挑戦 P6
「あ…はぁん。」
矢吹と寺崎が、ハッとなって甘い吐息に反応した。
恭平は、達した余韻で身体をビクビクと震わせながら、掴んでいた寺崎の背中から手を放した。
そして、うっすらと目を開ける。
「…ん…?」
寺崎が驚いてベッドから転がり落ちた。
うわぁ、と情けない声を出して矢吹の後ろに隠れようとする。
もっとも、図体が大きすぎて隠れられたものではないが。
矢吹はというと、恭平の表情に見とれたまま身動きが取れないでいた。
目が開いていようがいまいが、恭平は恭平。俺は俺。
それに、どうしようもできない性格上、もし恭平に咎められたとしても言い訳というものは大嫌いなので、しない。
うっすらと目を開けた恭平は、寝ぼけ眼で矢吹を見つめ、ニ、三度瞬きをした後ニッコリと微笑んだ。
「父さん…。」
囁くようにそう言って、矢吹の首に腕を絡ませた。
そのまま目を瞑り、スヤスヤと寝息を立て始める。
あ、まただ。”父さん”って…
父さんって、あの人だよな?佐久間、孝平…。
「竹本、もう私は帰らせてもらうけど、いいかな。」
孝平は一日の仕事を終えて社長室を出、隣の秘書室の扉を開けた。
竹本の他に3名の秘書が働いている秘書室で、一番奥の机に座っていた竹本が顔を上げた。
孝平の姿を確認して急いで立ち上がる。
「社長。お送りいたしましょうか。」
「いや、いいよ。今日は時間もそんなに遅くないし歩いて帰ろう。」
「そうですか。ではお気をつけて。」
「ああ。また明日。」
「はい。…あ。」
頷いた竹本が、思いついたように突然声をあげた。
少しわざとらしさを感じながらも、孝平が立ち去りかけた足を止めて振り向く。
「なんだ。」
「いえ…今日は、恭平くんはもうお帰りですか?」
「ああ、もう帰っているだろうな。それがなんだ。」
「いえ。今日、彼を食事に誘っている社員がいましてね。またお断りになられたのかと思いまして。」
「?」
竹本は、寺崎と矢吹の一部始終を偶然見ていた。
恭平が困ったように頷いていたのを見ていた。
…その後の二人の会話も、廊下を挟んで耳にしていた。
今日、恭平が家に帰っていないことは明白だったが、孝平が知っているのかどうか確認したかったのだ。
この様子だと、知らないらしい。
「彼ももう24歳ですし、あまり家事に囚われているのは可哀想ですね。」
孝平の様子を伺うようにして、竹本は意味ありげな視線を孝平に向けた。
「…それがなんだと言うのかな。」
「いえ。なんでもございません。」
「ふむ。」
孝平は頷いて、少し考えるように顔をそらした。
その様子を食い入るように見つめる竹本。
やがて孝平は視線を竹本に戻し、軽く笑みを浮かべて言った。
「まあ、それを決めるのは恭平自身だ。彼の好きにすればいい。」
そういう貴方の態度が、恭平くんを呪縛に陥れているのですよ。
竹本は複雑な心境で、最愛の人の後姿を見送った。
いつもより早く帰宅した孝平に、夕飯を作っていた聡平と、それを手伝っていた明美が目を丸くして驚いた。
「あれぇ?父さん、今日帰って来ないんじゃなかったの?」
聡平がきょとんとして聞く。
「…。」
孝平は黙ってネクタイを解くと、鞄を部屋においた。
「仕事が早く片付いたんだよ。…帰って来ないと誰から聞いた?」
「兄貴だよ。決まってるじゃん。」
これまたきょとんとした様子で聡平が答え、どうしよっかなー人数分ないよこの飯、と付け加えた。
「…明美、清二んとこ行く。」
明美が小さく呟いたのを、聡平が睨んだ。
「馬鹿。こんな時間から男の元に行くなんてダメ。」
「はあ?…なんで聡ちゃんにそんなこと言われなきゃなんないのよっ。」
「だめったらだめ。兄貴に言いつけるよ。」
「兄さんはダメなんて言わないもの!」
「兄貴がよくても、俺がだめ!少しは大人になれよ、明美。」
「…。何よ、年上ぶっちゃって。」
「年上だよ。」
兄妹喧嘩をしている二人の横で、孝平はソファに座ってテレビをつけた。
頭の中では竹本の言葉が繰り返し流れている。
恭平が、誰かに食事に誘われていた?
今帰ってきていないということは、それはその食事についていったということだ。
聡平に家のことを任せていることから考えても、間違いないだろう。
問題は、それを自分に無断でしているということだ。
…。
その夜、聡平と明美の三人で夕飯を済ませた後、夜中頃に酔っ払った良平が帰ってきた。
恭平がいないとわかると驚いた様子だったが、すぐに部屋で眠りこけてしまっていた。
その後も恭平が帰宅することはなかった。