始まり P4



唯一の理解者である恭平にまで説教されたらたまったものではない。
ただでさえストレスが溜まっているのに。

「関係なくないって。どれ、どの箱なの。見せて。」
「…。あ〜も〜!うざいなぁ。」
良平はポケットから煙草の入った箱を取り出して、恭平の方へポイっと投げた。
それをうまくキャッチして、恭平は銘柄を確かめた。
といっても、恭平ですら高校生なので、吸ったことはおろか箱自体を見るのも初めてであった。
なるほど、箱からは1本だけ抜けていた。

「へぇー。こんなんなんだ。俺も吸ってみていい?」
「………は?!」
これにはさすがの良平も驚いて動きを止めた。
恭平は構わずに箱から一本煙草を取り出して、マッチちょうだい、マッチ、と言った。
あきれて物も言えない。

「…気でも違ったのか、兄貴?」
「ね、吸ってみたい。マッチかライター、頂戴。持ってるんでしょ?」
「持ってるけど…って、あ!オイ!」
恭平は良平のポケットからライターを抜き取るとパカンと音を立てて蓋を開け、親指でこすって火をつけた。

「ね、どっち側につけるものなの?火って。」
「オイ、ばか、やめろ。兄貴の吸っていいものじゃないって。」
「なんで?」
「お、お前、正気か?法律忘れたの?」
「…法律?お前が吸っていいなら、俺もいいはずだろう。さ、どっちなの。こっち?」
「いや逆。って…おい…!」

良平の制止も聞かずに、恭平は煙草に火をつけた。
火をつけただけならなんでもないが、本気で恭平が口につけようとしたので、良平は思い切りその手を叩いた。

バチン!

「いたっ!」
恭平の手から火のついた煙草が飛ばされ、二人から離れた箇所にポトリと落ちた。
地面でもなお、煙を出している。
「ケホッ。ケホ…ッ。」
どうやら少しだけ吸ったらしく、恭平は叩かれた手を摩りながら小さな咳を繰り返した。

「こんの…馬鹿兄貴っ!煙草は…体に悪いし、大しておいしくもねぇし…兄貴が吸うもんじゃないんだって!!」

自分の口から出るに相応しい台詞ではないことくらい良平にもわかっていた。
だが、目の前の、自分より年上の恭平が思ってもみない行動に出たので、無我夢中で叫んでしまっていたのだ。
恭平は涙目で、咳を止めて言った。
「…おいしくない…。」
「当たり前だ!あんなの、おいしいわけ…」

「おいしくないし、体に悪いし、中学生の吸うものじゃないだろ!良平もわかってるのに、どうしてやった!返答次第では許さないから、言ってみろ!!」

突然、恭平がものすごい剣幕で、良平の胸倉を掴んで怒鳴った。
その豹変ぶりに、またもや良平が唖然とした。

「法律がどうのって?良平が一番わかってるじゃないか!」
言いながら、恭平はケホケホ咳き込んでいる。
傍から見ているといまいち迫力に欠けるが、怒鳴られたことのない良平は、驚いて腰を抜かすかと思った。
この頃はまた恭平の方が身長も体重も大きかったので、尚更だ。

「ご、ごめんなさい…。」
良平は、気付いたら謝っていた。
喧嘩した相手にも、叱ってくる教師にも謝らない良平が、恭平にだけは頭を下げて謝った。

それに満足したのか、恭平はニッコリと笑って良平から手を離した。
落としてしまった煙草を踏んで火を消して、そのごみを拾い上げた。
「はあー。未成年のうちに煙草吸うことになろうとは思わなかった。こりゃ大人になっても吸わないな。マズいから。」
そう言いながら、恭平は未だに軽く咳き込んでいる。

「帰るよ、良平。今日は肉じゃがだよ。」
「……うん。」
それ以降、良平は煙草を吸うのをやめた。


また、試験前になると、必ずといっていいほど明美が動物園に行きたがった。
勉強ばかりしていると特に、泣きまくって収拾がつかなかった。

「この前行っただろう、動物園は…。」
「この前はね、ゾウさんが見れなかったから、また行くの。元気になってるかもしれないでしょ?」
「俺、ちょっと疲れてるから、聡平兄さんと行ってきて。な。」
「やだー!恭平兄さんも行くの!一緒に行ってー!」
「…はいはい。」

休日も休みなく明美に連れまわされて、疲労困憊していた恭平を見て、聡平も家事を手伝った。
「明美のわがままなんか、きかなきゃいいんだよ。兄貴は甘やかしすぎ。」
ぶつぶつ言いながら食器を洗っている。

恭平はぐったりと食卓に伏せて、答えた。
「最近やっと、母親がいない寂しさに気付いたみたいなんだ。俺が相手してやんなきゃ、かわいそうだろ…。」

自分のことを満足にできずに明美や父親ばかりに振り回されてる、そんな兄の方がかわいそうだ。
聡平は思っていても、それ以上は何も言わなかった。


聡平だけが、いつか恭平が母親みたいに倒れるのではないかと心配していた。
良平は相変わらずの喧嘩っ早さだし。
明美は相変わらずの我侭言いたい放題だし。
…恭平は夜遅くに帰宅する孝平を寝ずに待っていたし、弁当を作るために早起きもしていた。
開いた時間に勉強をして、洗濯をして。

よく考えれば、当たり前のことだ。

ある夏の暑い日に、聡平の部活が1日だけ休みになった。
いつもより早く帰宅して、リビングで、倒れている恭平を見つけた。


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