求める心 P3



「あ…。」
二人の唇が離れた。

何事…?

恭平はぽわっと間の抜けたような顔をして、すぐ近くにある孝平の顔を見上げた。いつもと変わらないきりりとした端正な顔からは、読み取れる事は何もない。
そのまま孝平が離れようとしたので、慌ててその頬を掴んで引き寄せた。

恭平が自分から唇を寄せて、恥ずかしそうに目を閉じながら口付ける。

今度は孝平が驚いて、近くにある恭平の睫毛を見つめた。
強く閉じられた瞼の上で、睫毛が揺れている。遠慮がちな恭平の舌を絡み取り、首の後ろを掴んで引き寄せた。

「ん…!」

ガチャンッ

引き寄せられた勢いで恭平がテーブルに付いた手が、残りの麺が入ったままの皿をひっくり返した。

「あつっ!」
恭平が反射的に手を押さえて身を引いてしまう。
二人の距離が離れた。

「あーあ…残りが台無しだ。すまんな。」
「…。」
恭平が手を押さえたままはっと息を止めた。

孝平はテーブルの隅からさっと布巾を取り、こぼれた汁が床に落ちる前にうまく拭き取った。
「ほらぼーっとするな。もう一枚布巾を持ってきてくれ。」
「あ、は、はい。」
恭平は呂律の回らない声で返事をして、慌てて立ち上がった。

頭がくらくらする。
こんなに興奮しちゃうキスをしたの、しばらくなかった気がする…

「はい父さん、布巾。」
「ああ。ここはいいから、お前は手を冷やして来い。火傷してるかもしれないぞ。」
「ううん…平気。」
今は少しでも長く、少しでも近く側にいたい。
そんな衝動を、珍しく恭平は抑え切れなかった。
「…。」
孝平は黙ってテーブルを拭いていたが、それも終わると顔を上げて、言った。


「…一緒に風呂でも入るか。」


言われた恭平の顔が見る見るうちに赤く染まる。
孝平は断られると思っていた。

「うん。」
大きく頷いた恭平は、恥ずかしそうにはにかんで笑った。


恭平は動悸の止まらない体で、風呂の浴槽を洗って湯を入れた。

どうしよう。
こんなにドキドキするのは初めてだ。

孝平は玄関の鍵をかけて戸締まりをして、浴室に入った。
蛇口から流れる湯を眺めながらぼーっとしている恭平がいた。

「恭平。」
呼ぶとすぐに恭平が振り返った。
「えっ、まだだよ。今入れ始めたばかりだから…。」
「わかってるよ。」

孝平には、確かめねばならぬ事があった。
とても大事なことだ。
だが、孝平は今まで相手に面と向かって確かめたことがなかった。

「確かめたい事があるんだが。」
「…なに?」
恭平が怪訝そうに聞き返す。
こちらを全面的に信じて疑わないその瞳が、胸に痛い。
見つめられるとなんて言っていいかわからず、壁に肘をついて手の甲を口元に当てた。

困ったような表情の父を見て、恭平が訝しげに眉を寄せた。
「…何?父さん…。」
「あ…」
「待って。待って…なんか嫌な予感がする。」

孝平の言葉を遮って、恭平が突然首を振った。
蛇口から湯の落ちる低い音が浴室に響く。

恭平が先程火傷した手をそのまま浴槽の縁に付き、立ち上がって一歩歩み寄った。
「…嫌な予感?」
「父さん困った顔してる。らしくない顔してる。慣れない事しないほうがいいよ。」

わかったような顔をして。

孝平は溜め息をついて、手の届く範囲まで来た恭平の手を取った。
うどんをひっくり返した手が、ほんのりと赤みを帯びている。
孝平はそっと口付けた。

「ふ。」
「な、なに?そんなとこで笑わないでよ…」
「慣れないことはしないほうがいい、か。」
「…うん。」
「恭平、父さんやりたいことがあるんだけど。」
「…うん。」
「いいかな。」
有無を言わせぬいつもの口調。

恭平は肩の力が抜けたように笑って、孝平の手を掴み返した。
孝平の真似をして、遠慮がちだが優しく手の甲に口付けた。
骨の形がきれい。

「言って。」
「…セックスしようか。」
恭平がたまらず孝平から視線を逸らせて目を伏せた。
頬が紅潮し、耳まで赤くなっている。

「嫌か。」
恭平が慌てて首を横に振る。
真っ赤になった顔を上げて、消えそうな程小さな声で恭平が言った。

「嫌じゃない。…しよ…」

孝平の胸が高鳴った。恥じらう恭平の姿に一気に欲情する。
その衝動を辛うじて抑え込み、孝平は恭平の唇を奪った。
できるだけ、慎重に、丁寧に。
間違っても孝介と同じことをするということは許されなかった。

孝平が今日までためらって我慢してきたこと。
それはセックスの強要だった。

今まで傷を残すまで乱暴に抱いたことはないが、恭平の同意を得ずにコトに及んだ事は何度かある。それを甘んじて受け入れてくれていると思っていたが、考え直してみると不安になった。
あの怯えた姿を見てしまった時から、恭平に触れる事がどうにも恐くなった。

孝平は壊れ物を扱うかのように優しく、かつ執拗に、恭平の唇を貪った。
それに一生懸命応えようと、恭平も口内で舌を絡ませてくる。
合わせた唇がずれる度に、その隙間から吐息が漏れた。

体が熱い。
息が苦しい。
胸が高鳴る。

恭平は腕を伸ばして孝平の首に絡ませた。
もっと深く、父さんを感じたい。


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