仕事と関係 P14
「お願いします!社長!」
心配そうに言う矢吹に嘘偽りはなさそうだ。
恭平が誰かを庇っているということと、薬という単語で、孝平には思い当たる節があった。
笑いを止めて、急に真面目な顔になった孝平は、もう一度秘書課の方を覗いた。
警備員に説明を終えた竹本が、こちらを見るのと同時に矢吹へと視線を戻した。
「仕方ないな。行こう。どこだい。」
「あ、俺の車です。案内します。」
「いや今すぐは無理だ。いろいろ準備もあるし…」
「今すぐじゃないと困るんです!!…俺じゃだめなんですよ。あなたじゃないと。これは恭平くんの意思なんです…すぐに!お願いします!!」
まっすぐに孝平を見上げた矢吹は、思い切り孝平に頭を下げた。
さすがに驚いて、孝平がそれを黙って見つめる。
竹本も何事かと近付いてきた。
「お願いしま…!!」
「社長、そろそろお時間が。」
竹本の冷静な声が、矢吹の声を掻き消した。
その方向をちらりと見やって、孝平が軽く溜息をつく。
「少し寄るところがあるが、いいかね。」
「…お早めに。」
「準備は任せる。書類はお前に全て渡してあるから、いつもの道具だけでいい。」
「……はい。」
少々不満そうな竹本を尻目に、孝平は上着を取るために一旦室内へ戻った。
荷物を取るために一緒に社長室へ入った竹本に、孝平は何も声をかけない。
竹本も何も言わなかった。
部屋を出る直前に、孝平は振り向いて言った。
「10分後に、駐車場だ。いいな。」
「はい。」
「…竹本。」
「はい?」
笑顔で振り向いた竹本の表情を見て、孝平は言いかけた言葉を飲み込んだ。
矢吹が聞いている、今でなくともよいか。
「…なんでもない。遅れるなよ。」
「社長こそ。…何度も言いますが、遊びに真剣になってはいけませんよ。」
「わかっている。」
皮肉を言ったつもりが、怯むこともなく平然と言い返された。
孝平は矢吹を連れて社長室を出て行った。
残った竹本の表情からはいつしか笑顔が消えていて。
唇を噛んで、涙を堪えながらしばらく窓辺を見ていた。
夕日が辺りの空を真っ赤に染めて、地上に染み込み、景色が溶けてゆく。
竹本の予想では、こうなるはずではなかった。
薬を飲んだ恭平が異常をきたすのはわかっていたし、矢吹に助けを求めるのも、大方は予想がついていた。
最近矢吹の方が恭平のことを気にかけていたのはわかっていたし、できる限り恭平の帰宅に合わせて仕事を終わらせているのも知っていた。
あの時間帯に飲ませれば、恭平が言わずとも矢吹が探し、見つけただろう。
問題は、その後だ。
結局は相手など誰でもよかった。
目の前で興奮に耐える恭平に欲情してくれさえする男がいれば、誰でも。
そのまま性交に及んでほしいと、思っていた。
矢吹ならそうなると思っていた。
…彼は見た目が大きいから、そういう誘惑には弱そうだと勝手に判断した。
そうすれば恭平自身にダメージを与えることができる。
彼は見た目どおり、繊細で傷つきやすい心を持っている。
それは何年も孝平の息子として接してきた竹本には手に取るようにわかっていた。
だから美術館で城山という大学教授に襲われている時も、彼を心配してすぐに助けた。
孝平とのことがわかっていれば、あの時自分はどうしていただろうか…
おそらく、助けなかったのではないかと、竹本は思う。
今日行ったことは、形は違えど同じことだ。
誰かと体の関係を持てば、その罪悪感から、自ら孝平から身を引くだろうと。
引いて欲しいと、そう思っていた。
孝平に対する溢れる想いは日に日に強くなって、竹本にこんな卑劣な手まで使わせるようになっていた。
誰にも渡したくない。
自分だけの孝平であって欲しい。
どんなに強く願って、どんなにまっすぐ孝平を見つめても、彼の見ている方向はいつも竹本からずれている。
仕事に関しても、彼はいつも自分より先を見つめ、予想外に奇抜な方法を思いついては前へ進んでゆく。
自分はそれについていくのが精一杯だった。
また、恋愛に関してもそうだ。
身体を共有している時は自分のことだけを見てくれているが、終わった後は、何故だか急に遠い人のように感じる。
せめて身体の関係だけはやめようかと思ったこともあったが。
…彼を目の前にすると、そんなことは切り出せなかった。
ふっと見透かしたように笑って、また明日、と声をかけられると、心がこんなにも満たされることを知ってしまった。
この気持ち、どうしようもできない。
竹本は、準備するために孝平の書斎にある荷物を鞄にもくもくと詰めていた。
孝平は今頃、興奮をうちに抱えた恭平の元へ行き、精一杯彼を悦ばせているのだろう。
自分で撒いた種だ。
それなのに、妙に苦しくなるのは何故だろう。
嫉妬?
それとも、罪悪感…?
机の上の最後のプリントをどけると、カタンと写真たてが倒れた。
くるりと反転させてそれを起こして、竹本の動きが止まった。
そこに映っていたのは、亡き妻の愛を含めた4人の子供たち。
暴れる幼い双子の弟たちを押さえるのに苦労しながら、こちらに向かって控えめに笑っている、子供の頃の恭平がいた。
ぽたり、とガラスの上に一粒の涙が落ちた。
埋められない時間が、ここにある。