女社長 P3
恭平は部屋に入ってきた女性を見て、すぐにどこかで見たことがある、と思った。
しかも最近ではない。
かなり昔のような気がする。
「ようこそお越しくださいましたね、大変だったでしょう?」
「いえ、そんなことは。」
恭平は立ち上がって軽く頭を下げた。
感じよく微笑むその女性に恭平は好感を覚えた。
ある種の営業スマイルなのだろうとは思うが、そう悪い気はしない。
きびきびとした態度から彼女が三枝玲子なのだろうと推測された。
「あの、一度どこかでお会いしたことは…?」
恭平は遠慮がちに聞いてみた。
すると玲子は切れ長の目を大きく見開いて、次に嬉しそうに笑った。
「覚えてくれてるの!?そうよ、会ったことがあるわ。恭平くんはまだ小学生だったかしら…足を怪我したのはいつ頃?」
「四年生です。」
「その少し後よ、最後に会ったのは。歩けるようになってよかったわね。」
「はい。」
「私はね、三枝玲子といって、あなたのお父さんの同級生だったの。大学のね。」
ああ、そういうことか。
恭平は頷いた。
それならばライバル会社であろうとも、過去に認識があって不思議ではない。
「あの…、今日は俺と食事をしたいという話でしたよね。」
「そうよ。そのためにわざわざ来てもらったの。ごめんなさいね。」
謝りながら玲子はどこか平然とした態度である。
恭平は続けた。
「父じゃなくてよかったんですか?」
「え?」
「なぜ俺なのかなぁ…って。」
「ああ。」
玲子はおもむろにポンと恭平の肩に手を置いた。
「恭平くんとお話がしたかったのよ。聞きたいことがあってね。」
「聞きたいこと?」
「そう。」
玲子は目を細めて微笑んだ。
恭平の肩に置いた手と反対の手をあげて、指で彼の前髪をさらりとよける。
警戒が少なく従順な瞳が玲子をまっすぐに見つめていた。
「かわいいわね。」
「え?」
「佐久間くんに似なくてよかったわね。彼に似たら無愛想がうつるわよ。」
恭平は苦笑い。
仕事の上では不敵な笑みを浮かべている孝平であるが、冷静沈着ゆえかあまり喜怒哀楽を表に出すことはない。
淡々とした孝平の表情を思い浮かべると自然と顔が綻んだのだ。
玲子は恭平を見上げて一歩近付いた。
するときちんと着こなしたスーツの下にある胸の膨らみが恭平の体に触れた。
さすがにドキリとした恭平は半歩だけ後ずさる。
「あら。逃げなくてもいいじゃない。」
「あ…いやそういうわけでは。」
「恋人はいるの?」
「と、特に…」
「そう。」
玲子はすり寄るように恭平との距離を縮めていく。
あまりの近さに恭平は思わず頬を染め、困ったように眉根を寄せた。
鼻をくすぐる香水の匂いが気持ちをおかしくさせそうだ。
…生憎、嫌いな匂いではなかった。
「れ…玲子さん。」
「はぁい?」
「近い…近いです。やめてもらえます、か…」
やっとの思いで恭平は口を開いた。
玲子がはたと気がついて自分の格好をよく見ると、恭平が今にもソファに倒れ混みそうなほど押し迫っていた。
目の前の恭平は耳まで真っ赤に染めて体の距離を1cmほど離すのに必死の様子だ。
「ぷっ」
「?」
「あはははは…っ!ごめんごめん恭平くん。何も取って食べたりしないわよっ!」
「…。」
玲子は笑いながら苦しそうにお腹を抱えて、膝をたたいた。
ひとしきり笑った後、顔を赤くしたまま呆然としている恭平を見て、また吹き出した。
明らかに自分以上で、さらに父親と同じくらいの年の女性がお腹を抱えてさも楽しそうに笑っている。
スーツに似合わない、無邪気な笑顔に恭平は呆然と見とれていた。
「あはは。はー、久しぶりよこんなに笑ったのは。」
目尻に浮かんだ涙をすくってはこんなことを言う。
恭平は何がおかしかったのかわからないまま黙っていた。玲子は髪を肩の後ろへ跳ねて、スーツを整えて改めて恭平を見上げた。
顔つきが変わると厳しいキャリアウーマンへと様変わりするのが不思議である。
「さて。恭平くんが素敵な男性だとわかったところで、昼食を食べに行きましょうか。」
この言葉に恭平はハッとして、孝平に早く帰れと言われていることを思い出した。
昼食は少し高級かと思われるイタリアンレストランに案内された。
クラシックな音楽が流れていて、落ち着いた雰囲気の店だった。
「若い男の子とデートするなんて何年振りかしら。」
と、玲子は始終ウキウキと嬉しそうにしていた。
恭平は主に玲子の話に相槌を打っていた。
明美もそうだが、女性とは仮に放っておいても喋り続けるものらしい。
自分が多少なりとも聞き上手であることなど少しも感じていない恭平は、ぼんやりとそんなことを思っていた。
「時にね、恭平くんはお父さんの仕事をもっと手伝ってみたいとは思わないの?」
玲子が言った。
食べ終えたフォークとスプーンを揃えて置き、口元をお手拭きで丁寧に拭き取る。
恭平は手を止めて玲子を見た。
「…手伝ってますよ、今。」
「もっと、よ。だって佐久間くんの跡継ぎは恭平くんでしょう?」
「跡継ぎ…?」
「そんな話はしないの、お父さんとは。」
恭平は考えてみたが、答えは一瞬で出る。
会社や仕事の話に口を挟むことに厳しい父と、跡継ぎの話などしたことがないに決まっている。
もとより恭平自身にそんなつもりがないことも明白だった。
「あまりしませんね。」
恭平は正直に言った。
玲子が驚いた顔をしてみせる。
「あら。した方がいいわよ。備えあれば憂いなし、佐久間くんだって不死身ってわけじゃないんだから。」
「俺以外で見つけてあると思いますよ。…たぶん。」
「どうして?」
「…あんまり聞かれても答えかねますよ。全然詳しくないんです、父の仕事に関しては。」
恭平は申し訳なさそうに肩をすくめて、再びフォークをくるくると回した。
あと少しで食べ終わることができる。