家出 P9
次の日の朝、恭平が目覚めると、見覚えのない天井が目に入った。
「…?」
「あ、起きちゃった。」
頭上から聞こえた明るい声に、恭平はそちらに首を向けた。
見覚えのある男が、にこにこしながらこちらを見ている。
一気に昨日の記憶がフラッシュバックしてきて、良平は勢いよく起き上がった。
少々の頭痛と、足の痛みが残っていた。
「あ、あの!あの…沖田さん!」
昨日助けてもらった沖田ろいう青年。
彼は手にスケッチブックと、鉛筆を持っていた。
カーテンからは、眩しそうな太陽の光が漏れている。
「おはよう恭平くん。体調はどう?」
「お陰様で…。すいません、お世話になっちゃって。」
沖田は、昨日見せた優しい笑顔で笑うと、首を振った。
「世話っつーほどの世話はしてないよ。腹減ったろ、何か食う?」
沖田は恭平の返事を待たずに立ち上がると、持っていたスケッチブックを丁寧に机に置いて、台所に立った。
「あの…すいません。俺、やります。」
「いーよ座ってて。足、大変だろ。」
沖田が叫ぶように言った。
確かに、左の足首は下手に動かすとズキリとした。
今何時だろうと壁にかかった時計を見て、恭平はあんぐりと口を開けた。
もう、お昼を回っている。
「すいません、あの…!電話。電話、貸してくださいませんか?」
「ああ、いいよ。そこに、あるでしょ。」
沖田は腕だけ見せて、ちょいちょいと小さなテーブルの上にある電話機を指した。
恭平は腕を伸ばしてなんとかそれを取ると、急いで自宅に電話をかけた。
すぐに受話器が外され、向こうから予想外の声が聞こえた。
『はい。佐久間です。』
孝平だ。
…どうして、こんな平日のお昼に、父が家に?
『…もしもし?』
恭平が驚いて黙っていたので、向こうで聞き返す声がした。
はっとして受話器を持ち直す。
「あの、父さん?俺だけど。」
今度は向こうが絶句した。
…怒られるのだろうか。
『…恭平か。今、どこだ?』
「今…ちょ、ちょっとわかんない。」
我ながら情けない返事だった。
でも昨日わからなかったものが、一夜明けたからといって今の状態ではわかるわけがなかった。
しかも、見知らぬ男の家にいるなんて。
『わからない?どういうことだ。どこからかけてる?』
「あの…ちょっと、事情があって。助けてもらったんだ。今、その人の家。」
『助けてもらった??…事情?』
ああ、なんかうまく伝わってないような気がする。
「えと…昨日足をくじいちゃって。左なんだけど。」
孝平がまたもや向こうで絶句している。
くじいたことにより、恭平が動けなくなっていることは容易に想像がつく。
『…それで。大丈夫なのか?』
「うん…。まだ痛いけど、そのうち治るよ。」
『馬鹿。帰ってくるんだ。』
「うん、でも…。」
『迎えにいく。だから、今どこだ?』
少しイラついた口調で孝平が言う。
恭平は困ってしまった。沖田は台所から出てくる気配がない。
「場所がわかったら、また電話するよ。」
『え?』
「じゃあ、また。」
恭平は孝平の制止も聞かずに電話を切った。
初めから聞いてから電話すればよかった。
「ほ〜ら、スパゲッティ。普通のミートソースだけど、我慢してくれよな。」
いいにおいがしてきた頃、皿を二つ持って台所から出てきた。
「とんでもないです。」
恭平は受話器を置いて、沖田の差し出した皿を受け取った。
「家に電話か?」
「うん…。さすがに、心配してるだろうし。」
「何、家出じゃないんだ。俺てっきりそうだと信じてた。」
また、笑う。
恭平は沖田の笑顔につられて笑った。
「その足じゃ動けないでしょ。迎えに来てくれるって?」
「あ、はい。ここの場所、教えてくれますか。」
「ああ、いいよ。お前んちからそんな遠くないよ。」
「え?」
「覚えてないの?俺に言ったじゃん、あんたんちの場所。」
そういえば…言ったかも?
恭平にはあまり記憶がなかった。
沖田は紙を取り出して、住所と名前を書いて恭平に渡した。
「俺、沖田雅人。ここから二時間くらいかかるとこにある美術大学に通ってます。」
「佐久間恭平です。今は別に何も…。」
「ん?大学は?」
「卒業しました。今、二十四歳です。」
「…えっ?!」
沖田が明らかに驚いて、目を見開いた。
口がぱくぱくしている。
「ごめん、同い年くらいかと思ってた…年上?すいませ〜ん!」
その謝り方が、なんとも言えずかわいらしい。
恭平は間違えられたこともまったく気にならなかった。
「いいです。この年になって近所で迷子になるなんて…間違えられても仕方ないです。」
「あ、迷子だったんだやっぱり。」
飽きさせないテンポで、沖田は饒舌に会話を盛り上げた。