外へ P5



梨花子は黙っている恭平を無視して、話し続けた。

「貴方のうちは父親が立派だからそれなりの暮らしが出来てたじゃない。それに比べたら…うちなんて母親はキャバクラだし、生活は火の車だし…。最悪だったわ。」
恭平は一生懸命中学の時の梨花子を思い出そうとした。
確かそんな風には見えなかったと思ったが…。

「もうあんな生活はいや。逃げたいの。日本での生活も、母親の支配下からも。」
「でも…だったら普通に働いて普通にお金を貯めればいいじゃないか。何もこんなことをしなくたって…。」
「少しでも早くお金が欲しかったの。それと…本当は貴方を困らせたかったのかもしれないわ。」
「俺を…?」
「そう。貴方はあたしと似たような境遇にいながら、とても幸せそうだったわ。いつも羨ましかった。」

そんなことない。

そんなことないと、思った途端に家族の顔が頭に浮かんだ。
父親に、良平に聡平に明美。
恭平は彼らがいたから頑張れた。

それは事実だった。

梨花子が立ち上がってこの無機質な部屋から出ようとした。
最後に振り向いて、恭平に言う。
「下手に抵抗しなければ、命の保証はするわ。誰も命を取ろうなんてつもりはないから。その代わり妙な真似はくれぐれもしないでね。」

「あ…待って、鈴木さん。」
「……何?」
「あの…。俺の父さんは何か言っていた?」
恭平が遠慮がちに聞いた。

梨花子は表情を変えずに答える。
「お金、出すそうよ。貴方と引き換えにね。」
「そう…ありがとう。」
「また来るわ。おとなしくしててね。」
梨花子はそう言うと、扉を開けて部屋を出た。


恭平は一人残された部屋の隅で、考えた。

一時はどうなることかと思ったが、孝平が身代金を出してくれれば、何事もなければ恭平は開放されるだろう。
どの位の金額か知らないが、孝平の会社は大幅の赤字になってしまう。
それでも孝平なら二、三年したら立て直してしまうに違いない。

無事に身代金が手に入ったら、梨花子たちはどうするのか。
日本の警察も馬鹿ではないから、大抵の場合は捕まってしまうだろう。
梨花子は母親から逃げるために日本を出ると言っていた。
それは、今まで養ってきてくれた母親を見捨てるということか。
家族も友人も捨てて外国に逃げたからといって、果たしてそこに幸せはあるのだろうか?
恭平にはわからなかった。

一か月イギリスへ行くと言った聡平は。
彼は何故、日本を出る?
…語学留学。
わかってる。当たり前。
頭ではわかってるつもり。

でも。

もし万が一、梨花子と同じような気持ちを隠していたとしたら。
イギリスに行ったまま一か月経っても帰って来なかったら。

連絡が取れなくなったら…?

「…っ。」
恭平が軽く呻いて膝に顔を埋めた。
胃の辺りがキリキリと痛む。

もう二度と、家族がバラバラになるのは、嫌だ。
それが、怖い。

梨花子のことを考えても、こんなことをして手に入れた金で娘が海外に逃亡したと知ったら、母親が悲しむと思った。
梨花子の母親に会ったことはないが、恭平は母親というものは子供のことを一番に考えているものだと信じて疑っていなかった。
彼のたった一人の母親がそうだったように。

どうしても梨花子を止めなくては。
恭平は彼女の姿が弟の聡平に重なるような気がして、いたたまれなくなった。

父さん…。
俺なんかの代わりにお金を出さないで。
そのお金のせいで、一つの家族がバラバラになってしまう。

そんなのもう見たくない。
そんな目にはもう遭いたくない。

「鈴木さん!」
恭平は誰もいない部屋の中で叫んだ。
声は室内を反響して、恭平の耳に何度も響いた。
外からは誰も返事をしてくれない。

「鈴木さん!逃げるなんて駄目だ!」
返事はない。
外には誰もいないのだろうか。
「俺の話を聞いて!鈴木さん!!」


「おい!うるせぇな〜。」
恭平が黙った。
扉が開いて、黒服の男が一人入ってきた。
どうやら外の見張りをやっていたらしい。
「黙ってくれない?お前の大好きな鈴木さんとかいう女は今ここにはいねぇのよ。」
サングラスをしているから顔はよくわからないが、体がすごく大きい。
声から、車に乗っていた四人目の男だとわかった。

男は扉を閉めて鍵を掛け、恭平の前まで歩いてきた。
恭平の高さに合わせて屈み込み、顔を覗き込んでくる。
「佐久間、恭平、だっけ?」
「う…は、はい。」

「あんた人質なんだよね。あんまり騒ぐと危ないよ?」
そう言って恭平の顎を下から掴み上げた。
「い…っ。」
「大人しくしてろな〜。」
まるで子供をあやす様な口調で、恭平に言った。

そしてふと、口の端を上げて笑った。
「よく見るとかわいい顔してるな〜。言われる?」
「な、なに…。」
「声もいいかも。なんか、泣かせたくなるって感じ?」

恭平がいくらなんでも反論しようと口を開けた。
そこに吸い付く、男の唇。
思ったより柔らかい唇の感触と、口内に入ってきた舌の生暖かさが恭平の思考を停止させた。
口付け……?

男は呆然とした恭平の顎を持ち上げて、奥深くまで舐めとった。
恭平が身を引くと逃がすまいと迫り、抵抗すると合わせる角度を変える。

恭平がバランスを崩し、男に押し倒されるように地面に背をついた。
唇が離れて、男が笑う。
「へへ。男にキスされるのはどんな気分?」
恭平が頬を高潮させた。
強張る体に手を掛けて、男が言う。
「ちなみに、俺は満更でもねぇな〜。」

恭平の悲鳴が部屋に響いた。


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