女社長 P2
恭平は苦手な電車を乗り継いで三十分、辿り着いた駅の公衆電話で孝平に言われた番号に電話をかけた。
早く帰るとは言ったものの、相手の様子によっては難しいかもしれない。
だいたい何故自分なのかもわからない。
よく考えると、今から会う人物が誰なのか知らなかった。
耳元で呼び出し音の鳴り続けていた受話器が、やがて外れる音をさせた。
ブツン
『はい、三枝建設株式会社です。』
秘書室に繋がったのか、若い男の声が聞こえてきた。
「もしもし。こちら佐久間建設の……」
『あ、承っております。佐久間恭平さんですね?』
相手は聞き取りやすい澄んだ声で流れるように言葉を紡ぐ。
恭平が自分のいる駅名を告げると、彼はすぐに対応を見せた。
『すぐに迎えに行きます。五分程お待ちいただけますか。』
礼儀正しく、何ごとも客観的に判断できるタイプだと思われる。
孝平や竹本に似ている、と恭平は思った。
やがて約束の五分も経たないうちに、白い軽自動車がするりと静かに恭平の前に停車した。
運転席から灰色スーツの男が出て来る。
すらりと背筋を伸ばして立たれると、歩道の上にいる恭平と目線の高さが同じくらいだった。
ワイルドな裸眼に、少し伸びた髪が後ろで小さく結んである。
てっきり竹本のようなインテリ系の人物が来ると思っていたので、恭平は面食らって立ち尽くした。
声だけは電話で聞いた時と同じ澄んだ声だったが、容姿を見るとこうも印象が変わるものか。
「佐久間恭平さんですか。」
「え。あ、はい佐久間です。」
慌てて返事をすると、男は小さく苦笑した。
「予想より華奢な方だから間違えたかと。」
「え?」
「いや失礼。さあ乗ってください。社長が待っております。」
男は大股で助手席へ回り、恭平のためにドアを開けた。
そしてふと思い立ったように胸ポケットから手の平サイズの白い紙を取り出した。
「申し遅れました。私、三枝建設の現社長・三枝玲子の秘書をやらせていただいている森坂という者です。」
差し出された白い紙…名刺を受け取って、恭平は森坂を見上げた。
なるほど、自分が今から会おうとしていたのは彼の上司、三枝玲子という人物なのか。
確か佐久間建設とは決して仲の良い関係ではなかったはず……
その三枝社長が、何故自分と食事をしたいなどと言い出したのだろう?
父さんが警戒して不機嫌になるのも頷ける、と恭平は思った。
「では、よろしいですか。お乗りいただいても。」
「あ、はい。」
「気分が悪くなった時はおっしゃってください。ほんの五分ほどで着きます。」
森坂は白い歯を見せてにっこりと微笑み、恭平を車内へと導いた。
三枝建設の本社は、孝平の会社のように一つのビルすべてがそう、というわけではなく、オフィス街に建ち並ぶビルの中の一番大きいと思われるそれの真ん中あたり三階を占めて成り立っていた。
会社、というよりは事務所といった印象を受ける。
佐久間の職場を見慣れていた恭平は少し驚いて、森坂の後に続いた。
孝平は伊達に仕事馬鹿歴二十数年であるわけではなさそうだ、と自分勝手な父を少し見直してしまう。
フロアは広く、一見どこまでも部屋が続いているように見えた。
案内されたのは一番奥の他より少し重々しい作りのドアだった。
飾りっ気がなく言われなくては他の会議室などとなんら変わりがないように見える。だがこのドアが、実は社長室のすぐ隣りにある客室のような場所だった。
社長室の内側も特別派手ということもなく、孝平の使う社長室と比べると質素な感じがした。
しかし部下としてはこちらの方が親しみやすいかもしれない。
「しばらくここでお待ちいただけますか。社長を呼んで参ります。」
「わかりました。」
「どうぞ座ってお待ちください。」
恭平は素直に頷いて、部屋の中央にあるソファの上にそっと荷物を置いた。
森坂は恭平を待たせている部屋の隣りの部屋のドアを叩いた。
「社長。森坂です、入ります。」
ノブを回すをチャッと音をたてて静かにドアが開いた。
パソコンの画面を食い入るように見つめながらキーボードを叩く。
そこには縁なし眼鏡をかけ、白髪の混じり始めた長い黒髪を後ろで一つにくるりとまとめた、キャリアウーマンが座っていた。
一際大きな音をたてて彼女がエンターキーを叩くと、部屋の脇においてあったプリンタが動き出した。
「森坂くん。これ、今日中にプラン立てるように言ってきてくれる。」
「わかりました。」
ハイヒールをコツコツと鳴らし、プリンタから吐き出された紙を長い指でひらりと取って森坂へ差し出す。
彼女の動作からは無駄な動きが感じられなかった。
森坂が渡された紙を受け取ると、三枝玲子は再び口を開いた。
「佐久間くんの息子を迎えに行ってくれた?」
「はい、今隣りの客室にてお待ちいただいております。」
「そう。」
玲子は表情を崩してにっこり笑い、胸の前でぐっと手を握った。
「楽しみね、彼の跡取り息子がどんな子になっているのか。」
「佐久間社長とはお知り合いなんでしたっけ。」
「そうよ。あのスカした笑顔に何度平手をお見舞いしてやろうと思ったことか。」
「…。」
「私の恨みは深いんだから!」
森坂は苦笑してふいと目線を逸らした。
彼女が意地になっている理由は森坂からすれば大したことはないからだ。
玲子は眼鏡を外し、結わいた髪を解いた。
長い髪がフワサと背中に舞い落ちる。
「それに比べたら、息子の方は小さい時は可愛い子だったわ。純粋で、おとなしそうで。」
「今もそうみたいですね。かわいかったな。」
「あら、森坂くんもそう思うの?やあね、好みが一緒で。」
「社長には敵いませんよ。」
森坂は初めてニコリと笑い、肩をすくめた。
「では、俺はこれで。」
「ええよろしくね。食事を終えたら連絡するから、また駅まで送って差し上げて。」
「かしこまりました。」
森坂は一礼して部屋の外へ、そして玲子は恭平の待つ客室へと通じる扉に手を掛けた。