家出 P11
『もしもし、佐久間です。』
今度は、良平の声だった。
少し、ほっとする。また父さんだったらと思うと、少しこわかった。
「あ、良平。恭平です。」
『あ!兄貴!おま…っ!!今、どこだよ?何してんの?』
受話器の向こうで良平が興奮気味に怒鳴ってきた。
耳から受話器を少し離す。
「う、うるさい良平。静かにして。」
『馬鹿!てめぇ…!!……で、大丈夫なの?足に怪我してるって?』
「ああ、父さんに聞いたの。うん…くじいたみたいで。」
『ったくどんくせぇな。俺、杉野に頼んで車待機させてあるから。今どこ?教えて。』
「えっと…」
恭平は、さっき沖田に書いてもらった紙を読み上げた。
ちょうど、隣町あたりだ。
『昨日そこらへんも探したのに。相当変なとこにいたんだな?』
「…ごめん、あんまり覚えてなくて。」
『…まあ、いいよ。じゃあ今からそこに行く。兄貴はじっとしてて。』
「わかった…。ごめんね。」
『一発殴らせろよ。…冗談だよ。』
「父さんは?」
『兄貴から電話があったから、ちょっと会社に行ってくるって。連絡しとくよ。』
「あ、うん…。わかった。」
『じゃ、待ってろ。いいな。』
もう一度念を押してから、良平は乱暴に電話を切った。
「オッケ?」
「はい。どうも…ご迷惑おかけしました。」
「気にすんなって。慣れないやつだなぁ。」
沖田が笑ってスケッチブックを手に取った。
「さ、お詫びにもう一枚描かせて。いつも勘ちゃんで練習してるから、違う人の描いてみたかったんだ。」
「うるさいな。悪かったよ俺で!」
「拗ねんな♪さ、恭平くん。」
沖田がニコニコと恭平のほうを向く。
「はい?」
「後ろ向いて。服、脱いで。」
「…………。ハイ??」
つられてニコニコしながら、恭平は首を傾けた。
服、脱いで、って言った、今?
「うん。背中。背中描きたいの、俺。」
「は?」
恭平が引いた。
その様子を見て、勘太郎が横で爆笑する。
「ホラ〜!変な言い方するからビックリしてんじゃん!」
「えっ?変な言い方した?俺?」
「見知らぬ奴に裸見せる奴そうはいないって!やだよねえ、背中なんてさっ!」
恭平は困惑した。
どういうこと?背中って…。
「実はね、今度試験があるんだけど。体の一部分を時間内に描くって試験でさ。」
「はあ…。」
「みんな手とか足とかなわけ。顔ってやつもいるけど、パーツが多くて描きにくいだろ。ありきたりじゃん。俺は誰ともかぶらないとこにしたくて。」
「…それで、背中?」
「そ。よく考えたら、前に座ってる奴の背中見れば、描けない事もないんじゃないかって。」
沖田は鉛筆をクルクルと回して得意げに語った。
「それ思いついてからさ、俺、毎日背中向けさせられんの。たまったもんじゃないよ。」
勘太郎が恭平にだけ聞こえるように囁いたが、沖田にも聞こえたようだ。
「いーじゃん!どうせお前は医学書とにらめっこなんだろ!座ってる間くらい脱げよ!」
「てぇめぇ〜〜〜!それが人に物を頼む態度か!!」
沖田が勘太郎の背中を蹴飛ばしたので、勘太郎が近くにあった枕を投げつけた。
あわや乱闘、のような雰囲気になったのを察して、恭平が慌てて言った。
「わ、わかりました!やります!助けてもらったご恩もあるし…。」
胸倉をつかみ合った二人が、拳を握ったまま恭平を振り向いた。
勘太郎は気の毒そうに、沖田はさも嬉しそうに。
「そうこなくっちゃ♪」
「あ〜あ…。」
恭平は、着ていたTシャツを脱いだ。
そういえば、このTシャツも自分のではない。
何もかも、至れり尽くせりだと思った。
「おや〜綺麗な体だね。筋肉少ないけど。」
「す、すいません…。」
何故だか恥ずかしかった。
この足があるために、中学から運動という運動をしていない。
「うんにゃ。いいよ。背が高いから、綺麗。後ろ向いて。」
「背が低くて、ス ミ マ セ ン ネ ェ 。」
勘太郎が唇を動かさないようにして呟いた。
沖田が笑う。
恭平は体を反転させて、沖田たちのほうに背中を向けた。
恥ずかしかったのが、二人が見えなくなったことで少しやわらぐ。
どちらかが口笛を鳴らした。
「なんか、妙に色っぽいね、恭平くん。」
「え?!」
勘太郎が呟く。
その間の抜けたコメントに、沖田がまたケラケラと笑った。
「いや、いや、気のせいだから。さあ〜描くよ!」
昼間の日差しが、直に当たって、恭平の背中が輝いていた。