挑戦 P9



「う、うまいっ!!」
矢吹は恭平の作った煮物を一口食べて、歓喜の声をあげた。
嬉しそうに次から次へと箸を口に運んでゆく。
恭平はその速さに驚いたが、喜んでもらえたので嬉しそうにその光景を見ていた。

「ウマイよこれ、恭平くんっ。君才能ある!」
「そんなに褒めていただけるとは、光栄です。」
「いや〜、マジ。俺、結婚するとしたら料理の上手な女にしよう。今決めた。」
「今ですか?」
恭平がおかしそうに口を押さえて笑った。
予想外なところで笑われたので、矢吹が恥ずかしそうに動きを止める。
すると恭平は笑うのをやめて矢吹を見つめた。

「矢吹さんって面白いですね。昨日一緒に飲めて楽しかったです。」
「そ、そうかな…。」
「はい!また飲みましょう。…酔いつぶれない程度に…。」

どうやら恭平は自分が酔いつぶれたと思っているらしい。
矢吹はハハと頭を掻いて、まともに恭平の顔が見れずに白米を口の中に押し込んだ。
恭平も皿を借りて、矢吹の目の前でゆっくりしたペースで食事を進めた。

しばらくの沈黙。
矢吹はそれにも耐えられず、口を開いた。
「あ〜〜。それにしてもウマイ。恭平くん、この料理どうやって覚えたの。誰かに習った?」
すると恭平は、いくらか元気なく微笑んで答えた。
「独学です。近付けたい味はあるんですけど、何年やっても、あんまり進歩しません。」
「近付けたい味?」

矢吹が箸を止めて恭平を見た。
恭平は少しだけ視線を落として、窓の外の方を向いた。
「死んだ母の味です。覚えてる味にしたいのに、いくらやっても同じにはならなくて…。」

その横顔は、いつになく哀しそうで。
矢吹は話題を振ってしまったことを後悔した。
そういえば社長の奥さんは若くして亡くなったと聞いたことがあった。
恭平は長男だというから、その時から料理など日常茶飯事のことになったに違いない。
大学を卒業してから上京し、一人暮らしになっても外食に頼っている自分とは天と地の差だと矢吹は思った。

「ごめん。変なこと聞いた。」
素直に謝ると、そのことが意外だと言うように恭平が驚いた表情を浮かべた。
「謝ることじゃないですよ。誰でもお袋の味って、なつかしいって言いますし。」
「…。」

言いたいのはそういうことじゃなくて。
でも矢吹はそれ以上の反論はできなかった。

「俺は恭平くんの味しかわからないけど、すごく美味しいよ。俺、それだけでいいと思う。」
恭平は恭平。彼の母は母。自分は自分。
矢吹の基本的な思考回路は、ただそれだけだった。
そのことを感じて、恭平が安心したように肩の力を抜いた。

「ありがとう、矢吹さん。」
「うん。こりゃ毎日食べられる社長がうらやましいなあ!」

あ。
…また、失言を。

してしまった、と思ったのは矢吹だけだったらしく、恭平はどこか嬉しそうにニッコリと笑った。
「美味しいって言ってくれたことないですけどね。いつか言わせてみたいものです。」
「そ、そうだね。」

さっきも感じたモヤモヤが大きくなるのを矢吹は感じた。
俺…さっきからどうしたんだろう。
孝平のことを恭平が嬉しそうに離していると、それだけでモヤモヤとしていたたまれなくなる。

…まさか、嫉妬?


食べ終えた食器を流しに置き、手早く洗って恭平は矢吹の家を出た。
恭平は孝平に呼ばれていたし、それを知っていた矢吹はシャワーを浴びてから出社すると言った。
「では、課長には俺から言っておきます。まあ反省文くらいは書かされるでしょうが…。」
「サンキュ。ぜひよろしく頼むわ。」
恭平は軽く手を振って、矢吹の部屋から出て行った。

バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。
矢吹は半分体が抜けたように寂しくなって、その場に力なくしゃがみこんだ。

寺崎のこと馬鹿にできない。
どうやら自分までも、恭平のことを好きになってしまったらしかった。


恭平は会社へ行く道の途中のコンビニで二人分の弁当を購入し、昼過ぎになって出社した。
矢吹の遅刻を伝えに行くと、同じオフィス内にいた寺崎が声をかけてきた。
「恭平くんっ。矢吹、寝坊だって?君も?」
「ウッカリです…寺崎さんは昨日、ちゃんと帰ったなんて偉いですね。」
「ハハ…。」
どうやら勘付かれていないようだと安心し、寺崎は苦笑しながら頭を掻いた。

「ところで、昨日矢吹に変なことされなかっただろうね?」
寺崎は小声で恭平に囁いた。
「変なこと?」
「うん。いや、されてないなら、いいんだよ!」
「はい。」
恭平にとっては自分が裸だったことが十分変なことだったのだが、まさか寺崎がそのことを知っているとは思いもしないので、曖昧に微笑んでその場を後にした。

右足を軽く引きずりながらエレベーターの前へ行き、降りてきたそれに乗っていつもの階へ。
社長室が近付くにつれて、恭平の胸の高鳴りは速くなっていった。


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