仕事と関係 P10
矢吹がその日の営業回りを終えたのは、夕方だった。
これからオフィスへ戻って報告書を急いで書けば、恭平が会社を出る時間に間に合うかもしれない。
鼻歌を吹きながら車を運転していると、助手席に乗った仕事仲間が身震いして言った。
「なんか矢吹、機嫌いいじゃん。彼女でもできたか?」
「はぁー?そんなんじゃ、ねぇよ。」
ただ、一緒に帰れるかと思うと少しウキウキしてくるだけ。
「そういえば、最近、社長の息子さんと仲いいらしいじゃん。さては昇給を狙ってるな?」
「ばか。恭平くんをそんな道具みたいに言うなっ。」
「えーいいチャンスだと思うけどなぁ。俺にも紹介してよ。」
「だめだっ。そんなヨコシマな考えを持ってるうちは、絶対紹介してやらん。」
助手席の仲間はぶーぶーと文句を言っていたが、矢吹はそれを笑って聞き流していた。
会社の駐車場へ入り、二人で車を降りる。
キーを指にはめてクルクルと回しながら歩いていくと、ビルの脇で蹲って座る人影を見つけた。
眉を寄せてその人影を見つめると、どうも矢吹の知っている人のような気がした。
ゆっくりと近付いて、その人物を確認した矢吹は大きな声で声をかけた。
「あれぇー。こんなところで何をやってるのさ、恭平くん?」
その声にびくりと肩を震わせる恭平。
矢吹は不思議に思って腰を曲げ、恭平のことを覗き込んだ。
腹痛にでも襲われているのだろうか。
恭平は腹の辺りを押さえて蹲ったまま、動かなかった。
「…どうしたんだ。大丈夫?」
さすがに心配になって屈みこむと、恭平は驚いたように顔を上げた。
その瞳が潤んでいて、頬には赤みが差している。
どうやらただごとではなさそうだ。
「矢吹ー?どうした、先行くぞ。」
「ああ、行って。後から行く。」
矢吹は同僚に手を上げて別れると、恭平を隠すような位置で再びしゃがみ込んだ。
「恭平くん。どうした?大丈夫?」
「や、やぶきさ…」
恭平の声は少し震えていた。
寒いのだろうか。
そう思って何気なく肩に手をかけると、恭平が派手に驚いて身を引いた。
「や…っ。」
「え。…恭平くん?なに?」
「あの、今ちょっと俺…変なんです。なんか…」
「変って、何が。具合が悪いなら医務室へ行った方が。」
「や、ほんとに、」
矢吹は聞く耳を持たずに、背中に手を回して肩を掴んだ。
「あぁあっ!」
恭平が更に身を縮めて嫌がる。
これには驚いて、矢吹も慌てて手を離した。
…なんだろ、今の声は…
矢吹の脳裏に、しばらく前に寺崎と恭平の行為を見ていた光景が浮かび上がる。
なっ、なんで今頃、こんな時に。
「…。」
「あ。ご、ごめんなさい…。」
静止したまま動かなくなった矢吹を気遣って、恭平が慌てて顔を上げた。
その瞳から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「えっ。ちょっと…恭平くん。」
「あれ。や、やばい…感情がコントロールできない…」
恭平は次から次へと流れ落ちる涙を拭こうともせず、蹲っている。
矢吹はどうしたらいいかわからずに、ひたすらあたふたと取り乱した。
えーと、とりあえず、ハンカチ…、は、持ってねぇから、ティッシュならあるかも。
てか、なんで泣いてるんだ?
俺、なんかしたっけ??
「どうしたの恭平くん。何かできることない?」
「…っ。あの、できたら、放っておいてくれて、大丈夫、です…」
「放っておくって。そんなことできないよ。医務室とか…あ、歩けないなら人を呼んでこようか。」
「ひ、人は困ります!……ぅ。」
思い切り否定したかと思うといきなり黙り込み、恭平はまた顔を伏せて蹲った。
矢吹には何がなんだかわからない。
「…あの…。えーと、腹痛?」
聞くと、恭平は首を振る。
でも押さえてるとこは確実に腹のあたりだと思うんだけどな…。
「あ、右足が痛いとか?よくあるの?」
今度は恭平は二度、首を振った。
どちらも違うということらしい。
「あ、気持ち悪いとか?」
「ちがいます…あの、本当に大丈夫なんで…っ。」
恭平の声はこれ以上ないくらい切羽詰っている。
矢吹はどうやっても教えてくれそうにないので、とりあえず体調不良に地面はよくないと判断した。
「そこに車があるから。ここだとまた心配して人が来るかもしれないよ。歩けないなら、運んであげる。」
そう言って。
矢吹は恭平の体を両腕で持ち上げた。
「あ…!やめっ矢吹さん…!!」
驚いた恭平が、身を震わせて思い切りその首筋にしがみつた。
その瞬間に、下半身を隠していた恭平の腕が外れる。
矢吹は驚いて動きを止めた。