仕事と関係 P9
恭平が飲み下したのを確認すると、竹本は恭平から湯飲みを受け取って流しの台へ置いた。
「すいません、なんか心配かけてしまって。」
「いいえ。」
竹本は笑って、持っていた紙袋を握りなおした。
「落ち着いたら仕事に戻られるといいですよ。無理をするなと、社長もおっしゃっていました。」
「…父さんが?」
「はい。」
あの人がそんな気遣いを見せるかどうか疑問に思ったが、恭平がそれを口に出す前に竹本は給湯室の扉の方へと踵を返してしまった。
「あ。」
「?」
「それと、社長のことですけど。」
ドキリとして、恭平が肩をすくめた。
行きかけた竹本が振り返り、ここぞとばかりに微笑を浮かべて言う。
「今日は明日の会議のために、夕方から東京を離れるのでお帰りにはなれないと思います。ご了承ください。」
…予想外な内容に、恭平は警戒を解いて竹本を見た。
孝平の予定を秘書の竹本から聞くことは多々あったが、最近では久しぶりだった。
忙しい時以外はなるべく自分から言ってくるようにしていたようだから。
恭平は少しだけ顔をしかめて、すぐに慌てて頭を下げた。
「は、はい。」
「戸締りにはお気をつけくださいね。」
「ありがとうございます。」
竹本は最後に恭平に軽く頭を下げ、先に給湯室を去っていった。
…何も、言われなかった…
俺みたいにもう孝平の扱いには慣れてて、なんとも思っていないのだろうか。
孝平が、勘がするどいだの気をつけたほうがいいだのいろいろ言っていたせいで、自分の方が警戒しすぎたのだろうか…。
恭平は急に恥ずかしくなって、ぶんぶんと頭を左右に振った。
振りすぎて、少しだけ眩暈までした。
考えすぎはやめよう。
起こる事態に、冷静に対処していければ、それで………。
「恭平くん。」
「は、はいっ?」
デスクに戻ってパソコンに向かっている恭平に、隣の席の米田が話しかけた。
その掛け声に上ずった声で返事をした恭平の頬は、微かに紅潮していた。
「…そんなに、かしこまって返事してくれなくても。」
年もそんな変わらないし、と言って米田は口をとがらせている。
恭平は困ったように苦笑した。
「あ、すいません…なんですか?」
「ちょっと悪いんだけど、このプリント20部コピーしてきてくれないかな。今やってるのが一段落してからでいいから。」
「わかりました。」
米田が差し出したプリントを腕を伸ばして恭平が受け取る。
その手が、少し震えていた。
「…なに。そんな怯えんなよ。」
「えっ?」
「手、震えてるよ。」
そう言って、米田が恭平の手首の辺りを掴んだ。
「!」
その瞬間に、恭平が思い切りその手を自分の方へ引いた。
驚いた米田はそのまま手を離し、手の平を恭平の方へ向けて不思議そうな顔をした。
たまたま側を通った同僚が、米田ーあんまいじめるなー、と笑いながら声をかけたのでそれを睨んでから、恭平へ視線を戻す。
恭平は自分でも驚いて、慌てて立ち上がった。
「す、すいません。びっくりしたもので…。コピーですよね、行ってきます。」
「…うん。よろしく。」
米田はそれ以上追及せずに恭平にプリントを手渡した。
プリントとカードキーを持って廊下に出て、恭平は胸の辺りを押さえて歩き出した。
なんだか、体が変かも。
妙に心臓がドキドキするし、なんか、こう、感情が……
廊下の角を曲がったところで、向こうから来た社員とぶつかった。
「ふ…っ!あ、ごめんなさい。」
向こうは手を上げて謝って、早足で通り過ぎてゆく。
ぶつかった肩が、妙に、痛い……
恭平は慌てて首を振って、コピー室への道のりを急いだ。
走れない分ゆっくりになるが、体が熱くなるのが止められない。
指先に心臓があるみたいに、ドクドクとした血流を感じる。
コピー室へ辿り着いたとき、恭平の手には汗が滲んでいた。
走ったわけでもないのに、心臓が高鳴ってる。
カードキーを取り出そうとして、うまくできなかった。
やばい、どうしたんだろう。
…どうしたんだろうって、本当はなんでこうなってるのかなんとなくわかる。
ただ、恭平は疑いたくなかった。
時間が過ぎれば、効果は薄れるはずだ。
大丈夫、大丈夫、落ち着いて…
「お!恭平くん、どうした、こんなところで。」
「ひゃぁ…ッ!」
後ろからいきなり肩を叩かれて、恭平は素っ頓狂な声を上げた。
肩を叩いた本人、営業課の峰山も驚いて目を点にしている。
「え…なん…?」
「あ、す、すいません…っ!」
「うん、いいけど…具合でも悪い?顔が赤い。」
そう言って、峰山の指が恭平の顎を撫でた。
「あっ」
恭平の口から、軽い吐息が漏れた。
「え?」
「す、すいません、失礼します!」
顔を赤らめて、慌ててその場を後にする恭平を、峰山はポカンとして見つめている。
足をひきずっているわけだから走ればすぐに追いつけるが、何やら追いかけてはならないような気がして、そのままその後姿を見送った。