は兄貴が大方の代わりをやってくれているんですけど、大学が始まったばかりで忙しいらしくて。」
「あ、そうなんだ。」
ちょっとしたショックが頭から抜けなかった。
何も苦労はしていないものだと、勝手に思っていた。
しかも良平たちのお兄さんって、相田先生が言ってたあの足の不自由な人だったよな?
それを聞いたからにはいてもたってもいられなくなるのが杉野拓巳。
まっすぐに前を向いて歩く良平の横顔を覗き込んで、明るく笑って言った。
「ねぇ。今日、俺も良平んち行っていいかな。」
「えっ?」
「良平の料理が食べたいのと、お兄さんに、会ってみたい。」
杉野の優しい笑顔に、良平は少しドキリとした。
こういう笑い方、世話になりっぱなしの兄にちょっとだけ似ている気がする。
「…マズイかもしれませんよ、料理。」
「それでもいいよ。」
こうして杉野は、初めて良平の家へ行った。
良平の家は思ったよりも大きくて、家の中はそこに男が4人も暮らしているとは思えないほどこざっぱりとして整頓されていた。
1人妹がいるというから聞いてみると、家のすべてを管理しているのは兄の方だと言う。
杉野は卒業式で見た、あのしゃんと背筋を伸ばして壇上に上がっていた背中を思い出した。
誰も帰っていない家の中を、杉野は良平に案内されてリビングまでやってきた。
「そこ座って。飲み物なんかいる?」
「いや、いいよ。」
良平は言いながらリビングの隣の台所の電気をつけて冷蔵庫を開ける。
杉野は妙に緊張してしまうのを感じた。
「…良平。」
「ん?」
「他の方々は、いつ頃帰って来られるの?」
「……はぁ?変な敬語使わないでよ。」
良平は手に持った牛乳パックから牛乳をコップに注ぎ、ぐいっと一気に飲み干した。
その飲みっぷりが意外と大胆。
「聡平は部活やってからだから7時半、明美は…妹だけど、あいつは6時くらいかな?兄貴はいつもは5時くらいだけど、今日は9時って言ってた。」
「へぇ…。」
「なんで?」
「いやなんとなく。あ、お父さんは?」
杉野の言葉に良平の表情が一瞬だけ固まった。
それを見逃さなかった杉野は、聞いてはならない質問だったようだと悟る。
「…知らない。夜中じゃん?」
良平は動揺を隠すように短く答えた。
片足を引きずるようにして、小雨の降り始めた夜道をできる限り急いで帰宅した恭平は、その日自分の家のリビングから笑い声が漏れているのを玄関の外で聞いた。
明美も混ざっているのだろうか、二階の部屋の電気は全て消えたままだった。
「?」
不思議に思いつつ玄関を開けると、誰か客人が来ているようだった。
「ただいまー。」
靴を脱ぎながら声を掛け、玄関を上がると中学の制服姿のまま明美が駆けてきた。
「お帰り兄さん!」
「ただいま。」
「兄さん、肩が濡れてるわ。雨?」
「うん、ちょっと降って来た。それより誰か来てるの?」
「そう!良ちゃんが楽しい先輩連れて来たのよ!」
明美は楽しそうに笑って恭平の荷物を奪い取り、手を引いてリビングへ急いだ。