挑戦 P8
恭平は急いでシャツに腕を通して、ズボンを履いてベルトを締めた。
毛布を矢吹の体にかけてやり、急いでその場を立ち去ろうとした。
逃げるようにそのまま出て行こうと玄関に立つ。
そこでふと、考え直したように動きを止めた。
せっかく泊めてもらったのに、挨拶もせずに出て行くのはよくないと思い始めたのだった。
恭平はしばらく考えて、やがて靴を引っ掛けて玄関を出て行った。
玄関の扉が閉まる音。
それを聞いた直後に、矢吹はむっくりと起き上がった。
頭をボリボリと掻いて、かけてもらった毛布をじっと見つめる。
少し前に、恭平が誰かと電話している音で目が覚めた。
しばらく聞いてると単語とか口調とか、何より「父さん」っていう単語で、電話の相手が佐久間孝平だとすぐにわかる。
矢吹はそれを悟ってしまったために身動きができずに、恭平が出て行くのを待っていたのだ。
「はあ。」
矢吹は溜息をついて、大の字になってベッドの上に寝っ転がった。
目を閉じると、昨日の光景がリアルに映し出される。
白い足、暗がりで光る汗、甘い吐息。
全身を震わせて実の父を呼ぶかすれた声は、普段からそういう行為をしていることを物語っていた。
恭平は、父親である社長とデキている。
その事実が、矢吹の心に重く圧し掛かった。
初めは、恭平を見かけるたびに寺崎が隣で騒いでいるのでついでに見ているだけだった。
笑顔がかわいいとか、透き通る声だとか、寺崎は頼みもしないのに恭平の魅力を喋り捲っていた。
確かによく見ると、人のよさそうな笑顔だし聞いてて飽きない声ではある。
しかし、自分もそれ以上にお人よしであった矢吹には、恭平の笑顔には何か隠されているように感じていた。
それがなんなのか、気にすれば気にするほど、恭平の姿を追っていた。
寺崎が騒ぐので、彼の計画に手を貸してやったが、今から思えばそれも自分に下心があったからなのかもしれない。
そう思うと、矢吹は罪悪感で押しつぶされそうになった。
自分ならば、寺崎のような強行手段には出ない。
もっと、普通に会話から。
あんな無断で服を剥ぎ、イイところを触って好きな人の名前を喘がせるような、あんな真似は。
…しない、と今の矢吹には言い切る自信がいまいちなかった。
恭平から寺崎を離した後、その恭平から抱きつかれた矢吹は、あまりの出来事についその手を思い切り解いてしまった。
呆然とした。
誰と間違えているのか、矢吹には明白だった。
運がいいのか悪いのか、寺崎は恭平の呟きを二度とも聞いていなかったらしく、この期に及んで続きをやろうとしていた。
矢吹が止めると、怒り出した。
完全に中毒症状になってるみたいだった。
しかし力では矢吹に分があるので、どうにかして寺崎を家の外に放り出し、一時間近く寒々とした外で説得を試みた。
最後は寺崎もわかってくれて、おまけに矢吹という人物を信用したのかどうなのか、恭平を彼の部屋に残したまま帰宅していった。
矢吹は部屋に戻れず、一人で駅前のカラオケルームに入り、朝の5時に帰宅した。
恭平が起きるまで起きているつもりだったが、何時の間にか眠ってしまっていたのだ。
気付いたら、今の状態だった。
裸のまま起きた恭平はどう思っただろう。
…きっと、なんかやられたと考えたに違いない。
そう思うと胸が痛かった。
カチャリ
「?」
玄関のドアが開かれた。
あ、恭平が出てってから開けっ放しだったっけ。
矢吹は寝不足な体を引きずって、玄関の方を覗いた。
そこに立っていた人物と目が合って、絶句する。
「あ、矢吹さん、お早うございます!会社、遅刻みたいですよ。」
そこには買い物袋をぶらさげて笑う、恭平の姿があった。
矢吹は口をパクパクさせて目を丸くした。
「…な、なんで?恭平くん。」
自分でも何を聞いているのかわからない。
恭平は苦笑して、靴を脱いで部屋に上がってきた。
「朝ご飯作ります。泊めてくださったお礼です。」
それを聞いて、さらに目を丸くする矢吹。
「嫌いなもの、ありますか。」
「いえ、特に…。」
「よかった。お口に合うかどうかわかりませんけど…急いで作りますね。」
恭平は腕まくりをして台所に立った。
その後姿を見つめて、矢吹が顔を赤らめた。
矢吹は自分の家で、他人に食事を作ってもらったことがなかったのだ。
純粋に嬉しい反面、昨夜のことが思い出されて気まずそうな顔をした。
「あの…恭平くん。昨日は…。」
「何もなかった、ですよね。矢吹さん。」
恭平が包丁を持った手元から目を離さずに言い返した。
矢吹はウッと言葉を詰まらせてから、自分は何もしていないということだけは伝えておきたかった。
…この際、寺崎のことは後回しだ。
「ああ、何もない。その…服を着ていなくてビックリしただろうけど…。」
「…。大丈夫ですよ。慣れてますから。」
それは、いつも孝平に脱がされたまま寝ていると、そういう意味だろうか。
矢吹は気持ちがモヤモヤしてくるのを抑えられなかった。