挑戦 P14
一方、昼を過ぎてから出社した矢吹は、課長にたんまりと絞られた後、別室にて残業が目に見えているくらいの大量データをパソコンに打ち込むという作業をひたすら繰り返していた。
こういった細かい作業は見た目どおり苦手なので、10分もしないうちに目がチカチカしてきた。
目薬を何度も差して、パソコンを見つめる。
しばらくすると、コーヒーを両手に持った寺崎が様子を見に来た。
カップを矢吹の手元に置いて、向かいの席に腰掛ける。
矢吹は軽く手を挙げて感謝を示した。
「恭平くんと仲良く遅刻したってか。」
寺崎が言う。
「仲良くってわけじゃねぇよ。」
寺崎の言い方が気になって、矢吹は顔を上げて反論した。
「確かめておくけど、何もしてないよな?」
「馬鹿を言うな。お前と一緒じゃねぇっつの!」
矢吹は論外だと言う様に大げさに手を振って、置かれたコーヒーに口をつけた。
「それに、人のものは取らない主義なんだってば。」
「人のもの?」
「あ…いや、なんでもない。」
寺崎には本当にあの呟きが聞こえていなかったらしい。
なんて幸せで都合のいい耳なんだ。
本人には、確かめたかったけど、確かめられなかった。
聞いてしまったら、恭平が傷つくと思ったから。
「寺崎。お前、恭平くんのこと諦めろよ。」
「え?」
寺崎が驚いて矢吹を見た。
矢吹はパソコンの画面からわざと顔を離さなかった。
「諦めろって?まさか、矢吹。」
「馬鹿、違うよ。俺は、そんなんじゃねぇ。」
「…本当かなぁ?」
寺崎が首を傾げて目を細め、疑わしそうに矢吹を見た。
それを心外ととった矢吹は、ぶすっとした表情で寺崎を見返した。
「お前とは違う。俺は…」
「恭平くんに興味がないと?言い切れる?本当に?」
寺崎がテーブルに手をついて顔を近づけて問い詰める。
矢吹はさすがに否定しきれず、慌てて目をそらした。
それを寺崎が見逃すはずがない。
「あっ、ヤブちゃん目ぇ逸らした。横取りはだめって言ったのに!」
「よ、横取りなんてしてねぇだろ!昨晩は俺、なんもしてねぇし!」
「部屋にいて声聞いてたじゃん!」
「それはお前がいろって言うから…!」
矢吹は必死になって首を振った。
罪悪感を感じている部分の核心を突かれて、焦っている自分が情けなかった。
寺崎は怒鳴るのをやめ、腕を組んで椅子にもたれた。
「ふーん。まあ、俺はそれでもいいや。」
予想外な言葉に矢吹の目が一瞬点になった。
「え…?」
「今度は、じゃあ二人でやろうね。」
「はぁ?」
「3Pってやつ。」
あきれ果てて物も言えない。
矢吹は顔を赤らめて、ため息をついた。
「俺はやんない。」
「どうして?矢吹も恭平くんの身体に、興味あるんでしょ?」
カラダって言われると……
矢吹の頭に昨日の恭平の細い足や汗ばんだ肌が、リアルに蘇る。
搾り出したような声が、すぐ近くで聞こえた気がした。
「わわわわわ!!…馬鹿、言うな!」
「あ〜。ヤブちゃんてば、今、昨日の恭平くん考えちゃったでしょ。やっぱ興味あるんだなぁ。」
誰だってあんなシーンを見たら興味がわかないわけないと、矢吹は思った。
強くかぶりを振って記憶を飛ばし、寺崎の腕を引っ張って部屋の外へ出した。
「痛い!何するんだよ、矢吹っ!」
「お前有害!いいか、今後一切そういう馬鹿なこと考えんなよ!!」
怒鳴ってすぐに音をたててドアを閉めた。
男同士だから、寺崎はこんなことを考えるのだろうか。
もし恭平が女だったら、こんな犯罪めいた手には出ないんだろう。
そう思うと、矢吹には寺崎が少しだけ不憫に思えた。
夕方の5時。
予想通り、仕事は一向に片付かず、矢吹はいい加減ヤケを起こしそうになっていた。
だいたい、こんなのはどっかのバイトにでもやらせとけばいい仕事じゃないか…!
バイト。
バイトといえば、恭平だ。
他にも何人かいるのだろうが、矢吹には恭平しか思い浮かばなかった。
恭平なら今日も出社しているだろうから、どうやったら早くデータを打ち込めるか聞いてみよう。
なんで早く思いつかなかったんだ、と後悔しながら慌てて席を立ち、矢吹は恭平のいるはずのオフィスに駆け込んだ。
帰り支度をしている人が何人か見受けられるが、恭平の姿はない。
昨日恭平と同じ作業をしていた女子社員を捕まえて、彼の居所を聞いてみた。
「佐久間くん、今日は出社日じゃないわよ。明日ならいると思うけど。」
予想外な応えに、一瞬思考回路が停止する。
「え…。今日、来てると思ったんだけど。」
寺崎を見上げていた女子社員は首を傾げて、ポンと手を打って言った。
「じゃあ社長のところかしら。うちとそっちで掛け持ちなのよ、佐久間くんの仕事。」
矢吹の心に影が差した。