笑顔の裏側 P14
孝平は枕元の机に置いてあった体温計を手に取った。
「恭平、お粥を食べる前に、体温を計れ。」
「あ、うん。」
恭平が布団から顔を出して返事をし、同時に体温計を受け取るために腕を出した。
それを見て、孝平が体温計をさっと手の届かない高さまで持ち上げた。
恭平の指が宙をかく。
「あ…っ、ちょっと…」
「私にやらせろ。」
「…えっ?」
恭平が驚いて手を止めた。見開いた瞳で孝平を見つめる。
「いいな?」
有無を言わせたいような孝平の口調。
恭平は不思議そうにしながらも、頷いた。
パジャマのボタンに孝平の指が伸びる。恭平が抵抗せずにおとなしくしているのを確認して、孝平はボタンを一つずつ外していった。
その隙間から体温計を持った手を差し入れて、それを恭平の脇に挟む。
恭平がはっと息を止めて、顔を背けた。
「…嫌か?」
「え…?」
恭平が恥ずかしそうに閉じた目を開けた。
孝平の手はまだ恭平のパジャマの中にあり、その体温を感じる。
「…しっかりはさんで。音が鳴ったら言いなさい。」
孝平はそれ以上の話をせずに手を抜き、布団を被せた。
慌てて脇をしめて体温計を押さえる。
父さん、今、何を聞いたの…?
孝平は口を閉ざしたまま何も言い出す気配はない。
恭平もなぜか聞き出す気にならなかった。
しばらくの沈黙。
台所での良平たちの声が微かに聞こえてきた。
ピピッ
布団の中で体温計が小さな音をたてた。
恭平がちらりと孝平の方を見る。
「私が取る。」
言って孝平は恭平の返事も待たずに布団を捲った。
先程と同じように手を差し入れて、体温計を掴む。
孝平の手の平が恭平の肌の上に触れた時、恭平がまた、息を止めた。
「……嫌か?」
恭平の耳に、今度ははっきりと聞こえた。
嫌……?何が……?
「別に、嫌じゃない、よ。早く取って。」
恭平はまっすぐに孝平を見て答えた。
孝平が体温計を持って手を抜いた。
そのまま孝平が体温計の表示を確認している間に、恭平は自分でボタンをしめた。
「八度五分。まだまだだな。」
「…ふぅ。」
恭平は布団に蹲って目を閉じた。
頭が痛い。
体が痛い。
体調は最悪だった。
「恭平。」
孝平が体温計をケースに戻しながら呼びかけた。
目だけをそちらに向けて、恭平が孝平の方を見た。
孝平の顔は、いつになく自信がないように見えた。
「…怒らないから。」
恭平の心臓が高鳴る。
言われることは予想できた。
二日も気を失っていたのだから、その間に予想できることは多かっただろう。
あの電話が夢ではないのなら…
自分の傷ついた体を初めに見たのは、良平ではなく孝平だろう。
「絶対に怒らない。事実がどうあっても、これ以上お前を苦しませるようなことは絶対にしない。だから、本当のことを言ってご覧。」
「…」
孝平の口調はいつもと全然違って優しい。
無理してる。
わかっていても、恭平は嬉しくて胸が満たされるのを感じた。
「…父さんだけには、知られたくなかっ……」
言いながら、涙で声が詰まった。
布団で顔を覆い隠そうとすると、孝平に手を取られてできなかった。
「隠そうとした?」
恭平は涙が止まらないので目を閉じたまま、ゆっくりと頷いた。
「今回だけか?」
首を横に振る。
孝平は自分を落ち着かせるように深呼吸してから、続けた。
「いつからだ?覚えてるだけでいい。言ってご覧。」
「…っ。」
恭平は涙を堪えるのに必死で、次の言葉が出てきそうにない。
堪えている涙も、次から次へと流れ出て頬を伝っていた。
孝平は質問を変えた。
「…それじゃ、私より先か、後か、どっちだ?先か?」
孝平はこれには大きく首を左右に振った。
「父さんだけ…父さんだけだったよ…」
恭平の布団を掴んだ手が震えている。
それに気付いた孝平は、そっと優しくその手に自分の手を重ねた。
熱い。
「わかった。もういいよ。また今度、話をしよう。」
「…ごめんなさい…。」
「謝るな。お前の望んだことではないのだろう。」
「望んでなんか…っ」
恭平がまた言葉を詰まらせた。涙が枯れることなく流れ続けている。
孝平はちらりと部屋の扉の方を見た。
台所の方から良平と明美の声が聞こえているので、しばらくはこちらに戻ってくることもないだろう。
そのことを確認すると、孝平は恭平に向き直った。
恭平は涙を拭きもせずにじっと目を閉じている。
孝平はそっと顔を近づけて、額にキスをした。
驚いて目を開けた恭平を無視して、流れている涙を舌で掬い取った。
「ん…っ。」
孝平が恭平の顔を両の手で包み上げ、唇で愛撫を繰り返す。
恭平は目を閉じて身を任せた。
自然と涙が止まる。
顔中にキスをされて、恭平は熱と火照りで気を失いそうなほど気持ちがよくなってきた。
なんだかちょっと、恥ずかしい。
「はぁ…。父さん…も、やめ…」
恭平が熱い息を吐く。
涙を全て舐めとって、孝平は恭平から離れた。
「とにかく今は、風邪を治せ。いいな。」
「…うん。」
「孝介のことは、その後だ。きっちりと断りに行くぞ。」
「…っ」
「心配するな。私も行くよ。さ、眠って。」
恭平は、孝平の優しさに胸を高鳴らせながらも、消えない不安を抱えながら目を閉じた。