見るだけでは P3



「た…竹本さん?!ちょっと!」
恭平は慌てて竹本の肩を掴んで自分から引き離そうとした。
生暖かい舌の感触が、酔った頭と肌を、混乱させる。

竹本の舌が首筋を大きく舐めて離れた。
「あ…っ。」
「貴方の体からは、社長と同じ匂いがしますね。」
「同じ家に住んでいるのだから…当たり前ですよ。」
恭平は負けじと睨みつけながら、手で竹本を押し返して壁のない方向へ一歩下がった。
「そうでしたね。」
いつもと変わらぬ竹本の笑顔。
恭平は、口付けられた首筋を押さえて、彼の横をすり抜けて元の道に出た。

「今のことは…忘れます。では…また明日。」
言い残して後ろも振り向かずに足早に去っていく。
竹本はそれを追おうともしないで、ひきつらせた笑顔を消した。

「忘れなくても結構ですけどね、こちらは。」
しばらく立ち尽くしたのち、彼もまた自分の家の方向へと姿を消した。


次の日の朝。
「兄さん!ぼおっとしないでよ、焦げてるわよ?」
「え…あぁっ!」
恭平は珍しく家に帰ってきていた明美の朝食を作っている途中に、別のことを考えていて彼女の目玉焼きを見事に焦がしてしまった。

「もー。昨日から変じゃない?大丈夫?」
「うん、平気平気。…この目玉焼きは、平気じゃないみたいだけど…。」
あたりに焦げ臭い匂いが立ち込めている。

「そうだ。明美、今週の日曜日、暇?」
「え?なんで?」
「友達の展覧会に行かなくちゃならないんだけど…ペアチケットなんだよね。」
「明美に美術を聞くわけ?…兄さん、それに付き合ってくれるような女は他にいないの?」
「いないから聞いてるんじゃないか。」
「…ハッキリ言ったわね。」
それでもどこか嬉しそうに笑った明美が、壁に吊るしてあるカレンダーの前まで行って、数字を睨んだ。
「今週の日曜…。友達のライブが夕方からあるんだけど、それまでなら行ってもいいわ。」
「ほんとか?!ありがとう!」
恭平が心からの笑顔を見せた。

それを見て、明美が誰ともなく呟いた。
「……なんでそんな顔ができるのに、彼女ができないのかなぁ。」
「ん?なんか言った?」
「ううん。目玉焼き、今度は焦がさないでよ!」


日曜日は意外と早くやってきた。
明美と恭平は開館時間より十分早い時間に家を出て、ゆっくりと会場へ足を運んだ。
途中で沖田から電話が入り、思ったより混みそうだから着いたら連絡をくれと言ってきた。

「沖田さんって、この前兄さんを助けてくれた人よねぇ?」
「そうだよ。」
「初めてお目にかかるわけね。楽しみ〜♪」
「今日はその時一緒にいてくれた田嶋さんっていう人も来ているはずだよ。」
「医大生でしょ。なんか響きがかっこいい。」

他愛もない話をしながら展覧会場に着くと、なるほど、人が列になって並んでいる。
恭平は沖田に電話をかけた。

『着いた?』
「うん。今入口の前の階段の下だけど、どうすればいい?」
『あ、わかった、そこにいて。俺今から行くわ。』
「うん。」

五分も立たぬうちに沖田が走ってやってきた。
隣に少し小太りの男性を連れている。

「恭平!よく来てくれたね!…あれ、この娘彼女?」
「よく言われます♪妹の明美です。初めまして沖田さん!」
「い、妹?それは失礼…。」
沖田は明美の可愛さに顔を赤らめた。恭平と似てるっちゃ似てるが、また違った顔立ちだ。

「沖田さん、そちらの方は?」
恭平が一緒に立っていた男性を見て言った。
「あ、そうそう、この人は城山教授。俺が最も世話になってる教授だよ。」
城山は目を細めて笑い、恭平に握手を求めて手を差し出した。
「城山です。あなたが恭平さんですか。お話はかねがね伺っておりますよ。」
「あ…どうも、佐久間恭平です。」
恭平は少し面食らいながらも握手を交わし、つられて会釈をした。
その手を、彼は両方の肉厚な手でしっかりと握ってしばらく離さない。

「あ、あの…。」
「ぜひ、私もあなたにデッサンさせていただきたい。」
「え?」
沖田が恭平の耳に口を寄せて囁いた。
「何度断っても聞かねぇの、このおっさん。適当に返事しとけ。」
「はぁ…。」

側で見ていた明美は、もう飽きたのか並んでいる人の列を眺めていたが、扉が開いたのを見て叫んだ。
「ねぇ兄さん、入口開いたみたい!入れるわよ!」
「あ、本当だ。」
明美の声と共に城山の手が恭平から離れた。
ふぅ、なんだか厄介なことになってきたなぁ。

「並ばなくても入れてやるよ。付いて来な。」
沖田はそう言って、建物の裏の方へと進んでいった。
城山がそれに続き、恭平に付き添うようにして明美たちが続いた。

関係者以外立ち入り禁止の文字が書かれた扉を開けて、そこから中に入り、いくつかの部屋を通り過ぎて控え室のような部屋に出た。
途中通った部屋は、荷物がかなり散乱していて足場も少なかったが、この部屋は綺麗に整頓されている。

しばらく待っていると、小柄な彼女を連れた勘太郎も、この部屋へ現われた。


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