挑戦 P2
きっかけは一か月前。
その日寺崎は、昼の時間が終わりかけた社員食堂にぎりぎりで駆け込んだ。
朝から営業に出かけていたら、昼食を食べるのを忘れていたのだ。
もう片付け始めていたパートのおばさんたちは、仕方ないわねぇと苦笑しながら残ってるものを出してくれた。
それを食堂の隅でありがたくいただいていると、食堂の片付けを手伝っている一人の社員を見た。
その時は顔をあまり見たことがなかったので、アルバイトだと知らなかったのだ。
よく見ると、少し片足を引きずってる。
それなのに、手際よくテーブルを拭いて、その上に椅子を逆さにして重ねていく。
「恭平くん、それ終わったらこっちもお願い〜。」
寺崎からは見えない箇所からおばさんの声がする。
その声に顔を上げて、恭平と呼ばれた青年は笑っていた。
食べながら、変わった社員もいたもんだ、何課の奴だろう、なんて考えていた。
寺崎の食べ終わった頃、恭平がテーブルを全て片付けて布巾片手に戻ってきた。
二人は食器返却コーナーの前で、ばったりと出会った。
身長が170cmない寺崎は軽く恭平を見上げる形になったが、そんなことは気にならなかった。
それよりも、自分よりも細い腕とか白い首筋とか、とにかく体育会系の男ばかりを見慣れている寺崎には人種が違うと言っても過言ではない部分ばかりが気になった。
恭平が特別細く白いわけではなく、寺崎の周りがでかく黒いのだ。
「あ…。」
目が合って、何か言わなければ、と思うより早く、恭平がニッコリと笑って言った。
「俺が食器下げておきますよ。お仕事ご苦労様です。」
その透き通るような声に、完全に心を奪われた。
その場で身動きすらできなかった。
時が止まったかのように、恭平の声が脳内に反復する。
もっと聞いていたいと思った。
「君、あの…、名前は?」
気がついたら、口から勝手に言葉が出ていた。
目の前で恭平が、驚いたようにきょとんとしている。
すると突然、返却コーナーの内側から、ガシャンと食器の割れる音がした。
恭平はそちらを振り向いて、キャーキャー慌てているおばさんたちを放っておけないという表情で、寺崎を見た。
「あ、佐久間恭平です。恭平。」
「…佐久間?」
「はい、あの、後でいいですか?」
割れた食器が気になるらしい。
寺崎は、長く引き止めるつもりはなかったので、慌てて手を振って言った。
「ああ、もういいんだ、ちょっと気になっただけだから。」
「はあ…。じゃ、失礼します。」
恭平は右足を軽く引きずった独特の足取りで慌てて厨房の中に消えていった。
その後姿を最後まで見送って、寺崎は食堂を後にした。
佐久間…佐久間。
どこかで聞いたような…。
同じ課の矢吹に聞いてみると、お前馬鹿だなあって顔をして、彼はきっぱりと言い放った。
「佐久間恭平って言ったら、うちの社長の長男じゃん。結構有名だぜ。」
「えっ?!そうなの?」
その時初めてそのことを知った寺崎は、記憶の中の孝平と食堂で見た恭平の姿を重ねてみた。
…確かにそう言われれば顔とかが少し似ている気も…
でも雰囲気が全然違う。
「まあそんなとこはなんでもいいよ〜。もっと恭平くんと仲良くなりたい。」
夢を見ているような浮かれた台詞に、矢吹は呆れたように溜息をついていた。
「…そういうわけだから、聡平。夕飯よろしくね。」
仕事を終えた恭平は、廊下の隅でイギリスから帰ってきて間もない弟の聡平に電話をかけていた。
受話器の向こうであっけらかんとした聡平の声がしている。
『ああ、いいよ別に。まだバイトないし。』
「ありがとう〜!」
こういう時に聡平は本当に頼りになる。
「ほんと、お前が帰ってきてくれて助かったよ。」
『いいよそんなおだてなくたって。』
恭平は本気でそう思ったから言ったのだが、聡平はいつもいまいち信じてくれてないみたいだ。
それか、照れ隠しか。
「ほんとだって。」
『ハイハイ。兄貴もたまにはパーッと遊んでこいよ。』
「パーッと?」
『そ。』
パーッとなど遊んだことのない恭平には、果たしてどの程度がパーッとなのかすらわからない状態だった。
馬鹿にされたくないので黙っておく。
「…うん、まあ、適度に。」
『はいよ。じゃ、まあ後で。』
「ああ。ありがとうね。」
プツンという音がして電話が切れる。
恭平が携帯の画面をパタンと閉めると、廊下の向こうから寺崎と矢吹の二人組が帰り支度を済ませた様子で駆け寄ってきた。
「さあ、行こうかっ。」
意気揚々と言う二人に、恭平は苦笑しながらも嬉しそうに微笑んだ。